三匹目

「おまえは、今日からサディジールを名乗れ。あと、二人っきりのときは俺をロイって呼んでいいぜ」


 十五歳になり、ロイボルト・サディジール氏の計らいで〈赤ずきん〉に配属された頃。

 訓練時間外に人類軍本部資料室の端末で絶滅動物について検索するのが、私の日課になっていた。立体映像ホログラムとして映し出される情報が、薄暗い空間を照らした。

 幼少期から肉よりも魚介類を食べる機会が多かった私には、どの動物の情報も新鮮だった。

 ――一度でいいから、自分の目で見てみたかったな。

 生の鳴き声を聴くことも、毛並みに触れることも絶対に叶わない。狼のせいで。

 鳥類の中にはかろうじて生存している種も存在するが、狼の進化次第ではそれも危ぶまれる。

 端末を操作していると、背後から三人分の足音が近づいてきた。

「よぉ、セリフィア」

「昼飯まだ? 俺らと食いに行かねえ?」

 別部隊の若い男性隊員たちだった。

 訓練などで顔を合わせたことはあるが、何故大して親しくもない私を誘うのだろうか。

 身体ごと振り向き、会釈えしゃくして私は淡々と答えた。

「申し訳ございません。昼食は既にりました」

「なんだ、そっか」

「なら、食後のでもしようぜ」

「そうそう、いい場所知ってんだよ」

 彼らの下卑げびた笑みで、私はすぐに察した。

 こういう表情かおをする大人には、ろくな奴がいない。旅芸人一座に加わる前の孤児時代に、嫌というほど見てきた。

「謹んで遠慮いたします」

「まーまー、かてえこと言うなって」

 一人の手が肩に伸びてきた時。


「おい」


 怒鳴ったわけでもないのに、入口から聞こえた呼び声は、資料室に低く重く響き渡った。

 途端に空気が張り詰め、男たちがぎくりと身を強張こわばらせた。

 軍靴が床を踏みしめる音が、悠然と近づいてきた。

 背筋を伸ばし、私は敬礼した。

「おまえら、ヴァーミリオン中隊だろ」

「サディジール大佐……ッ」

「いい機会だ。イーストクラウドのいけ好かねえツラに、泥でも塗っとくか」

 同じく敬礼しながらも怯える三人に、大佐――ロイは不敵に言い放った。

「てめえんとこの陰湿な屑どもが俺んとこの隊員に手ぇ出そうとしやがったから軍務規定違反で処分した、ってな」

「いえ、その、自分らは――」

「山で狼の餌になるか、海でサメの餌になるか、好きなほうを選べよ」

「も、申し訳ございませんでした……!」

「ご無礼をお許しくださいッ」

「謝る相手がちげえだろ。まあ、セリフィアの冷静さに免じて見逃してやるが」

 端末の照明を映し込む眼光が、剣よりも鋭く男たちを切りつけた。

二度目つぎはねえぞ」

「はッ、肝に銘じます……」

「失礼いたしますっ」

 バタバタと慌てて去っていく彼らには目もくれず、ロイは私の頭をぽんと撫でた。わざわざ軍用の革手袋を外して。

「男は狼だから気をつけろ、ってことを歌った曲が、大昔にどっかの国で流行ってたらしい」

「……?」

「警戒心がつええのはいいことだ」

「いつからお聞きになっていたのですか?」

「馬鹿どもが食後の運動とか言い出しやがった辺りから」

「お手をわずらわせてしまい、申し訳ございません」

「おまえが謝る必要なんざねえよ。通りかかっただけだし」

 彼の褐色の顔に、満足気な笑みが浮かんだ。

「んなことより、おまえ、こないだの模擬戦成績一位だったんだってな」

「はい」

「やっぱ俺の勘と見込みは正しかったな、うん。鋼機猟兵スカーレット中隊長として鼻が高いぜ」

「私が正式に配属される前、あなたが基礎的な戦法を一通り教えてくださったおかげです」

「俺は大したことはしてねえよ。訓練での教え方は、副隊長あいつのほうがよっぽど上手い」

 厳しい訓練にもを上げずに付いていけたのは、運がよかったのかもしれない。旅芸人時代にも、身体能力には元々自信があった。玉乗りやナイフ投げなどの芸で鍛えた技術も、多少は活かせていた。

