第15話 とある新任者の学校案内(前編)


 「相田あいだ伍長、着任いたしました」


 軍の指揮下にある魔術師専門の養成・研究機関。

 とりわけ、日本で最も初めに創設され、大海を臨める立地と立ち並ぶ桜の木から、「桜海おうみ」と称される、ここ第1魔術科学校。


 私はいま、それを統べる方の部屋に居る。

 第1魔術科学校長、言ってしまえば我が軍に居る全ての魔術師の中で最も権威のある方だ。


「ご苦労様、移動人事がもたついてしまって悪かったね。気が気じゃ無かっただろう」


 穏やかで、それでいて心の落ち着くようなゆったりとした声で微笑みかけてくる。まあ、軍人としては、この種の人間が最も怖いことを知っているのであまり心安らかには居られない。


「滅相もありません。私の原隊の人事がかなりごねていたという様に聞き及んでおりましたので」


「魔術科も嫌われたもんだねえ」


 やれやれ、と頭を押さえる彼女はなんだかどこにでも居る管理職のようだ。


「まあうちとしても、君の能力の高さを見込んでのヘッドハンティングではあったからね。少々ごり押しさせてもらった次第だ」


「恐縮です」


 一体全体どんな手を使ったのだろう。魔術師ではない私にはとんと検討もつかない。従わない人間を呪ったりなんかできたりするのだろうか?


「さて、君は学校総務部への配属だったね。まあいきなり仕事の話をするというのもなんだし、少し学校を案内させようか」


 学校長が内線でどなたかを呼び出す。

 受話器を取って指示するだけのほんの僅かな時間。要件を伝えて受話器を置いたその瞬間に。


「橘軍曹、入ります」


 軽いノックと共に部屋に入室して来たのは、長身で長い黒髪の綺麗な人だった。


「さすが橘だね、時でも止めてきたのかい?」


「はい、3秒ほど」


 ……これは何かの冗談なのだろうか?

 新任を前にしてからかっているのかもしれない。


「では相田伍長、私が案内いたします」


 何事もなかったかのように微かな笑みでエスコートを始める様は、どこかの王子さまのようだった。




「では改めて、教育部で教官をやってます、橘軍曹です。これからよろしくお願いします」


「あ、いえこちらこそ。この度総務部に着任しました相田伍長です」


 本部隊舎を出て2人で歩みを進める。

 私の頭の中はさっきの出来事でいっぱいだった。時って、時間のことだろうか。それを止める?


