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「……どういうことだ?」


 イアン・ノーティックはノーティック公爵家の執事からの報告を受けて、ぐっと眉を寄せた。


 ここはノーティック公爵家が所有している、王都の小さな邸の一つだ。曽祖父が国王だった由緒正しいノーティック公爵家は国で一、二を誇る大金持ちで、金の使い道がないからと、父である先代公爵があちこちに家を買っているから、王都の中にも本宅以外に四つの家がある。ここはそのうちの一つだ。


 本宅からはほど近いところにあるこの家にイアンが住んでいることを、妻であるティーゼは知らない。


 イアンはティーゼと結婚した五年前からこの家に住み、一日に一度、本宅の執事であるマイアンに家の様子を報告させていた。


 マイアンは先代である父のころから公爵家に仕えてくれている厳格な執事だ。マイアンは父と年が近かったせいか、イアンにも容赦なく小言をくれる、ある意味煙たい存在であるが、頼りになることには変わりない。


 そのマイアンが、珍しく息せききってやってきたから、イアンは目を丸くして、彼からの報告を聞いた。


 曰く。


「ティーゼが、働きに出たいと言い出した?」


「は、はあ……」


 イアンは銀色の髪をぐしゃぐしゃとかき回した。


「どうして⁉」


「奥様は社会勉強だとおっしゃられていますが……、メイドの一人が、その……、奥様が伯爵家の借金を返そうと思っているのではないか、と」


「借金? 今更か? あんなもの、返す必要などないだろう」


「旦那様がそうでも、奥様はそう考えていらっしゃらないのではないですか?」


 じとりとマイアンから睨まれて、イアンは言葉に詰まった。


 結婚して五年。イアンは一度もティーゼに会いに行っていない。結婚式もしなかった。できなかったのだ。仕方ないだろう。イアンにはイアンの事情があるのだから!


「それもこれも、旦那様が一度もお帰りにならないことが原因かと思いますけどね」


「うぐ……」


「いつまでも、うじうじうじうじと。いい加減腹をくくればいいでしょうに」


「くっ」


「まさか死ぬまでお会いにならないつもりですか?」


「そんなつもりはない!」


 イアンはムッと口をとがらせて、それから大きく息を吐きだした。


「……とにかく、働きに出るのは却下だ」


「と、おっしゃられましてもね。奥様はそのう、我々の想像をはるかに超える行動をおとりになる方ですから、禁止されたら何をされるか……」


 マイアンは遠い目になった。


 ティーゼが公爵家へ嫁いで早五年。彼女が起こした問題行動は、それこそ数えられないほどである。


 例えば嫁いできて三か月後のこと。お飾りの妻にたくさんの使用人は不要だと言って、ティーゼは身の回りのことは自分ですると言い出した。認められないと言えば今度は大きな部屋で生活しているから使用人の数が減らせないのだと言い出して、公爵夫人の部屋ではなく屋根裏部屋をよこせと言い出す始末。結局マイアンが折れて、奥様の侍女はティーゼが連れてきたフィルマただ一人となってしまった。


 次に半年後。社交をしない妻には豪華なドレスは不要だと言って、今後一切ドレスを買うなと言い出した。どこに行かなくとも公爵夫人はその身分のあった威厳を保つ必要があると言っても聞く耳持たず、買うのをやめないなら好きにすると言わんばかりに、豪華なドレスを片っ端から孤児院に送りつける始末。もらった孤児院側も、さすがにドレスをどうしていいのかわからずに困り果てて公爵家にやってくるから、仕方がないからドレスを回収して代わりに金を渡しての大騒ぎ。最終的にはこれもマイアンが折れて、ドレスの購入は季節に一着ずつにするという妥協案に落ち着いた。


 今度は一年後。公爵家の生活に慣れてきたティーゼが、自分の食事を質素にしろと言い出した。こんなに豪華な食事はもったいないから、パンとスープと卵だけでいいと料理長に直談判に行って、大慌てでとめに入ったマイアンに、できないならマイアンの食事と自分の食事を交換しろと訴えた。ただ日がな一日ぼんやりしてすごしている自分が、こんな豪華な食事を食べてはいけないと言うのである。ここでも公爵夫人がなんたらかんたらと説得を試みたが聞く耳持たず。これまたマイアンが折れる羽目になって、けれどもさすがにパンと卵とスープだけは問題があるので、今よりももっと食費を押さえるからそれで許してほしいと交渉した。


 それからさらに半年後――……、これ以上も同じパターンでマイアンが連戦連敗中なので、もうやめようと思う。


 ともかく、あの奥様は言うことを聞かなければ何をするかわからないのだ。夫であるイアンならいざ知らず、使用人にすぎないマイアンでは、奥様を諫めるのにも限界がある。


 イアンはふむ、と顎に手を当てた。


「……つまりは、言うことを聞かなければティーゼが勝手に働きに出る可能性がある、と」


「左様にございます」


「それは困るな」


 ティーゼは十五歳で公爵家へ突然嫁がされた世間知らずだ。ふらふらと働きに出て、誘拐でもされたら大変である。本人は無自覚だが、ティーゼはそれはそれは可愛いのだ。イアンは壁にかけられているティーゼの肖像画に視線を向けて、うっとりと目を細めた。


 赤銅色の艶やかな髪にブルーサファイアのような瞳の小柄な少女。……この肖像画が届いたときから五年もたったから、今はさぞ美しい女性に成長していることだろう。そんなティーゼがどこかへ働きに出る? 言語道断である。絶対に許可を出したくない。けれどもマイアンの言う通り、許可を出さなければどんな行動をとるかわからない猪突猛進、直情型の性格の持ち主だ。困った。


 イアンが悩んでいると、マイアンが名案を思い付いたとばかりに顔をあげた。


「妙案がございます」


「妙案?」


 マイアンはにっこりと微笑んで頷いた。


「ええ。旦那様がお雇いになればよろしいのです」


 三拍後。


「はあああああああ!?」


 イアンは素っ頓狂な声をあげた。

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