 未成年者の採用は、人類軍では推奨されていなかった。だが、狼との戦闘による死傷者の増加によってそうせざるを得ない状況に陥ったらしい。傭兵やならず者まで、主に歩兵として加える有様だ。ただし、対狼用人型兵器〈狩猟鋼機ハンター〉の操縦者パイロットになるには、相当の実力や技量が必要になる。

「おまえが実戦で活躍する日も楽しみだ」

「あなたからいただいた名に恥じぬよう、誠心誠意励みます」

「俺のためじゃなくていい。自分のために戦え。俺たちが初めて会った、あの日みてえにな」

「承知いたしました」

 全力で生きようとする奴が好きだ――と、あの日ロイがかけてくれた言葉も、何度も思い出していた。狼を根絶やしにする時まで、私は己を鍛え上げて生き続ける。

 先の三人に対しても、いざとなれば自力で対処するつもりだった。ロイから教わった護身術を試すために。

 それでも、呼吸が楽になったのは、彼がこの場に来てからだ。

「……彼らに囲まれた時、本当は、少し気持ち悪かったです」

「そうか」

 ロイのたくましい腕にそっと抱き寄せられ、額が厚い胸板に触れた。軍服の布地越しに伝わる体温も、僅かに残った緊張感をほぐしてくれるようだった。

 頼もしいぬくもりにまぶたを閉じ、私は黙って支えてくれるロイに胸中で感謝した。


   ◆


 ロイと出会った日、初めて彼の〈ハンター〉に乗せてもらった時の出来事も、鮮明におぼえている。

「飛ぶ乗り物は初めてか?」

 操縦席コックピットでロイの脚の間に座った私は、只々圧倒された。瞬く間に通過していく前方の景色に。鳥よりも遥かに速く、私たちは飛んでいた。

「さすがに狼も空までは追って来ねえからな。移動だけなら飛ぶほうが楽だし速い」

「私たちは、旅芸人として色々な地域を回りましたが、移動にはずっと座長の車を使っていました」

「へぇ。おまえはどんな芸してたんだ」

「一番得意なのは、ナイフ投げです。玉乗りやジャグリングもしました」

「それ、避難民の居住区で見せてやりゃ、たぶん喜ばれるぜ」

 旅芸人という仕事は白眼視されることも多かったが、彼は私の素性を知っても馬鹿にはしなかった。雑談するうちに、心が軽くなっていった。

「私にも、狼を殺せるようになるでしょうか」

 ぽつりと、願望が口を突いて出た。

「この機械に乗れば、私もあいつらとまともに戦えるでしょうか」

「仲間の復讐か?」

「それもありますが……単純に、もっと強くなりたいです。狼に苦しめられる人を、少しでも減らしたいです」

「いい心構えだ」

 操縦桿を握るのとは逆の手で、ロイは私の頭をぽんと撫でてくれた。

「俺は、復讐については否定しねえよ。戦う理由の一つにはなるしな。だが、それに囚われすぎて自分を見失った奴は、狼に喰われて終わる」

 子どもの他愛ない理想をからかうでもなく、彼は真剣に答えた。

「だから、まず自分のために戦え。自分が生きてさえいりゃ、救える命も増える」

「……はい」

「おまえが望むなら、戦い方の基礎の基礎でよけりゃ教える。ぶっちゃけると、人類軍っつーか〈赤ずきん〉も人手不足でな。おまえが正式な訓練に参加できる歳になったら、副隊長――さっきのあいつに頼んで任せる」

「どうして、そこまでしてくださるのですか?」

「さっきのおまえの眼にも、何が何でも生き抜いて戦う意志を感じた。こいつはいい戦士になると思った。俺の勘は当たるぜ」

 自信満々に断言したロイの言葉は、どこまでもまっすぐで。砂漠を燦々と照らす陽光にも似て、私の胸を熱くさせた。

 旅芸人の仲間に支えられ守られていた時間も、もう終わった。この時からは一人でも生きていかなければ――と己を奮い立たせるほどには、ロイの存在は大きかった。座長とはまた別の頼もしさに、私は決意した。


 今日からは、この人に付いていこう。

 大きな背中に追いついて、胸を張って並び立って戦えるように。

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