アリランによる舞踊曲

増田朋美

アリランによる舞踊曲

その日、杉ちゃんとジョチさんは、市民文化会館で、お琴の演奏が行われるというので、聞きに行った。正確には、ジョチさんが、買収した社会福祉法人の建物で、お琴教室をやっているものがいて、その教室の発表会ということで、聞きに行ったのである。

お琴教室というのだから、当然松竹梅とか、古典をやるんだろうな、と、杉ちゃんは意気込んでいたが、演奏したのは、演歌や、ホップミュージックばかりで、琴のために、作られた曲は、宮下とかいう人が作曲した、アリランによる舞踊曲という曲しか、演奏しなかった。

「やれれえ、筝曲は、アリランによる舞踊曲だけかい。つまんないなあ。せめて、松竹梅とか、新巣ごもりとか、やればいいのに。」

杉ちゃんは、大きなため息をついた。

「まあ、仕方ないですね。琴の曲なんて、みなさんはワケのわからない曲としか、感じないでしょうからね。そこが、西洋音楽とは違うところですよ。」

ジョチさんは、杉ちゃんに合わせてそういった。

「まあ、アリランによる舞踊曲も、朝鮮民謡の、アリランを知らなければそうなるでしょうから。僕は、主催の先生に、ご挨拶に行きますが、杉ちゃんは、どうします?」

ジョチさんがそういうと、杉ちゃんは、

「うーん、いく!」

といったので、二人は、主催の先生がいる、ホールの楽屋にいった。

「こんにちは。鈴木真理恵先生はいらっしゃいますか?」

ジョチさんが、楽屋近くにいた女性に声をかけると、すこし、待ってくださいと言われて、女性は、楽屋の中に入った。数分後、着物を着た、中年の女性が現れて、

「理事長さん来てくださってありがとうございます。今回の演奏は、楽しめましたか?」

と、二人にきいた。

「ええ、まあ。」

とジョチさんはそれだけ言っておく。

「まあ、楽しめなかったね。だって、松竹梅とか、御山獅子とかの、古典箏曲がなにもない。それでは、何も面白くなんかなかったな。そういう曲をやって、もらいたかったよ。お琴教室なんだからさ、お琴らしい曲をやらなきゃ。あんなペーペーの、歌謡曲なんてやっても意味がない!」

杉ちゃんは、いきなり、失礼な事を言った。ジョチさんが、そんな失礼な事言ってと止めようとしたが、

「そういうの、花村さんがみたら、絶対、地団駄踏んで、悔しがるだろうね。」

と、杉ちゃんが言った。

「ああ、あの花村先生。って、お二人は、花村先生の知り合いなんですか!」

と、真理恵さんは驚いた顔をしたが、

「そうですよ。」

と、ジョチさんが、そう言うと、

「あの、お願いですから、花村先生には、この演奏会の事は話さないでください。」

と、真理恵さんは、申し訳無さそうに言った。

「はあ、そういうもんなのかなあ。」

杉ちゃんが不思議そうにそう言うと、

「そういうもんなのかなって、花村先生は、お琴業界の大御所です。そんな先生に、あたしたちが、こんなことをしているっていうことが知られてしまったら、なんてお叱りが下るか。あの、本当に、花村先生には、言わないでください。」

