はじまりの話

冲田

はじまりの話

 その日、私、彼と喧嘩したの。

 そうは言っても喧嘩はよくあることで……というより私が一方的に怒られることが多かったけれど。

 山がいいか、海がいいかって、たったそれだけのたわいない話をしていただけだったのに。


 いつもはね、彼の気が済むまで私が我慢すれば、あとは仲直りができるから、いつも通りにしていればよかったんだけど……。

 けど、その日に限って言っちゃったんだ。

「もう、出て行って! 帰ってこないで! 顔も見たくない!」ってね。


 牡丹雪のふる日だった。その時は、雪が綺麗には思えなかったなぁ。たくさんのホコリが舞ってるような。

 視界も悪くて、地面にも雪が積もっていて、歩道脇には小さな雪だるまが並んでいたりして。

 そんな日だったから、雪に慣れないこの土地で、こういうことは起こりうるんだって、想像力を働かせるべきだったのよ。


 彼がうちを飛び出してしばらくしてから、知らない番号から電話があった。病院からだった。

 彼には身寄りもなくて、いま同居しているのが私だから、きっと真っ先に連絡が来たのね。

 交通事故で……雪でスリップした車にはねられて、意識不明、だって。


 本当、頭の中が真っ白になった。なんで交通事故になんか、って。

 私の知らないところで、死んでしまっていたらどうしようって。

 人生で一番後悔する日になってしまうかもしれない。まだ、生きていて欲しいと強く願いながら、病院に急いだ。


 病室には包帯だらけの彼がいろんな機械や点滴に繋がれて寝ていて……。起きてほしいと懇願しながら手を握っていたら、彼は目を覚ましてくれた。

 ああ、生きていてくれて本当によかった。

 交通事故なんて理由で死ぬなんて、許せない。


 その後は順調に回復してくれて、彼はうちに帰ってきた。

 病院ではいつだってどこだって人の目があるから、帰ってくるのがとても待ち遠しかった。

 身体は不自由になってしまったけど、そんなことはまったく問題ないわ。


 そして、募って募って、溢れて、もうどうしようもないこの気持ちを彼に、ぶつけたわ。

 まちに待った瞬間だった。


 だって、どうしても私の手で殺さないといけなかったんだもの。

 もし、事故なんかで死なれていたかと思うと……あの雪の日は本当に、人生で一番後悔する日になるところだったわ。



 ──ええ。これが、はじまりの話。

 まさか、彼を殺したことでこんなことになるとは思っていなかったのよ。


 だって、私は知らなかった。

 刃物を振り上げたときの絶望の表情があんなにも美しいこと。

 物言わぬ人との山へのドライブが、こんなにもドキドキすること。

 そして、まるでタイムカプセルに大切な思い出をしまうような 愛おしさ。


 もう、彼への憎しみなんて吹き飛んで、今はこの新しい趣味を教えてくれたことに感謝すらしているの。


 でも、あなたがタイムカプセルを開いてしまったから、私のひそやかな楽しみがばれちゃった。


 ね、私を捕まえた刑事さん? あとは何を話せばいいかしら?

 他のタイムカプセルの場所?

 それ全部教えたら、一緒に山へドライブに行ってくれる?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

はじまりの話 冲田 @okida

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