 たしかに魔術については情報の規制が掛けられているせいで、他兵科からしたら謎だらけだけど、いくらなんでもそんなことはできないだろう。


「あの、すみません。さっき電話が終わると同時に部屋に来られましたけど、教育部って学校長室のすぐ側で勤務してるんですか?」


「? いえ、教育部はあそこの……ここから見える、そう、その隊舎が勤務場所です。さっきは時間を止めて来たんで」


「はぁ……」


 彼女が指差す隊舎は、やや遠くにぽつんと建っている。どう見積もっても直線距離400メートルはあるだろうこの距離。


 なるほど、時間でも止めなければ一瞬の間には来られまい。


「……っていやいやいやいや」


 至って真面目な顔で説明されてしまったので危うく納得しかけてしまったけど、そんなことあるわけない。


「そんな、アニメや漫画じゃあるまいし。冗談ですよね?」


 部隊が転入者を祝した訓練やドッキリをすることもままあるのでその類だろうか。やけに地味な始まりだけど、ここから先どんどん派手になっていくのだろう。


「え、結構止めますよ時間。仕事定時に間に合わせたい時とか」


「いやわりかしカジュアルに使いますね?! そういうのっておいそれと使って良いものなんですか?!」


「まあほんとはダメですけど結構やってますね。建前上は訓練の名目で」


 橘教官の純粋な目を見てるとなんだか本当のことのように感じてしまう。私が無知なだけなのだろうか。


「にわかには信じ難いですね……。何分あまり魔術師の方と接点が無いものですから、私には冗談を言っているように聞こえるんですよ」


 私の言葉に彼女はふむ、と少し考え込んで。




 次の瞬間、私は空に居た。お姫様抱っこで。


「?!?!!?!!?」


 言葉にならない声しか出ない。

 航空機からロープを伝って降りた時リペリングのような高所の恐怖がどっと押し寄せる。


「大丈夫ですよ、魔術で浮いてるだけですから」


 まるで母親が子をあやすような声。

 ほんの数瞬前には地上にあった私の身体は、瞬きすら必要としないわずかな時間で宙に舞い上がってしまったのだ。

 彼女の長い髪が頬に触れる。そのなんとも言えないくすぐったさと、支えられている腕から伝わる温もりだけが今の私の頼りだ。


 「これで信じてもらえましたか?」


 そのいたずらな笑顔はきっと、死ぬまで忘れられないだろう。




「……橘教官って、結構お茶目な方なんですね」


「そうでしょうか?学生からは怖いだの無愛想だの散々言われていますが」


 やっと地上に戻してもらい、案内を進めてもらう。早鐘を打っていた心臓もようやく落ち着いて来たところだ。


「それにしても、魔術とはまるでアニメのようですね。生活も我々より遥かに便利でしょう」


「そうでもありませんよ。第一、軍の敷地外では許可無く魔術の行使はできませんから」


 それに、と彼女は続ける。


「便利なようで意外と調節が効かないんですよ。複雑さを増せばそれだけ工程も消費する魔力量も増えますし」


「私どもからすれば難なく扱っているように見えるのですが、意外とそうでもないんですね」


「そういうことです。……自慢、というわけではありませんが、時間停止魔術を扱える人間は日本には両手の指で数えるほどしか居ないんですよ?」


「これは貴重な経験をありがとうございます」


 お互い顔を見合わせてくすくすと笑う。

 さっき初めて会ったばかりなのに、十年来の友人のような、そんな気の置けない居心地の良さを感じている。

 階級で言えば橘教官の方が上なのだけれど、随分と物腰が丁寧だ。顔立ちからして私と同世代くらいだからだろうか。


 しばらく歩いていると、学校内の海に面した通りに出た。


 強い海風が頬に吹き付けられる。

 濃厚な潮の香りはしかし、馴染みが無いのにも関わらず、意外と好きになれそうだ。

 5月の頭だからか、桜の木はその花びらを完全に落として緑色に染まっている。

 少し管理が行き届いていないと思しき段差のついたコンクリートといい、なんだか本土から離れた島にいる気分だ。

 

 周りには特に直接関わるような建物は無い。これでは昼下がりの散歩のようだ。


「それにしても随分広い敷地ですね」


「外周だけで5キロメートルありますからね。散歩にはちょうどいいでしょう?」


「やはり確信犯でしたか」


「さて、何のことやら」


 如何にも真面目な教官風の雰囲気が滲み出ているけど、意外と気の抜きどころはわかっている方のようだ。所属は違えど、同僚に居れば有難いタイプの人間。


「そういえば相田伍長の原隊を聞いても?」


「1通です。アンテナ建てたり、ドラッパチを引っ張ったりしていました」


「通信大隊ですか。そんな方がここに来るなんて珍しいですね」


「自慢じゃ無いですけど、こう見えて係事務は得意なんですよ。原隊では4つ掛け持ちしてたんですよ?」


「得心が行きました。頼もしい限りです。うちの学校ほんと人手不足が激しくて……」


 苦笑する橘教官。その顔は随分と仕事を背負わされたことのある人の顔をしている。


「閉鎖的と言うか、魔術師至上主義みたいなところがあって、事務員の補充ですら少ない魔術師のパイを全国の学校と部隊で取り合ってますから……学校長が変わってだいぶ改善されたので頭が上がりませんね」


「なんだか魔術師らしからぬ、じめっぽい話ですね。もっと合理主義的なイメージがありました」


「所詮人間の集まりですから。それも魔術師は女しか居ないんで縦社会極まってます」


「……私、通信の人間だからってハブられたりしませんよね?」


「もしそんなことがあったら私を呼んでください。そんな不心得者には差し上げますよ」


 ……頼もしい限りだ。




 があん、と鐘の音が聞こえる。

 時間から見るに6限目くらいだろうか?

