第16話 とある新任者の学校案内(後編)


 「魔女の家」へと意を決して中に入ったは良いものの、なんだか拍子抜けするくらいにはまともな内装だ。日本の魔術研究のメッカたる国の機関なので当たり前と言えば当たり前なのだけれど。


 今のところ、公的に魔術を扱えるのは「魔術法」により軍属の者に限られている。民間で制限無しに運用させるにはまだ、魔術にはリスクと未解明の謎が多すぎる。

 故に、魔術の研究は軍の管轄たる研究室でしか実質的に認められていない。


 入口でスリッパに履き替えて、どんどん進んでいってしまう橘教官を追いかける。まるでどこに何があるのか勝手知ったるというか、いつも来慣れてるかのような足取りだ。それでいて心底嫌そうな顔が崩れる気配は無い。


 昼間だというのにやけに薄暗い廊下を通り階段を上がる。広さのわりに誰とも通りすがらない上に人気も感じない。


 やがて彼女は一つの部屋の前で足を止めた。頭上のプレートには「戦術級研究室」と書かれている。

 ドアノブに手を掛けようとする橘教官。少し躊躇いつつも、ノックもせずに無造作に開け放った。


「私だ」


 だだっ広い部屋に所狭しと機材が並んでいる。中で作業していた白衣姿の女性研究者たち十数名は私たちを見るや否や、歓声を上げつつ満面の笑みを浮かべながらわらわらと集ってきた。


「橘教官!お久しぶりです!」


「またじっけんだ……げふんげふん、試製魔術の試行に協力して頂けるんですね!」


 私のことはそっちのけで、教官はなんだか妙にハイテンションな彼女らに囲まれてしまった。時折不穏な単語も聞こえてきたのは気のせいだろうか。


「ああもううるさい!私が用があるのはあいつだけだ!」


「おや、やけに賑やかだと思えば僕の愛しの相棒じゃないか。それに見慣れない一般人も」


 彼女の叫びを引き継ぐように、後ろから声を掛けられる。私たちが入ってきた扉から音も無く入ってきたのは、同じく白衣を纏ったセミロングの髪の女性だった。


三國みくに、その呼び方は気持ち悪いからやめて。それにその魔術師至上主義的な価値観は直してって前から言ってる筈だけど?」


「おいおい、学生時代は3年間同じ班として寝食を共にした仲間じゃないか。ひどいぜまったく」


 2人は仲がいいのか、三國さんとやらが橘教官の背中に張り付いて猫撫で声を出している。


「それに魔術の研究員たる僕は非魔術師相手に割く時間は持ち合わせていないだけさ。某起業家だって、服を選ぶという些細なリソースすら惜しんで、毎日同じ服を着回したという逸話もあるだろう?」


 意識高そうな口ぶりに反して、まるでユーカリの木にしがみつくコアラのように教官にひっついている。しかも初対面なのに遠回しにコミュニケーションを拒否されてしまった。


 ……何だか蚊帳の外が続いてしばらく経つがそろそろ私がここに連れて来られた意味を教えて欲しい。


「あっそ。彼女はこの度の移動で総務部に配属になった相田伍長だ。それでも無関係とあしらう真似を続ける?」


「……それを早く言ってくれよ!」


 ぐわっとこちらに振り返ったかと思えば、ややサイズの大きい白衣を整えて、笑顔で手を差し伸べてきた。


「先ほどは無礼な真似をして悪かったね。魔術科学校研究部、その中でも主として『戦術級魔術』の実験開発を行なっている戦術級研究室室長の三國中佐だ。どうぞよろしく」


「あ、はいこちらこそ。よろしくお願いします」


 求められるままに手を差し出すとしつこいくらいに上下に振られる。

 橘教官と同期で既に中佐の階級を与えられていることに驚愕。魔術師で研究職ということは、魔術科学校から軍大に入り、首席で卒業してなおかつ最短で技術高級課程TACを出た、といった経歴だろうか。何にしろ尋常ではない優秀さだ。


「相田伍長、役職問わず総務部の人間は研究部と繋がっておくのは大事です。研究部絡みの厄介ごとがわんさか降ってきますから」


「……というと?」


「面倒な案件が降ってきたらこいつにぶん投げれば、概ね解決します」


「我々研究部は総務部に迷惑かけ通しだからねえ。あまりにも嫌われすぎて研究に支障が出るくらいに」


「やれ湯水の様に備品を寄越せだの実験の余波による近隣住民からのクレーム対応だの施設損壊だの……」


 嫌な記憶が蘇ってきたのか頭を抱える教官。どうやら教育部も無関係とはいかなかったらしい。


「相田くん、どうか研究部をよろしく頼む。もはや総務部の面々は私や研究部長を見るや否や目を逸らしてどこかに消えてしまうんだ」


「それは態度を改める必要があるのでは……」


「同感です。しかしながら悲しいことにこのバカが今の日本魔術研究の最先端を担っていることもまた事実なのです」


「君たちー?僕一応中佐で室長だからなー?」


 ごほん、とわざとらしい咳払いをして室長がやけに馴れ馴れしく肩を組んできた。


「君には総務部と研究部の橋渡しを頼みたい。我々が起こした面倒ごとはこちらに投げてくれたら我々自身で何とかしよう。だからせめて研究活動を円滑に進められるよう便宜を取り次いでくれ」


