第2話 木守り柿

 父が癌で死んだ。喪主を務めた葬儀の参列者は父と私の仕事関係者のみだった。

 過去に何かあったのだろう、親族親戚は誰一人来なかった。


 私は26歳、交番勤務の女性警察官。小学生のときに母が事故で亡くなり父に育てられた。兄弟はいない。


 無口でこれといった趣味もない父。裕福とは縁遠い暮らし振りだったが不満はなかった。父との暮らしの中で、自分を納得させる術を身に着けたせいかもしれない。


 父を喪っても泣くことはなかった。それより生涯孤独となったことへの不安が大きかった。そんな自分が身勝手に思えた。


 ***


 父の一回忌が終わった頃、所轄の上司から男性を紹介された。私を心配してくれてのことだ。


 相手は地元で育った32歳、結婚歴はなし、地元の銀行に勤めている。幼いときに父親を亡くし母子家庭とのこと。境遇も似ていた。私の父に似た口数の少ない男性だ。


 半年交際し、結婚を決めた。

 彼の実家で母親と同居することになった。

 住宅街の戸建て、駅から歩ける距離で私の通勤にも便利な場所だ。羽振りの良かった彼の父親が建て、彼が育った家で母親名義となっている。


 私は嫁入り道具代わりに貯金を叩いて、冷蔵庫、エアコンなどの家電製品やソファなどの家具を新調した。夫と相談し選んで決めることが楽しかった。


 身内だけの結婚式を挙げた、と言っても身内がいるのは夫側だけだ。

 新婚旅行は、私の仕事の都合がつかず行かないことになった。夫には申し訳なかった。


 結婚式を終えた夜、改めて私は夫と母親に挨拶をした。

「どうぞ、これから末永く宜しくお願いします」

「こちらこそ、宜しくお願いしますね。本当に同居を認めて頂いて感謝しています」母親が挨拶を返すと、夫は満面の笑みで頷いた。


 銀行勤めの夫と交番勤務の私は生活のサイクルが合わない。私は4日に1日は24時間勤務がある。土日が休みとも決まっていない。


 私が仕事のとき母親が夫の食事を作ってくれるので助かる。母親は食事以外にも家の掃除や洗濯、クリーニング出しなど家事一切をこなしてくれる。

 私にも良くしてくれる母親。申し分ない恵まれた結婚生活、幸せだ。


 結婚して半年ほど経った寒さの厳しい日だった。夜7時過ぎ、いつもより早く帰宅した。

 玄関から廊下に進むと、風呂場から夫と母親の声が聞こえてきた。

「背中を洗ってくれる」夫の甘えた声がする。

「もう、甘えん坊なんだから〜」母親が答える。

 二人は一緒にお風呂に入っていた。私がいるときは二人は別々にお風呂を使っている。


 私は戸惑い、少し考えて外へ出た。駅前のコーヒーショップで時間を潰し、いつもの時間に家に戻った。

「ただいま〜」今度は大きな声で玄関から声を掛ける。

「おかえりなさい。今日は寒いわね。ご飯の前にお風呂に入ったら?沸かしてあるわよ」母親の屈託のない声が聴こえた。


 その日から色んなことが気になるようになった。

 母親は私の洗濯物だけ別に洗っている様子だ。

 夫任せだったクレジットカードのウェブ明細をチェックをした。私が勤務の土日や平日の夜に、二人で外食や映画などに出掛けている。

 私は結婚してから夫と二人で出掛けたことはない。いつも三人で出掛けていた。


 快適だった家の居心地がだんだん悪くなってゆく。


 思い切って、夫に母親との距離を取ってほしいとお願いしたが、一人で育ててくれた母親を哀しませるようなことは言えないという。


 ***


 妊娠した。

 母親がどう言うか心配したが大変喜んでくれた。無理をしないようにと気遣ってくれる。

 夫も子供が産まれれば変わってくれるだろう。


 つわりが酷かったので夫の薦めもあり警察を辞めた。産休復職も考えたが、それほど仕事への執着もなかった。


 近くの評判いい病院に通い、そこで産むようにした。酷いつわりは続いたが、それ以外は大きな問題もなく無事に男の子を出産した。


 夫も母親も毎日病院に来てくれた。

 生まれたばかりの赤ちゃんと夫と母親と私、病院の個室に4人が集まる。生涯孤独と思っていた私に家族できたことを実感した。夫に似た顔立ちの息子が愛おしい。


 退院の時間に夫と母親の都合がつかず、御包みの息子とタクシーで帰った。

 息子を抱いたまま、誰もいない暗い家に入る。照明を点ける。何かがらんとしている。夫と母親の荷物がない。えっ、どうなってるの?えっ、どういうこと!


 夫と母親は引っ越していた。


 スマホを鞄から取り出し夫にメールをした。

 夫からの返信があった。

 別の場所で母親と暮らす。

 離婚し、子供は夫が引き取る。

 話合う気はない連絡はメールで行うという。


 警察を退職し手に職もない。頼る親や親戚はない。無料相談の弁護士は着手金も払えない相手には親身になってくれなかった。生活保護の窓口では、夫とよく話合うよう進められただけだった。


 手持ちのお金がなくなってきた。食べ物やミルクや紙おむつも買えなくなる。


 親権を渡し、離婚せざる得ない。

 息子を手放し、200万円の慰謝料をもらった。そのお金で部屋を借り就職活動をした。少し離れた町で中小企業の事務職を得た。


 暮らし始めた二階の部屋の窓から、農家の軒先の柿の木が見える。春はまだ遠い。枝の先に一つ残った柿が揺れている。冬を越す鳥のために残しているのか、ただの取り残しなのかは分からない。


 ***


 夫は妻が欲しかったのでなく子供が欲しかったのだろう。それとも母親が孫を欲しがったのだろうか。

 二人がもともと欲しかったのは結婚という体裁だけだったのかもしれない。


 私は息子が健やかに育ち、幸せになることだけを祈る。まだ胸と腕には小さく柔らかく暖かい感触が残っている。乳の匂いが残っている。


 私は自分を納得させる術を使う。

 口惜しくはない。しかし、涙が溢れた、窓の向こうの枝先の柿の朱色がぼやけた。

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