13(最終) 入間人間がだいきらい

 わたしは入間人間を、その文章を愛していた。大好きだった。

 昔の作品は今でも大好きだ。特に短編が好きだ。ここまで書いてきた厳しさと矛盾するようだけど、『助長』の件より前のものならミスを見つけても苦笑いくらいで済む。

 デビュー作だけは作者本人に悪く言われすぎて、気まずい気持ちが強いけれど。

 最近書いている文章を読んでも、きっと好きな文章だとは思ってしまう。


 だけどわたしは、完結できもしない続き物を乱発して、過去の自分ディスが粗雑で、読んで引っ掛かる部分がどんどん増えて、あの子が最期に読んだ本でくっだらないケアレスミスをいくつもした入間人間のことを、どうしても割り切れない。事情の一切も汲みきれないほどに。

(あの子があの日に居なくなった理由には、彼の作品の出し方と多分それに対するわたしのスタンスの取り方から、無理して生きてまで出る本を追うほどでもないとあの子が判断したのもあった。寂しくはあった分、それもしこりになっている)


 わたしの中では、まるでシダ植物が育つように憎悪が育ってしまった。

 愛情や愛着を内包して、まるで逃すまいとするように、黒い感情が成長する。

 当てたり貰ったりしたサインをどうにか譲ったり燃やしたりしても、痛いままだった。


 わたしは入間人間のことも、彼のことがとても好きでいたあの子のことも愛していた。……愛している。

 だからいつまでも考えてしまう。どうしてあの子を……あの子をわたしを含めた読者を、ごく普通に職業作家として大切にしてくれなかったの。


 別に気持ちで返してほしいわけでも、認めてほしいわけでもない。

 ただ、ありふれた敬意を欠かずにいてほしかった。


 それすら他人に押し付けていい気持ちではないのだろう。きっと。

 他人に何かを望むなんて、きっと自分にも他人にも迷惑なだけ。


 わたしは大学の後輩兼、大好きなせんぱいに関連する子が言っていた「(略)結果を出す過程で、他の誰かの結果が決まっているかも知れないよ」※という考え方が好きだけど、あの子みたいな子ですら「大切な人がいるのなら、過程を疎かにしたりなんか出来ないな、オレはね」※という言い方をしている。

(※印 入間人間著『僕の小規模な奇跡』P78 L1、L5、L7 より引用)


 逆にいえば、大切だと思わないなら、そこまで思う必要もないのだろう。わたしでもそう思う。思うのに。


 過去のことで憎んでしまっている以上、それが未来にも現在にも晴れる希望がない以上、きらいになった方が健全だ。

 だからわたしは、自己暗示でもいい、ちゃんと入間人間のことをきらいになって、ちゃんと忘れ去ってしまいたいのだ。


 そして好きが全部消えた夜に、読み物として適当に消費できたらそれもいい。『好き好き大好き超愛してる。』のついでに。『夏期限定トロピカルパフェ事件』のついでに。『GOTH』のついでに。『ロリータ』のついでに。

 古い作品ばかり褒めても拗ねちゃうから、昔のは楽しく読めてもファンレターは送らずに。


 通して読んでる方はここまでお付き合いいただいてありがとう。

 おしまい。

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