第5章 閃光

シャワーの雨が、ナツミの視界をぼんやりと包み込んでいる。


チアガール部の部員達は、にぎやかに着替えをしている。


「ちょっと石鹸貸してくれない?」


「どうぞ・・・先輩。」


隣のブースから白い腕が伸びてきて、ナツミの小さな手から奪っていった。


「でもナッちゃん、上手になったわよ。」


沙良先輩の言葉に、ナツミはうれしく思った。

 

「もう少しね。プロローグの踊りを上手にやれれば、サビのアップテンポの所がすごく生きるからね・・・。」


キャプテンはナツミの事が可愛かった。


何事に対してもひたむきで、今日の踊りにしても最初は全然だめだったのに、いつのまにか自分のものにしようとしている。


体操をやっていたという事もあるが、筋が良く、教えがいのある後輩であった。


(よーし、がんばるぞー。さっそく今日帰ったらおさらいしなくちゃ・・・。)


着替えを終わって人気のない体育館を覗くとまだ明かりがついている。


ボールが床にぶつかる音が聞こえてくる。


(まだ練習している人がいるんだ・・。) 


よく目をこらして見ると、タカシが一人でボールを追っていた。


真剣な表情でボールをドリブルしたり、シュートをしている。


汗が額から吹き出て散らばっている。


ナツミは右手を小さく結んで胸にあてると、心の中で呟いた。


(タカシ・・・がんばってるのね。ちょっと、カッコイイ・・・。)