真理恵さんは、そう懇願した。

「はあ、じゃあ、言わなかったら、古典箏曲やってくれるか?」

杉ちゃんがそう言うと、

「わかりました。次回は必ずそうしますから、先生にはどうか言わないでください。」

真理恵さんは、そういうのだった。

「はあ、そうなのね。僕は花村さんの弟子じゃないよ。友達だからな。」

杉ちゃんは、変な顔をして、そういう事を言うと、真理恵さんは、ありがとうございますといった。

「とにかく今日は、ここへ来てくださって、ありがとうございました。また、半年に一回くらい、こうしておさらい会をしますから、ぜひ、いらしてくださいね。」

「わかりました。また来ますので、今日は、本当に楽しませてもらいました。できれば、もうちょっとレパートリーを増やしてくれることを希望します。」

と、ジョチさんと杉ちゃんは、にこやかに笑って、舞台袖を後にした。真理恵さんは、本当に来てくれてありがとうございましたと言って、二人を見送った。

その数日後のことである。いつも通り製鉄所では、利用者たちが、勉強したり、仕事をしていたりしていたのであるが。

「ああー、こんな寒いときに、足を棒にして、捜査をしても、何も得られないってのが、不思議だねえ。ちょっと、カレーを食べさせてくれ。」

と、製鉄所の入り口から、華岡が入ってきた。

「杉ちゃんの家に行ったら、こっちにいるって近所の人に聞いたもんでさあ。それでこさせてもらったよ。」

華岡は、そう言いながら、杉ちゃんのいる食堂へ行った。

「はいはい。今カレーを作るから、ちょっとまっててや。それにしても、警視という職業は、そんなに暇なのか。こんなところまで足を伸ばせるなんて。」

そう言いながら、杉ちゃんは、人参を切り始めた。それを急いで鍋に入れて、肉と一緒に煮込むのである。やがて、製鉄所の中に、カレールーの匂いが充満した。そうすると、いい匂いだねえと言って、食いしん坊な利用者もやってきた。そして、杉ちゃんが、ご飯を器に持ってカレーを華岡の前に置いた。

「いただきまあす!」

華岡はむしゃむしゃと食べ始めた。

「ああ、うまいねえ。こんなカレーを食べさせてもらうなんて、ホント、嬉しいなあ。いつもレトルトのカレーばかりだからさ。ほんと、カレーを食べさせてもらうなんて、久しぶり。」

「もう、華岡さん、カレーの味の事ばかり言って、つくってもらってありがとうとか、そういう言葉を杉ちゃんに言ってあげてください。」

と、利用者が華岡にそう言うと、

「そうだったそうだった。ありがとう杉ちゃん。そういえば、今度の事件の犯人も、そういう気持ちがあれば、良かったのになあ。」

と、華岡は言った。

「なんだよ。今度の事件の犯人って。」

と、杉ちゃんが言うと、華岡はまずいことを言ったという顔をする。でも、答えが出るまで聞いてしまうのが、杉ちゃんである。だから、華岡は答えを言わなければならない。

「ああ、ちょうどね、俺たちが捜査している事件なんだけどね。なんでも、富士市の文化センター近くで、若い男性の死体が見つかった。俺たちは、自殺と事件の両方から調べているが、名前は、鈴木光男。職業は、邦楽教授。なんでも、母親のやっていた、邦楽教室を引き継ぐつもりだったらしい。」

と、華岡は、杉ちゃんに言った。

「それでは、もしかして、母親の名前は、鈴木真理恵?」

と、杉ちゃんが言うと、

「おう、そうだが、なんでその名前を知っているの?」

華岡は杉ちゃんに聞くと、

「ああ、ちょうど、一週間くらい前かな。鈴木真理恵さんが、お琴教室の発表会をしていたのを、見に行ったんだ。」

と、杉ちゃんは答えた。

「そうか!それでは、鈴木光男の死亡推定時刻も、一週間前の、午後だと言われているが、、、。でも、そうなったら、鈴木真理恵が、鈴木光男を殺害したことにはならないな。」

華岡は、もう一度考え直した。

「なんだ、動機があるのかよ。動機なしに、いきなり犯人扱いしちゃだめだぞ。」

と、杉ちゃんはすぐにそう言うと、

「ああ、それはちゃんとあるんだよ。鈴木真理恵と鈴木光男は、お琴教室の方針について、対立していた。光男は、邦楽教室で、正当な邦楽教室を維持していこうと考えていたが、真理恵は、それよりも、邦楽ではなく、音楽教室にしていこうと考えていたようだ。そこでよく衝突することもあったらしい。逆に、鈴木真理恵と、鈴木光男以外、対立していた関係にあった人物はいない。」

と、華岡は説明を始めた。

「そうなんだね。でも、だからといって、本当に殺してしまうということはあるかなあ。あの鈴木真理恵さんのところで、動きがあったのか?例えば、お金が絡むことになってしまったとか、そういう事が発生したとか。」

と、杉ちゃんが言うと、

「まあ、それに近いことは起きている。鈴木光男は、お琴教室を維持するため、花村義久に、相談に行っている。」

と、華岡は答えた。

ちょうどこのとき、玄関の引き戸がガラッと開いた。二人の男性が、食堂に入ってきた。ちょうどそこに来たのは、花村義久さんそのものであった。一緒にきたのはジョチさんである。花村さんは、何でも、報道陣がしょっちゅう家にやってきてうるさいので、女中の秋川さんが、暇をほしいと言い出したと説明した。家に一人でいるのも、報道陣が、しょっちゅう来るので、非常に困るからこさせてもらったという。全く、マスコミというものは、どうして、こういうふうに、人の辛いところに、入ってくるんだろうか、とジョチさんは言った。華岡が来ていることに、花村さんは何も驚かなかった。

