パトロンとして

 待ち合わせギリギリで、私はその居酒屋に着いた。

「すみません、予約していた佐藤です。」

店員さんに話しかける。

「佐藤様ですね、お連れ様がお待ちです、どうぞ。」

ガラガラ音を立てて、引き戸が開いた。ああ、神様だ!

「あっくん!!」

私は店員の目も気にしないで、彼に飛びついた。

「ゆ、ゆなちゃん…苦しいよ?」

「あ、ご、ごめんね!」

冷静さを取り戻し、慌てて離れる。

「ふふ、大丈夫。ゆなちゃんて、前からすごい俺にお金くれたよね。実は今も困ってて…」

「そうなの、あっくん、可哀想。お金なんて私がいくらでもあげるよ。」

「ゆなちゃん!」

とても嬉しそうなあっくん、天使だ。

「あ、流石に彼女さんとは別れてほしいな。」

半年前から、ずっと思っていたことだ。当時はただのファンだから口に出さなかったけれど、神様に女がいるなんて許せない。私のものになってほしいわけじゃないけど、誰かのものでいられるのは耐えられない。

「え…」

彼は今まで見たことがない表情をしていた。恐怖でゆがんだ顔も、こんなに可愛いなんて。

「私、あっくんのこと、ううん、本田敦輝くんのことなら何でも知ってるよ!妹さんの為にお金が必要なことも、中学が同じだった彼女がいることも、高卒なことも、無免許なことも、ピーマンが食べられないことも、父親が子供の頃いなくなったことも、母親に捨てられたことも。」

「お、まえ、何なの…ストーカー?警察よぶ、ぞ。」

「あっくんはそんな言葉遣いしないよ。」

「早く、金わたせ。かえる。」

「だめだよ、彼女と別れてくれないと。これは渡せない。」

みるみる青ざめていく天使。

きっと悩んでるんだろうな。今ここで私と縁を切ってお金に困り続けるか、生活を捨てて私にお金をもらい続けるか。

「良いんだよ、あっくん。私は永遠にきみをかわいがることができるし、好きなものをたくさん買ってあげる。きみは何にもしなくていいの、妹さんの学費は私が振り込んでおくし…」

「どうしてそこまでする?」

「きみは、私の神様だからね。」

「は?」

「生きる目的なの。このしょーもない世界で」

理解できない、という目で私を見ていた、まるで軽蔑するみたいに。

「ふふ。そんな顔したって無駄だよ、かわいいだけなんだから。」

綺麗な顔が、私から後ずさる。

「佐藤さんがこんなにヤバいやつだと思ってなかったし、正直ものすごく逃げたいけど、おれ、お金ないし、バカだから仕事もできない。佐藤さんの言うこと聞くしかないのかも」

言い切ると、彼は大きくため息をついた。

そのため息、ジップロックに閉じ込めて持って帰りたいな。

「佐藤さん?きいてる?」

「聞いてるよ。」

「今から電話する、彼女と。そこで黙って聞いてて。」

「わかった。」

プルルルル…

呼び出し音が部屋に響く。

「もしもし、なーちゃん。あの、おれ、あつきなんだけど、うん。別れてほしいの。急にごめんね。泣かないでよ。おれ、好きな人できて、うん。だから、もうなーちゃんとは。ほんとごめんね。おれ、ごめん、最低で。うぅ、ぐすっ…うん、うん、ありがとう。ばいばい、ぐすっ。」

ぐずぐず泣きながら電話する推しからしか摂取できない栄養素がここに…?いや、可哀想だけどかわい。

ツー、ツー…

部屋は沈黙に包まれ、すこし重たい空気になっている。

「おわった、よ。これでまんぞく?」

目を真っ赤にして彼は言った。

「うん、ありがとう。」

「ゆなちゃんは、おれのこと好きなの?」

「好きだよ、銀河一。」

「おれとつきあいたいの?」

「それはなんか、違うと思う。デートはしたいけど。」

「ちがうの!?意味わかんないよ」

「好きだけど、性的な目で見られないの、神聖だから。」

「おれはただの人だし、もうすぐ三十路だし、まじで意味わかんないよ。」

意味わかんなくていいの。

「大丈夫、一生推すし、お金詰む。」

「君らファンって、すこし狂気じみてるよね」

「まぁ、ファンの語源fanatic(狂信者)だし、当然じゃない。」

「英語だったの…」

「はい、おこづかいとタクシー代。」

彼に紙袋を手渡す。

「ありがとう…こんなにたくさん」

「あと口座教えて、百万振り込んでおくから」

「なんでそんなに?」

「え、楓ちゃんの学費一年分だよ。いま大3でしょ?」

「知ってるんだ…」

「口座おぼえてないから、帰ったらラインするね。」

彼はそう言って夜の街に溶けていった。


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