手紙:みーまーの思い出

拝啓 暖かい飲み物の美味しさに感動しがちな季節が続く中、こちらは氷雨に襲われておりますが、如何おすごしでしょうか。

三十路(一人称)は暖房の下でしか生きていけない生き物となりつつ確実に暖房に肌を殺されています。タスケテ……。


さて、今回は随分前にはてなブログに上げられていた記事の話をしたいと思います。

ずっとお話したかったのだけど機会がなくて。なので今書きます。


『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』って、みーさんがマユに声を掛けるところまで一切一人称出てこないじゃないですか。

実はわたし、『ぼく』も『僕』も出さないことに意味を持たせて意図的に出してないんだなあってところまでしか掴めてなくて。

それで他の人の考えを聞きたいな読みたいなと思っても、そもそも気づいている人自体ほとんど見つけられなかったんですよね。

わたしもぽんこつだから何度も読んでいてやっと気づきましたし。


でもあるとき改めて感想を読み漁ってみたら、気づいている人を見つけたんですよ!

それが、はてなブログに上げられていた記事の人です。


だけど、その人はその一人称が出てこない部分を『読みにくい』としか言ってなかったのです。

そもそも作品自体を気に入らなかったみたいだし、意味まで考える価値を感じなかったのかもしれません。

なので、話しかけられても困るだろうなあと、そんなようなことを思った覚えがあります。


ホントはすっっっっごくお話してみたかったです。

わたしが何度も読んでいてやっと気づいた部分について、嫌いって思いながら読んでちゃんと気づいて言及するくらいの洞察力があるなんて、すごい方ですし。

まあ好きなもの貶されてコノヤローって気持ちもありましたけど。


今になってみると、色々な人の感想や批評が……結構な長い文章のそれがカジュアルに読み漁れた個人ブログ大流行時代ってすごく贅沢だったんですね。

しかも結構みんな、心をこめて好き勝手言ってた気がします。

昔の評判のあり方に顔をしかめていたわたしが言うのも矛盾するようだけど、いい時代だったんじゃないかと思います。

今は綺麗事か心を使わず言える悪口が席巻している気がするので(わたしが見ているインターネットがよくないのかもしれないけど)。


いえなさんじゅっさい老害説が補強されそうな話はこの辺にしておきます。

それでは。また明日も手紙を書きます。

敬具


令和四年二月十九日

片手羽いえな

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