「お、花村さん。ちょっとお話をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

と、華岡は、直ぐ花村さんに言った。花村さんは、構いませんと言って、杉ちゃんの隣に座った。

「あの、事件の被害者の、鈴木光男さんが、花村さんのところに、お琴の事で、相談に来たということですけど。」

「ええ。よく覚えています。彼は、お琴教室のことをとても心配していましたよ。このままでは、古典箏曲がだめになるからって言って、お母さんとは別の線でお教室をやりたいので、私に、古典箏曲を流行らせるには、どうしたらいいか相談に来たんです。アリランによる舞踊曲では、お琴教室は務まらないと、よく話していらっしゃいました。彼のような、古典に取り組んでいる若い方を、私は、なかなか見たことがありません。なので、非常に珍しい方であると思いました。」

と、花村さんは、にこやかに言った。

「はあ、アリランによる舞踊曲というのは、どういうものなんですかな?」

と華岡が聞くと、

「はい。宮下秀冽という人が作曲しました、琴と尺八による合奏曲です。朝鮮民謡のアリランに基づく曲で、華やかな作品でもあるので、よく演奏されるんです。」

と、花村さんは答えた。

「それではお琴教室は務まらないんですか?」

華岡がまた聞くと、

「ええ。まあ、確かに古典箏曲にあるような、厳かな感じはありません。」

花村さんは正直に答えた。

「それで、花村さんは、鈴木光男になんて答えたんですか?」

「ええ。私は、今の時代、古典をやっていくのも、アリランによる舞踊曲をやっていくのも、有り得る話だといいました。古典をやっていきたければ、古典をやっていけばいい。アリランによる舞踊曲をやっていきたければ、そうすればいいと。ただ、どちらもリスクを伴う事は確かだとお話しました。それは、もうこういう分野を当たるには、仕方ないことであると、私達もわかっていますから、それについて、対立することはしないのです。」

華岡の質問に花村さんはそういった。

「それこそ、これからを生きていく若者に対して、一番無責任なセリフなのではないでしょうか?」

と、ジョチさんが、ちょっとため息を付いた。

「確かに偉い方からみたら、そういうふうに、取るしか無いかもしれません。ですが、若い方には、なにか、教えると言うか、道を示してやることが、必要だと思います。曖昧な答えを出すのではなく、こうだ、と断定的に言うことのほうが、彼には必要だったのでは無いでしょうか。僕は、こういう施設を運営しているので、なんとなくそう感じますね。」

「そうですが、私達伝統芸能は、そういう答えしか無いのが、現実だと思います。」

花村さんは、ジョチさんに言った。それしか無いというのは確かだと思った。邦楽とか、そういうものは、そういう答えしかもう用意されていない。

「まあ、邦楽の話はいいとして、事件の話しに戻しましょう。花村さん、彼ですが、その時、母の、鈴木真理恵について、話をしていたりしましたか?」

華岡は、急いで花村さんに聞いた。

「ええ、お母さんであることは間違いないと言っていましたが、邦楽を巡っては、恐るべき敵なのかもしれません。まるで、アンパンマンとバイキンマンのような、そういう立場になってしまったかもしれない。」

「なるほどねえ。というと、常に戦う運命にあるってことか。邦楽っていうのは、なんでそうなっちまうんだろう。実の親子でも、そうやってライバルになっちまうのかあ。」

杉ちゃんは、ちょっと考え込んだ。

ちょうど、そのとき、ベートーベンの月光ソナタの第1楽章が聞こえてきた。水穂さんが弾いているのだろう。

「ああ、水穂さんも今日は調子が良さそうですね。」

とジョチさんが言うと、

「洋楽は、誰でも気軽にできて、派閥もないし、家元制度も無いからいいですね。私達は、邦楽を残していくために、アレヤコレヤとしなければならないのに。」

と、花村さんは、ちょっと不服そうに言った。

「まあ、そうかも知れませんが、いずれにしても、これで動機ははっきりしたぞ。鈴木真理恵と鈴木光男は、お琴教室の方針を巡って対立していた。それで、お互いの存在がじゃまになるから消してしまいたいと思っていた。それで、鈴木真理恵を調べれば、彼を殺害した犯人だと確定できるはずだ。」

華岡は嬉しそうに言った。華岡だけが、そう言って、嬉しそうにしていた。華岡は、またむしゃむしゃとカレーを食べて、急いで、警察署に戻っていった。

「やれれ。華岡さんは、変な事を、考えるもんだなあ。でも、実の親子でも、そうやって、やり方を巡って対立するようでは、お琴業界も、非常に辛いもんがあるね。」

それを眺めながら、杉ちゃんはそういったのだった。

「それにしても、花村さん。どうしてそんなに、お琴という業界は、こういっては失礼ですけど、対立しているというか、そうなってしまったのでしょうか?」

ジョチさんが花村さんにそう聞くと、

「ええ、実は私もよくわかっておりません。それでは行けないんでしょうけど、邦楽をもっと、気軽に学べるようにしたいという気持ちだけはあります。ですが、それだけを、求めすぎて、私達は変なふうに行ってしまったようです。」

