第3話

 その日の夜は、物に触れないしいいよと言う河野くんを無視し、気持ちの持ちようだからと布団をだしそれぞれ就寝するふりをした。陽菜は好きな人が自分の家にいる空間でどう振る舞えばいいか分からず、河野くんに背を向けてとりあえず目をつぶった。生身の河野くんだったら、朝まで映画を見たり、お酒を飲んだり、語り合っても良かったかもしれない。だが今の河野くんの状態では何もできない。話題をふるにしても、河野くんの前では極度の緊張しぃになってしまう陽菜にはとても難しいことだった。チラッと河野くんを見てみると、陽菜に背を向けているみたいだ。スマホを触りたかったが、スマホ中毒と思われたくなく、手持ち無沙汰のまま時間だけが過ぎていった。そんな二人を熱帯夜がつつんでいた。


 一睡もできなかった陽菜に、朝日が容赦なく降りそそぐ。河野くんは、今も陽菜に背を向けて寝転がっていた。この隙にと思い、服とメイク道具を手にし洗面所に向かい、身支度を整える。部屋に戻ると、河野くんがニコニコとおはよーと話しかけてきた。もしかして、彼なりの気遣いだったのかなと思いつくが、その言葉を口にするタイミングを失うほど河野くんはおしゃべりだった。

 その日は朝からバイトだったので、朝ごはんを食べるとすぐ家を出た。家を出る際、もう一度試してみたが昨晩と結果は同じだった。何もしてあげられないのでせめてこれだけでも、と思いテレビをつけてきた。いってらっしゃいと笑ってくれた河野くんは、夏の光を浴びてさらに眩しかった。


 陽菜は大学の近くのパン屋で週3でバイトをしている。夏休みに入り学生は少なくなったが、地元の人達に愛されて続いているパン屋さんなので、常連さんが次々とやってくる。陽菜は無心にお会計と袋詰の業務を続けた。

 昼休みの時間が終わり、ようやく人の波が減ったころカランコロンと扉が開く音がし、目を向けると徹夜明けのようなボロボロに疲れた顔をした男性が一人入ってきた。白衣を着ていたので、理系の人なのかなと想像する。陽菜の大学は、文系と理系の学舎が両方あるが、陽菜の所属する文学部は他の文系の学部より理系と離れていて普段理系の人を目にすることはあまりない。それでもサークルには理系の学部の人も多いし、大ホールで学ぶ一般教養の講義は学部関係なく学ぶものもある。ただ、あからさまに白衣を着て理系をアピールする人は珍しかった。

 メロンパンとアンパンを大量に買い、その人は去っていった。疲れたら糖分だよねと思っていると、きもかったねと横から声をかけられる。えっ、と言うと隣でレジをしていた同じ大学の笹原さんが露骨に顔をしかめていた。

 「あの人、同じ学部なんだけどいつも白衣きて忙しいアピールすごいんだよね~」

 いつもアンパンかメロンパンしか買わないっすよねと笹原さんの隣で袋詰をしていた、高校生バイトの中野ちゃんも応戦する。そんな二人の会話に苦笑いしか返せない。この二人と時間が被ると、こうやっていつもお客様の陰口が始まるので困ってしまう。だけど、陽菜よりレジや袋詰が早く、もたもたしていると助けてくれるので何も言えない。今はお客様が店内にいないからいいけど、すごく居心地が悪い。話題を変えるために、夏休み何する予定なのと聞こうと、なっと言いかけた瞬間ドアが開き、中野ちゃんの元気のいい、いらっしゃいませー!が店内に響く。助かったと思いつつ、今私どんな顔してるんだろうと不安になった。


 午後一時。セミの大合唱を聞きながら、帰宅した。 あの後、客足が伸びず更に悪口の大合唱だった。笹原さんと中野ちゃんは今日はロングなので、陽菜よりもう少し長く働くことになる。帰ったあと、私も何か言われてるんだろうなと考えると、今日の自分の行動を採点してしまい、夏バテしたかのように疲れてしまった。

 玄関をあけると、お帰り!と河野くんが出迎えてくれた。他人に見送られてお出かけをし、帰ってくると出迎えてもらえるなんて何年ぶりなんだろう。しかも、距離を縮めることができないと思っていた好きな相手だ。じーんと疲れが飛んでいく気分になる。

 部屋に戻ると心霊番組の再放送が流れていた。げっと思うが、河野くんは物理的にチャンネルを変えることができないので、リモコンを手に取る。

 すると、幽体離脱を繰り返してしまう男性の再現ドラマが始まった。その男性は金縛りがきっかけで、気づいたら自分が寝てる姿が見えていたらしい。ふわふわと体が浮いてるのを感じ慌てて戻りたい!と自分に近づいたところ、目が覚めたというストーリーだった。

 もしかして今の河野くんも幽体離脱と同じ状態?と考えると、河野くんも同じように難しい顔をしていた。幽体離脱~と懐かしい芸人の声とスタジオの笑い声が似合わないほど、部屋は静かだった。やがて、意を決したように河野くんが口を開く。

 陽菜は間髪入れずにそのお願いを聞き入れた。

 どうにかして、病室に河野くんを連れて行くということに。

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