ジャンプして放ったロングシュートがすっぽりネットにおさまると、タカシは膝に手をあててかがみ気味になって、荒い息をついている。 


ふと顔を上げるとナツミの視線と合った。 


シャワーの後でポニーテールにした髪がうなじを見せて大人っぽく見える。


きれいだな、と思った。


息が苦しくて言葉が出せず、タカシは白い歯を見せて笑った。


ナツミも微笑みながら近づいてきて、バッグから新しいタオルを取りだして渡した。


「サンキュー・・。」


タカシはタオルを受け取ると顔の汗を拭った。


いい、においがする。


「本当・・・大きくなったわね。」


タカシはナツミに見つめられて赤くなった顔を隠すようにタオルでゴシゴシ擦り、それをナツミに、ばさっとかぶせると叫びながら駆けていった。


「今日から俺んちに泊まるんだろ、下駄箱で待っててよ。すぐ着替えてくるから・・。」


ナツミはタオルを取って、怒ったように言った。


「もう・・・人がせっかく貸してあげたのに。汗くさいったら、ありゃしない・・・。」 


そして、タカシの汗で濡れたタオルを顔にあてて瞳を閉じる、と小さくつぶやいた。


「本当、汗くさい・・・。」


夏になって陽が長くなったのか、空はまだ明るかった。


もうそろそろ出番とばかりに、西の空が薄くピンクがかって夕焼けの準備をしている。


学校を囲む樹木に巣くう鳥が、わらべ歌のように鳴いている。


ナツミはその光景を胸に焼き付けるようにして、じっと見つめながらタカシを待っていた。


※※※※※※※※※※※※※※※※


「お待たせー。」


制服に着替えたタカシがやってきた。


二人は一緒に家路を辿り出した。


川沿いの土手の道は家までまっすぐ続いている。


「今度のオジさんの出張は、どのくらいなんだ?」


カバンを肩にかつぎ、タカシが言った。


「えーっと、来週の月曜まで、かなあー・・・?」 


両手でカバンを持ちながら、タカシの方を振り返ってナツミが言った。


「ふーん、わりと短いんだな今回は。」


「そーよ、だから今度の日曜日は、が料理作ってあげる。」


ナツミがうれしそうに言うと、タカシが意地悪く返した。


「げー、胃薬あったかなー。」


「何よー、どういう意味よ、それー。」


ナツミが小さな手を振りかざして追いかけるとタカシはおどけるように駆け出した。


そして今度はナツミがタカシを追い越し、ふり向くとアッカンベーをした。


すると三叉路になっている交差点から、大きなトラックが急に突っ込んできた。


「あぶない!」


タカシは反射的にナツミにタックルすると、手に飛び込んでいった。


一瞬振り向いた時、トラックのヘッドライトが、ともにナツミの瞳を襲った。


雷に打たれたようなショックが、全身を貫いた。


ナツミの意識が、空に舞った。


※※※※※※※※※※※※※※


「ナツメ・・・ナツメ・・・しっかりするんだ。ナツメ・・・。」


男の声で意識を取り戻し、うっすらとまぶたを開けた。


タカシの顔が見えた。


「タカシ・・・あたし、どうして・・。」 


それに安心したのか、ナツミは又、意識を失ってまぶたを閉じた。


そのまま、静かな寝息をたてて眠りについた。


※※※※※※※※※※※※※※


二人は土手の坂を、抱き合いながら転がり落ちていった。


カバンは投げ出されたまま、斜面にひっかかっている。


トラックは罵声をあびせると、猛スピードで去っていった。


「いってーな、ちくしょー・・・。暴走トラックめー。」


顔を少し擦りむいたタカシは起き上がると、落ちてきた土手の道を見上げて言った。


川原沿いに走るこの土手は、この辺りの公園にもなっていて斜面は緑の芝で覆われている。

 

二人が落ちた所も草花がクッションになっていて、幸い大けがはしていないようだ。


その草むらに、ナツミは目を閉じて気を失っている。


夕日がオレンジ色にナツミの白い肌を染めている。


ふくよかな頬を、風に揺れた草がくすぐってる。


「う・・・ん・・・。」


微かに声を出したナツミを見て、ホッとしたタカシはナツミを呼んだ。


「ナツミ・・・ナツミ。大丈夫か・・・?ナツミ・・・。」


タカシの声にまぶたを開けると、ナツミは潤んだ瞳で見つめている。


「タカ・・・シホ・・・?」


そう言うとフッと微笑んだあと、又、気を失ってしまった。


微かに寝息をたてている。


どうしようかと悩んだタカシであったが、決心したように立ち上がると、土手に散らばっている二人のカバンを取り、ナツミを抱き起こした。


「ナツミ・・・起きろ・・・ナツミ。」


タカシに抱き起こされたナツミは、肩につかまり立ち上がろうとすると『痛いっ』と足を押さえた。


「足、くじいたのかな・・・。」


そう言うとタカシはナツミを背中におぶり、両手にカバンを持って立ち上がった。


思ったよりもナツミの身体は軽かった。


だがやはり、おぶったまま土手を登るのはきつかった。 


しかし、ほぼ家の近く迄来ていたので何とか辿り着けそうだった。


ナツミの柔らかい身体が背中にからみつく。 


シャワーの後の、石鹸の香りが鼻をくすぐる。 


ナツミは眠っているのか、何か寝言のように呟いた。


「タカシ・・・ホ、好き・・・。」


タカシは一瞬ドキリとしてナツミを落としそうになった。


身体中がカーッと熱くなり、顔が真っ赤になった。


(ナツミ・・・。)


やがて家に着いて、玄関の扉を開けると、ちょうど廊下にいた母はびっくりして言った。


「どうしたの、タカシ・・・。ナッちゃんケガでもしたの。」


タカシはカバンを玄関に投げだし、そのまま階段を昇りながら言った。


「二人でふざけていたら、急に飛び込んできたトラックに轢かれそうになって・・。土手の坂を転がり落ちたんだ。そしたら足をくじいたみたいで、気をうしなっちゃって・・。」


ベッドに下ろしたナツミの右足を母が触ると、ピクッと反応した。


「まあ、かわいそうに・・。すぐ、シップしなくちゃ。着替えさせるからお前は下にいってなさい。お風呂わいてるから。」


「大丈夫かな・・・ナツミ。」


心配そうにのぞき込むタカシに、母は言った。 


「ああ、見たところ足以外は大丈夫みたい。明日にでも病院に行った方がいいかもね。今日は寝かせといてあげようか・・。あっ、タカシ隣で見てて起きるようだったら用意しておくから、ご飯食べさせてあげなさい。」


母の言葉に安心したのか、タカシはホッとした表情で下に降りていった。


そのままナツミは朝まで眠り続けた。


明日は雨になるのか、月に輪が重なっている。 


変に蒸し暑い夜であった。


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