花村さんは答えた。しばらく沈黙が続いた。確かに、こういう事件が発生してしまうと、なんだか、テレビドラマとかでは、大げさに話しをつくってしまうのだろうが、現実では、そういう事は起こらない。

数分後に、ジョチさんのスマートフォンがなった。

「もしもし曾我です。はい。はい。ああそうですか。わかりました。それでは、華岡さんも大変でしたね。とりあえず、お疲れ様でいいのかな。ええ、ご報告ありがとうございます。」

と言って、ジョチさんは、電話アプリを閉じる。

「どうしたの?」

と杉ちゃんが言うと、

「ええ、鈴木真理恵が、犯行を自供したそうです。演奏会直前、鈴木真理恵のもとに、鈴木光男が来訪したことが、文化センターの入り口にいた人物から目撃されているそうで。」

と、ジョチさんは答えた。

「そうですか。それでは、やっぱり殺害したのは、鈴木真理恵さんと言うことになりますか。」

と、花村さんは残念そうに言った。

「私のところに、一度だけ習いに来たことがありました。真理恵さんは、まだ幼い光男くんを連れて、彼にお琴を仕込んでくれと言っていました。なので私は、お琴教室には定番の六段の調べを教えました。」

「そうなんですか、やっぱり繋がりはあるんですね。音楽していると、世界が狭くなるっていいますけど、本当なんですね。」

ジョチさんは花村さんに言った。

「じゃあ、そのときに、真理恵さんはアリランによる舞踊曲を、知っていたのかな?それとも、今に至る過程で、その曲を知ったのか?」

杉ちゃんが聞くと、

「ええ。あの曲は、まだ新しいものですから、私が教えたわけでもありませんが、きっと、鈴木真理恵さんが、お琴をやっていく上で、どこかで知ったのでしょう。」

と、花村さんは言った。

遠くで、水穂さんの月光の第1楽章が聞こえてくる。それがなんだか、変なふうに杉ちゃんたちの耳に聞こえてきた。

それと同時に、また製鉄所の玄関から人の入ってくる音がした。多分利用者である。

「只今戻りました。あ!お琴がある!花村先生じゃないですか。それなら、ちょうどよかった。水穂さんとなにか聞かせてくださいよ。あたしお琴の音を聞くの、すごく好きなんですよ。」

明るい顔をしている利用者は、それこそ、何も知らないという顔だった。お琴の事情も、ピアノの事情も知らないという顔をしている。

「それじゃあ、アリランによる舞踊曲をやってみますか。あの水穂さんであれば、お事に伴奏をつけることもできるでしょう。」

花村さんは、そういった。ジョチさんが、そう簡単に、伴奏をつけることはできるんですか?と尋ねると、花村さんは、

「大丈夫です。古典とは違って、和声的に当てはまらない事はありません。」

と言った。そして、玄関に置きっぱなしだったお琴を持ってきた。お琴はたいへん大きな楽器で重たそうに見えるけど、中は空洞で意外に軽いのである。花村さんは、四畳半へ持っていき、水穂さんに、自分が引く曲に伴奏をしてくれと言った。水穂さんは、いつもどおり、断ることができずに、わかりました、やりますと言った。

「朝鮮民謡のアリランのコードがわかっていれば大丈夫です。」

花村さんは、急いで琴柱をお琴にはめた。楽調子という調弦法だという。これは、西洋音楽で言うところの、ニ長調に相応する。そして、二人は、アリランによる舞踊曲を弾き始めた。確かに、アリランの和声進行がわかっていれば、十分にピアノ伴奏はできる曲だった。

「はあなるほどねえ。昔だったら、こういうアンサンブルはできないわな。ピアノとお琴なんてありえない話だったね。」

杉ちゃんが、そうつぶやくと、

「本当は、お琴同士で対立し合う事は、してはいけないと思いますけどね。」

と、ジョチさんは言った。

その中でも、アリランによる舞踊曲は続いていた。水穂さんと、花村さんは、楽しそうな顔をして、アンサンブルを続けていた。

「まず、なにか変えるんだったら、偉いやつが変わらないとだめだよな。」

杉ちゃんは、ぼんやりといった。




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アリランによる舞踊曲 増田朋美 @masubuchi4996

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