第8章 タイムトラベル2

「軽い捻挫だな。二日も寝てれば治るよ。一応脳波も検査したけど異常なしだ。」


タカシは医者の言葉に、ホッと胸をなでおろした。


今朝起きてから、妙にナツミの態度がおかしかったからだ。


怯えるような表情で辺りを見回していたかと思うと、熱い眼差しをタカシに送ってくる。


タカシの手を握りじっと見つめる瞳は潤んで、何かを訴えるような気がした。


自分の名前を「タカシホ」と呼び、「ナツミ」と呼ぶと「ナツメ」だと言う。


わけがわからなかった。


ただ昨日のショックを思うと、少しソッとしておいてあげようと思った。


家に帰ってきて、ナツミのベッドに寝かせてあげると少女は言った。


「タカシホ・・・皇子様はどこ・・・。それに戦の稽古はしないの?」


タカシは不思議そうに少女を見つめ言った。


「あのさ、俺の名前はタカシだって。それに皇子様って・・・。えー、戦ぁ・・・?」


タカシの言葉に、不安そうな表情で少女は抱きついてきた。


いきなりの事でタカシは顔を真っ赤にした。 


心臓の鼓動が激しく波打っている。


「ちょっ、ちょっと・・・ナツミー・・・?」


「ナツミではありません。私の名前はナツメ。昨日、祝言を挙げたではないですか。」


少女は恥ずかしそうに言うと、タカシは大声を出した。


「えーっ祝言って、その、結婚の事・・・?」


少女は顔を上げると、微笑んで小さく頷いた。 


汗がドッと噴き出してくる。


(ど、どういう事なんだ、これは・・・?) 


「もう戦まで、何日もありませんわ。大友皇子を討つまで稽古に励まないと・・・。」


「大友皇子・・・って。どっかで聞いたなその名前・・・。えーっ、まさか・・・?」 


タカシは慌てて自分の部屋に行くと、カバンを開けた。


そこには昨日、社会科の教師の高野から無理矢理渡された「壬申の乱外伝」という本が入っていた。


それを持って戻ってくると、本をあわただしくめくり言った。


「あ、あのさ・・・大友皇子って・・今、言ったよね?」


「はい・・・?。」


キョトンとした表情で少女が答えた。


「そ、それからもしかして皇子様って・・大海人皇子の事?」


「まあ、恐れ多い・・・。皇子様の名前を気安く言えませんわ。」


タカシは今どうすればいいか、途方にくれていた。


昨日までのナツミと、まったく違う少女がここにいた。


最初の内自分をからかっているのかと思ったが、どうもそうではないらしい。


タカシを見つめる少女の瞳は、あくまでも透き通っていた。


タカシは一生懸命に本のページをめくると、高穂(タカシホ)と菜芽(ナツメ)という名前を見つけた。


「そ、それじゃあ、俺がタカシホで、お前はナツメっていうんじゃあ・・・?」


言い終わらない内に、少女の目から涙がこぼれてきた。


タカシは意外な反応に、アタフタするばかりであった。


少女は絞り出すような声で言った。


「良かった・・・。やっと、思い出してくれたのですね・・・タカシホ・・・。」


そして、ぶつかるようにしてタカシの腕に飛び込んできた。


少女の柔らかな身体のぬくもりに戸惑いながらも、タカシは必死になって今までの事を、頭あの中で整理していた。


(えーっと、昨日トラックに轢かれそうになってナツミが気絶しちゃって・・・。えーい、落ち着け、冷静になるんだ・・・。そしてナツミが気がついたら、俺の事をタカシホって呼んで・・・。この本に書いてある奴の事かな・・?ナツミはナツメで・・・。 ダーっ、わかんねー・・・。) 


ナツメの髪のいい香りが、ますますタカシを興奮させている。


少女が少し落ち着いてきたと思ったタカシは、無理に横にさせると下に降りていき、水で顔を洗った。


いずれにしても、大変な事になったと思った。 


母が帰ってくる前に頭の中を整理しなければと、懸命に水をかぶるのであった。


二十一世紀の6月。


一人の少女が心細げに肩を震わせている。


ナツミは今どこで、どうしているのだろう。

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