 随分ゆっくり歩いたせいで、まだ一周しきれていない。


 ふと、気がつくとなんだかやけに騒がしい。隊舎に挟まれた、やや広けた空間で何かが行われているようだ。


「あぁ、あれはちょうど私が受け持ちしてる区隊が訓練をしているところですね」


 私の疑問を先回りして解決してくれる。

 ちょっと見ていきますか、との誘いでとことことついていくと。


「……!!!」


 人だかりの中心で、まだ年端も行かない少女2人が模擬では無い銃剣を手に斬り合っているではないか。


「え、ちょっと、あれ大丈夫なんですか?」


 思わず動揺しつつ橘教官に尋ねる。

 私も軍人の端くれとして格闘は経験あるけど、流石にここまで実戦に近く危ない訓練は見たことがない。しかしながら彼女は何でも無いような態度だ。


「ご心配には及びませんよ。お互い身体強化魔術アスポルターレを掛けて、剣には一切魔力付与デスティナチオをさせていませんから。言わば個人の格闘技術の練成ですね」


「あ、あすぽ……?ですてぃ……?」


常盤ときわ!恐れすぎだ、もっと剣を振っていけ!」


 唐突に出てきた横文字に頭が混乱する私を尻目にとうとう野次を始めてしまった。


 常盤、と呼ばれた少女は見るも華奢な学生で、如何にも穏やかでお人好しで、虫も殺せなさそうな顔立ちをしている。


 なんとか相手のポニーテールが特徴的な学生……周りからは四条と呼ばれている少女に喰らいつこうとするも、その悉くを捌かれてしまっている。その劣勢ぶりは誰の目にも明らかだ。


 訓練教官から止めの号令がかかり、その戦いは終わった。四条は飄々として笑顔すら見えるのに対して、常盤は息を切らして今にも倒れ込みそうだ。


「やっぱり魔術でも得意な子とそうでない子は居るんですね」


「そうですね、本人の資質や努力によりけりですが確実に差は存在します」


 続けざまに今度は眼鏡とツインテールの特徴的な子が前に出てくる。一方対峙する少女はなんだか憐れむような眼差しで相手を見ている。


「なずながんばれー」


「なずなバーサス玉城は無茶あるでしょ……」


「私たちのなずなちゃんに傷をつけるなー!」


 なんだかなずなとやらが応援されているようなそうでないような。区隊のマスコットキャラみたいな扱いだ。


「ぜったい全員潰す……!」


 そう意気込んだなずなはしかし、数分間玉城に転がされ続けて終わってしまった。


「なずな……お前は才能はあるんだけどな」


 そのあまりのボコされっぷりに、橘教官も思わずぼろぼろになって帰ってきたなずなの頭を撫でている。


「……居たんですね橘教官、下手な慰めは結構ですよ」


「なずなは可愛いから気にしなくていいよ!」


「うっさい!マスコットみたいな扱いは止めてくれ!」


 同期に頭をわしゃわしゃともみくちゃにされているなずな。同期のみならず橘教官にも可愛がられているのか名前で呼ばれている。


「なんかああいう子は応援したくなっちゃいますね」


「ええ、まあ……教育者としては平等な教育を心がけては居ますが」


 自覚が無かったのか少し紅くなって顔を背けるその姿はちょっと可愛かった。




「さて、随分道草を食ってしまいましたね」


 訓練教官と一緒になって熱い指導をしていた橘教官。さっきまでの私に見せていた、丁寧で柔らかな物腰とは打って変わってスイッチが入ったかのように教官モードに入っていた。

 

 魔術師と言ってもやってることは案外変わらないなあと自分が受けた新兵教育を思い出して懐かしい気持ちだ。


「ですね、でもこれからの勤務する上で大変有意義な時間を過ごせたかと思います」


 少し遠くに、最初に出た本部隊舎が見える。

 この案内ももう終わる頃合いのようだ。


 ぴた、と橘教官の足が止まる。

 どうしたのかと思って振り向くと、何だかめちゃくちゃ嫌がるような、苦虫を噛み潰したような顔を隠そうともしない。


「……案内の最後はここになります。魔術科学校研究部。通称『魔女の家』です」


 彼女の指差した建物は、その通称とは裏腹に、なんの特徴も見受けられない。軍の建物にはありがちな、単色でシンプルなつくりだ。

 それっきり無言になってしまった彼女の後についていく。


 魔女の家と言うからには、そこには魔女が住まうのだろう。……それも、この魔術師として高いレベルを誇る彼女にこんな表情をさせる程の。


 思わず竦んでしまった足に喝を入れて動かす。

 ――せめて、命だけはとられませんように。


 願いつつ、魔女の家に足を踏み入れた。

 




 

 

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