第10章 練習

タカシは忙しかった。


とにかく母が帰ってくるまでに、ナツメに現代の事を説明しておかなくてはいけなかった。

 

特にトイレの説明するのは恥ずかしかった。


病院に連れて行く時、ちょっと目を離した隙に、ナツメは庭先で用をたしていた。


ナツミとは幼稚園までは時々一緒に風呂に入った仲であったが。


まさか一緒に手伝うわけにもいかない。


身ぶり手振りで大汗をかいて教え込むと、頭のいい娘なのだろう、ちゃんと使えるようになった。


TVはつけないようにした。


こんな物を見せたらショックで気絶してしまうだろう。


さいわい明日は土曜日だし、母にはまだ歩けないと言って食事は二階でとらそうと思った。

 

トイレも上にあるから、父と顔を会わせる事もないだろう。


問題は、ずっとこのままナツミが戻ってこれなかった場合である。


来週になるとナツミの父も帰ってくる。


その事を考えると頭の痛いタカシであった。


「ありがとう・・・タカシ・・・。」


ナツメが潤んだ目で、タカシを見つめていた。 


何度も思うのだが、これがあのナツミであろうか。


何か大人っぽいというか、いじらしさが素直に心に入ってくる。


タカシも、いつもと違って素直に優しくしてあげられる。


(こんな事になるんなら、もっと優しくしてあげればよかった・・・。会いたいよう、ナツミ・・・。)


そう思いながら、ナツメを見つめ返すタカシであった。


※※※※※※※※※※※※※※※


「えーっ、戦の舞いですって・・・?」 


朝の稽古の後、タカシホと共に食事をしながらナツミは驚いて言った。


「そうなんだ、お前は・・・いや、ナツメはこの吉野神社の巫女として、代々その舞いを継いできた者なんだ。今度の出陣の前に、必勝を期して舞わねばならんのだ・・・。」


タカシホは眉を少し歪め、困った顔をして言った。


「本当は、巫女は結婚してはいかんのだが、皇子様が特別にお許しになってくれたのだ。

その代わり・・・明日、最後の舞いをするという、約束でな・・・。」


ナツミは大きな目を開いたまま言った。


「えーっ、でも・・・私、踊ったことないもの・・・無理よぉ・・・。」


「そーなんだ、私も皇子様にナツメは足をケガしたと言って断ったのだが、形だけでもと申されてな。どうだ、私が今舞ってみるから・・・少しだけでも覚えてくれぬか?」


そして立ち上がると、タカシホはゆっくりと舞った。


逞しい男の身体なのに優しく舞っている。 


音楽もないのに、まるで調べが聞こえてくるように、ゆっくりリズムが感じられる。


(う、うまい・・・。でも変だわ・・・どこかで見た事がある・・・この踊り。)


ナツミは、タカシホの踊りにつられるように立ち上がると、見よう見真似で舞い始めた。


(そうだわ。クラブで練習した踊りに似ているんだわ・・・。)


「そうそう、うまいじゃないか。いや・・ここはこう、右手を巻いて・・・。」


タカシホの教え方は的を得ていて、みるみる内にナツミは上達していった。


足のほうは、少しも痛まなくなっていた。


やがてタカシホは部屋の隅にあった笛と太鼓を持ってくると、ゆっくり笛を吹き始めた。


澄んだ音色が家中に響き渡っている。


ナツミはその音楽に心が溶け込んでいくようで、一心に舞っている。


タカシホはまるでナツメが帰ってきたような気がして、心を込めて笛を吹いた。


やがて笛を置くと、今度は太鼓を叩き出した。 


リズミカルでアップテンポな調べであった。 


ナツミは自然とそのリズムに身体を合わせ舞っていった。


元々踊りとは、祭りの際に神に捧げる陽気なものであったのだ。


一風変わった踊り方はタカシホの目には新鮮で、ますます調子を乗せて叩くのだった。


ナツミが足を高く振り上げようとした瞬間、我に返って小さく叫んだ。


「キャッ、いけない・・・。私、下着つけてなかったんだ。」


そして内股にうずくまると、真っ赤な顔でうつ向いてしまった。


急に踊りをやめてしまったナツミをキョトンとした顔でタカシホは見つめている。


ナツミは真っ赤な顔を上げると、恥ずかしそうに言った。


「ねえ・・・何か長い布・・・ない?」


タカシホが隅に置いてある木の箱から布を持ってくると、ナツミは言った。


「ちょっ、ちょっと向こうを向いてて。」 


タカシホが後ろを向いている間に、すばやくナツミは古代のスカートのすそを上げて、布を腰に巻いた。


「いいわよ・・・続けましょう・・・。」 


笑顔で言うナツミに、答えるように再びタカシホは太鼓を叩き出した。


その日は一日中、笛と太鼓の音がこだましていた。

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