12

 サーヴァン男爵の様子がおかしい。


 赤い顔をしているのは変わらないが、先ほどから刺すような視線を感じるのはどうしてだろう。


 ディナーの前菜が運ばれてくると、サーヴァン男爵は平静を装うように口に運んだが途中でむせて、白ワインで胃の中に流し込む。


 やっぱりおかしい。そわそわと落ち着きがないというか、心ここにあらずと言うか、とにかく妙だ。


「何かあったんですか?」


 たまらずティーゼが訊ねれば、サーヴァン男爵がもう一度げふっとむせた。


 サーヴァン男爵はティーゼの夫であるイアン・ノーティック公爵と同じ年と言うから八つ年上であるはずなのに、なんだか少年のように思えて、ティーゼはくすりと笑う。


「な、な、何もないぞ」


「そうですか?」


「もちろんだ」


「……それ、フィンガーボウルですよ?」


 焦ったように飲み干そうと手に取ったものがフィンガーボウルだと告げると、動揺したサーヴァン男爵がフィンガーボウルの中の水をひっくり返した。


(……本当に、どうしちゃったのかしら?)


 給仕が急いでテーブルと床の上を拭くのを、何ともバツの悪そうな顔で見つめている。


 こぼした水を綺麗に片づけられると、サーヴァン男爵がちらりとティーゼを見て、それからぼそぼそと言った。


「きょ、今日は何をしていたんだ?」


「今日ですか? 今日は本屋に買い物に行きました」


「ほ、本屋か……」


「ええ。でもほしいものがなかったので、そのあとでカフェでお茶を。チョコレートドリンクがすごく美味しかったんですよ」


「ひ、一人でか?」


「いえ、たまたま昔馴染みに会ったので、一緒に。彼がおごってくれると言ったので」


「『彼』⁉」


 がしゃんっ、とサーヴァン男爵がフォークを皿の上に落とした。


「き、君はその……、恋人がいるのか⁉」


「そんなはずないじゃないですか。これでも既婚者ですよ。彼は……、トーマスは、幼馴染なんです。実家の領地の隣に領地を構えていまして、昔はよく一緒に遊んでいたんです」


「トーマス……、アリスト伯爵家の隣の領地で伯爵家というと、クライスラー伯爵家か」


「すごい。よくおわかりになりましたね、そうです」


 ティーゼの実家がアリスト伯爵家だと、サーヴァン男爵に教えたことはあっただろうか? 教えなくても、ノーティック公爵家に嫁いだ女の実家となると、それなりに有名になるのだろうか。


「そうか……ただの幼馴染か」


 サーヴァン男爵が口の中でぶつぶつとつぶやいて、少しだけ口元を持ち上げる。


「君はチョコレートが好きなのか?」


「え? ええ。贅沢品なので滅多に食べられないですから」


「ノーティック公爵家では、望めばいくらでも用意されただろう?」


「人様のお金で贅沢はできません」


「人様……」


 サーヴァン男爵がショックを受けたように黙り込む。


 本当に、今日はどうしたのだろう。挙動不審なのはいつものことだが、いつにもまして様子が変だ。


 サーヴァン男爵はしばらく黙り込んでいたが、気を取り直したように咳ばらいをすると、勇気を振り絞ったような真剣な顔で言った。


「あ、明日、休みなんだ。よかったら庭でお茶でもしないか?」


 相変わらず熟れたトマトのような顔である。この赤面症をどうにかして治すのがティーゼの仕事なのだから、もちろん、ティーゼには異論はない。


「ありがとうございます。ぜひ」


 サーヴァン男爵とお茶をするのも仕事の一環である。だから誘いに乗ったのだが、男爵はなぜかぐっと拳を握りしめて、「よし!」と小さな掛け声をあげた。


(はじめて会ったときも言っていた気がするけど、あの「よし」っていったい何の掛け声なのかしらね?)


 ティーゼはさっきよりも機嫌がよくなったサーヴァン男爵を見つめて、小さく首をひねった。

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