「まあ努力はしますが……新任がどれだけ希望を通せるかは未知数かと」


「えてして組織というものは間に人を挟むだけで円滑に進むものさ。……君はこちらに来たばかりだろう?軍の人間が来ない穴場の居酒屋があるんだが――良かったら今夜どうだい、ああ勿論支払いは任せてくれたまえ」


「室長、この相田も全く同意見であります。ぜひ魔術の発展を祈念して祝杯を上げさせてください」


 地方では飲食店の数も限られてるせいで、職場の人間と鉢合わせることも珍しく無い。羽根を伸ばして遠慮なく職場の愚痴を溢せる場所は大変貴重だ。


 室長と無言で頷き合う。人の奢りで呑む酒ほど美味しいものはなかなか無い。今ここに契約は交わされたのだ。


「我々だけで一足早く歓迎会と洒落込もう。桐花きりかも来るだろう?」


「相田伍長を酔ったあなたに任せるわけにはいかないでしょ」


 教官の名前は桐花、というらしい。名は体を表すと言うようにしっくりくる。

 一見すると、その長身ときりっとした顔立ちから少し近寄り難い雰囲気を感じるけれど、少し話してみると、丁寧な物腰と花のように咲く柔らかな笑顔が大変魅力的だ……って私は何を考えてるだろう。


