第5話

笹原陽子は乱暴にレジ袋の補充用のダンボールを開けた。誰が見ても、イライラしていることが分かる所作だった。時計に目をやると、あと五分で始業だ。それなのに、シフトが入ってるはずの中村さんが来ない。それも今日だけではない、ここ五日連続して姿を見せないのだ。

 もともとあの子には人をいらつかせるところがあった。オドオドして、無害ですという顔をするくせにしれっと手を抜く。一度お昼どきの一番忙しい時間、レジ袋を補充するフリをして十分以上帰ってこないことがあった。今、絶対補充する必要がないタイミングだった。レジが落ち着いたあと指摘すると過剰に謝ってきた。それも、私のせいでごめんなさい、と。

 いや、何で悪かったか分かってないじゃん。絶対。

 そういうことが今までに何度もあった。忙しいのに時間になったら周りの目線を気にせず休憩にいく。新人なのに率先して雑務をしない。ギリギリに出勤し、時間通りに帰っていく。バイトでも有給ありますよね?とその日は絶対混むと分かっている日に休みをとる。

 そのたびに最初は同じ大学だからと教えてあげていた。なのに、へらへら笑ってすいませんばかり言う。その繰り返しにうんざりし、いつしか姿を見るだけでムカつくようになった。ここでは、ペアでお会計と袋詰をする形式だけど、いても邪魔だから一人でこなすようになった。チラッと横目でみるといつも変な顔で笑ってた。他のパートに注意されてるのを見てもフォローしなくなった。

 店長には、何度かもう少し優しくしてやってと注意された。それを盗み聞きしていたパートのおばちゃんには、こっちが被害被ってんだよとフォローをされた。

 ただ、今まで無断欠勤することはなかった。だから陽子も初めは何かあったのか心配していた。

 あの子がいなくなった初日、陽子は久しぶりに何もない休みだったのでその喜びを享受しようとワクワクしていた。

 その幸せは店長からの電話ですぐ打ち切られた。

 中村さん、今日シフト入ってるのに来ないんだよ。いつも真面目にやってくれてるからサボりじゃないと思うんだけど。今日はオープンキャンパスもあって忙しいから、代わりに入ってくんない?

 笹原さん先輩だろ?な?


 電話を切った瞬間、また尻ぬぐいかよとスマホを投げつけた。義理人情というワードが好きな店長は、すぐ同じ大学のよしみだろうと言い最初に陽子に押し付けようとする。先輩が何とかしてあげなという圧に、いや学部違うしと反論したくなるが、自分にはやっかいをかけられたくない他のバイトからの圧もすごく、結局はいつも分かりましたと言ってしまうのだ。

 

 まぁこれからお金必要になってくるし、これは急にバイト変わってほしくなった時の切り札にしようと、自分を慰めて出勤した。

 陽子も大学近くの下宿生だ。だけど一駅離れたところに住んでいるので自転車で大学には通っている。

 玄関を開けた瞬間から耳にまとわりつく蝉の声に辟易しながら、重たい足どりでペダルを漕いだ。


 そして今日も尻ぬぐいの日だ。

 最初は夏風邪かと多少心配していた陽子も、こんなに続くと心配する気はもはや0だ。

 昼前になり、なかのんが元気よく入ってきた。今日はとてつもなく暇な日で手持ち無沙汰だったのでちょうどよかった。

 「あれ?陽子先輩またっすか?」と言われたのを皮切りに陽子の愚痴は止まらない。なかのんも尻ぬぐいされがちなのでテンポよく同調する言葉を投げ返す。

 

 「やっぱああいう人が一番やばいんすよ。無害な顔してやらかすタイプ」

 「オドオドしてるくせに年下にはお姉さんぶりますよね。もっとレジ早くなってから言えよって感じっす(笑)」

 「てか連絡してこないって人としてやばくないですか?ああはなりたくないわ~」

 「それにしても陽子先輩今日もメイクかわいい!今度教えてください!」

 先輩、先輩と笑顔を見せられ、溜飲が下がる。

 気持ちを切り替えて一日がんばろうと息を吐くと、ドアが開きお客が入ってきた。元気よくあいさつしようとしたが、目にした瞬間声のトーンが落ちた。

 同じ学部の有名人が今日も白衣を着てやってきた。

 なるべく関わりたくなくて最低限の接客とお会計をして見送ると、なにかボソボソ呟いていた。

 扉が閉まり、二人して長いため息をつく。

 店員以外誰もいない店内にはその音がひどく響いた。

 「今日もあの人きましたね」

 「ほんと。頑張ってるアピールご苦労さまー」

 「あの人髪型なんとかなんないんですかね?ボサボサでうつむいてるから、ガチでやばい人ですよっ絶対やらかしてますよっ」

 キャハハハと笑い声が響く。

 奥で店長が動画を流しているのかニュースがかすかに聞こえてくる。


 「てか先輩、逆方向だからあんま知らないと思うんですけど向こう側って地域猫多くって」

 ー…最近、職場でのセクハラやパワハラが問題視されています。

 「いつも帰り道見かけたら近寄るんですけど警戒して全然こなくって」

ー…職場が怖くて布団から出ようとしても出られない適応障害になってしまう若者が増加しており…

 「だけど最近すごい人懐っこくて。可愛くないですか?」

ー…いじめというのは学校だけでなく、職場でも…

 

 なかのんの声が遠く聞こえる。

 セミの声がうるさく、うまく聞こえない。

 そんな様子に気づかず、なかのんのトークは止まらない。

 すると、店の奥からひょいっと店長が顔を出した。

 だるっ、話しすぎ?だけど人いない時間帯だしって身構えていると無表情で一言だけ残し、店の奥に戻っていった。

 「中村さん、辞めるって」 

 あぁ、セミの声が耳にまとわりついて離れない。

 

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21:37、鮎川アパートにて ごりぴー @goripi_uho

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