 どうもお姫様抱っこで空に上げられた時の彼女の笑顔が脳裏に焼き付いて離れない。この鼓動の高まりはきっと吊り橋効果、というやつに違いない。


 不意にけたたましくラッパの音が響く。

 一同会話を止めて、夕焼けを背景にゆったりと下がっていく国旗に正対する。知らぬ間に17時を迎えていたようだ。


 僅かにビブラートのかかった音の余韻が消える。今日のラッパ手はなかなかの名手だ。担当が音楽隊だったのかもしれない。


「結局午後いっぱい時間を使わせてしまいましたね」


 長い髪を耳にかけて、少し申し訳無さそうにはにかむ彼女。その笑みは、まるで雨上がりの夕日のようで一瞬見惚れてしまうほどだった。




「きーりーかー!僕の話ちゃんと聞いてくれよー」


「2人ともペース上げすぎ、ほら水飲んで」


「そうですよしつちょー!きりかせんぱいも困ってるじゃないですかぁ」


「相田伍長、あなたにも言ってます」


「やだー!なまえで呼んでくれなきゃやだー!」


「はいはい……文香ふみかさん、お水置いておきますよ」


「おみじゅのむぅぅぅぅぅ!!!」


 視界が揺れて心地良い。

 感情を推敲もせずに吐き出すことの気持ち良さったら例えようもない。

 というより今自分が何を口にしてるかもよくわからない。なんだか後々後悔しそうな気もするけれどそれすらも気のせいだろう。


「えへへ〜きりかせんぱいかっこいーすきー」


「ふみかくんー?きりかはぼくのだぞー?」


「でもしつちょーはなまえでよばれてないからわたしのかちですぅー」


「きりかぁ!いいかげんなまえでよんでほしいんだが!ぼくのおもいはいっぽーつーこーか!」


「いや今更名前呼びするのはなんか気持ち悪いし……」


「うわあああああんんんんきりかひどいよおおおおおおおおお」


「はいきりかせんぱいはわたしのものー!!」


「……誰か助けて」




 散々騒いで、意識が飛んでいたらしい。

 ぼんやりと覚醒しつつある体は揺り籠のように揺られている。

 顔の前にはなぜか黒髪。呼吸するとほんのり汗の香りがする。でも決して嫌ではなく、むしろなんだかずっと嗅いでいたくなるような不思議な香りだ。


「あの、あまりそうされるとその、恥ずかしいのですが……」


 橘教官の声がする。それも何故か顔のすぐ側で。

 そこで完全に目覚めた。


「わっわっ!すみません!私寝ちゃってましたか?!」


「お気になさらず。それはもうテコでも無いと動かないってくらいには爆睡でした」


「うう、面目無い……」


 恥ずかしさで死にたくなる。きっと今の私の顔はゆでだこのようになっていることだろう。

 新天地で打ち解けつつあるからと言って調子に乗ってしまったようだ。穴があるなら入りたい。


 三國室長はもう限界とばかりにふらふらと私たちの後ろについてきている。その目は死んでいて、既に足の速い二日酔いが来たようだ。


「しかし、お酒が入ると人が変わるんですね。なかなか可愛らしかったですよ?」


 教官はくすくすと笑う。

 まるで心当たりが無かったので、アルコールの海から記憶を呼び戻す。

 モヤがかかったかのようにピントが合わないけれど、辛うじて自分の発言は思い出すことができた。


「あわわわわわわすれてください教官大変失礼なこと言ってましたごめんなさい」


「おや、もう桐花先輩とは呼んでくれないのですか、さん?」


「……勘弁してください」


 しかも軽率に大好きとか私のモノとか言っていた気がする。今日会ったばかりの人間に対する距離感では無い。はたから見れば完全にやばい人だ。


「……私はあまり後輩に好かれる人間ではありませんから、悪く思われてないのは少し嬉しかったんですよ」


 うちの教育部の後輩は、だいたい全員戦闘訓練でぼこぼこにしてるので仕方のないことではありますが、と少し寂しそうに冗談めかして語る教官。


「き、桐花さんはその、素敵な人だと思います」


「素面で言われるとなかなか恥ずかしいものがありますね」


 照れたように顔を背ける先輩。

 その姿がなんだかとても愛おしくて、首に回した腕をぎゅっと引き寄せた。

 なんだか後ろから怖い視線とともに、いちゃいちゃしやがって……と怨嗟の声が聞こえるが、気づいていないふりをしておく。


「あれ、というか良く私の家ご存知ですね?」


 3人で揃って歩いているのは私の借りているマンションへの道だ。事実、この角を曲がればもうすぐそこにある。


「おいおい、文香くんは呑むと記憶を飛ばすタイプかい?」


 ようやく悪酔いが落ち着いたらしい室長に声をかけられる。揃ってマンションに向かい、彼女がエントランスの鍵を開け放ったところでようやく合点がいった。




「それにしても桐花に続いて君まで同じマンションで同じ階とはね。いったいこれはどういう因果かな?」


 元々彼女たちがひとつ部屋を挟んで同じ階に住んでいたところに、間を縫うようにして私が入居したようだ。


「なんだかお二人とは縁のようなものを感じますね」


 先輩の背中から体を離して地面に立つ。まだ少し揺れている感覚が残っている。服に籠った体温はどちらのものか、少し名残惜しい。


「今日一日ずっと、き、桐花先輩にお世話になりっぱなしでした。また何かでお礼をさせてください」


 まだ少し名前呼びは照れくさい。なんせ今日の昼出会ったばかりだし、あまりにも急に距離が縮まったものだからいちいち戸惑ってしまう。


「それは楽しみにしておきます。明日からお互いに頑張りましょう、文香さん」


「いや急に2人の世界に入らないでもらっていいかな?しかも僕だけ名前で呼ばれてないから疎外感すごいぞ君たち!」


「流石に中佐で役職持ってる方にはフランクにはなれないというか…」


「そもそも私はお前に体良く魔術の実験台にされて以降、好感度は日に日に下がっているのを忘れないでくれ」


「いや文香くん酒入ってるときまあまあ失礼だったからね?!桐花に関してはもうほんとごめんなさいなんだけど君以上の適任が居なくて困ってるの!」


 室長は言うだけ言って自分の部屋へ帰ってしまった。ちょっと寂しそうだったし、もう少し打ち解けたら名前で呼んであげたほうがいいのかもしれない。いやまあ階級だけで言えば遥か上の方なんだけども。


「それでは、また」


 桐花先輩も自分の部屋へ戻ろうとする。

 といっても私のお隣さんだから、何だか変な感じだ。


「はい、おやすみなさい」


 見送って、自室に戻った。

 やや気怠い体をベッドに放り込む。

 正直まだ仕事も何もわからないけれど、良い人たちに出会えたから、幸先は悪く無いはずだ。


 第1魔術科学校、魔術とそれを扱う魔術師。

 縁遠いと思っていた世界はしかし、今日一日で意外にも近しいものだと知った。裏方として彼女らのサポートができるなら、この仕事にも誇りが持てる気がする。


 目を閉じて、眠りへと入っていく。

 瞼の裏に焼き付いているのはやはり、桐花先輩の笑顔だった。






 









 


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

サクラ・マギア・スクールライフ 葵ゆづき@ElcVwa @Aoityan223

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