第14話 悩める少女たちは何を求める?
「さーちゃん?」
夜の屋上には、昼の強い海風とは程遠い緩やかな陸風が吹いていた。痛いくらいに眩しい月の光が、遠くに見える海面に反射して波自らが煌めいているようだ。
そんな中で、常盤つばき――つーちゃんは誰も居ない屋上でひとり佇んでいた。
彼女の薄手の部屋着は、春とはいえこの夜の中では少し寒そうにも思える。
「なんとなくつーちゃんならここに居るかなって思って」
極力明るい調子を意識して振る舞う。
私たちの他は誰も居らず、ただ取り込まれていない洗濯物が風にはためいているだけだ。だからなのか、足音が妙に響いて聞こえてしまう。
屋上からの落下防止フェンスに体を預けている彼女の隣に歩を進める。特に拒否もされず、むしろそれを待っていたかのように導かれた。
「さーちゃんには何でもお見通しだね」
浮かぶのはいつもと変わらない笑顔。
けれど今はどうしてかそれが嘘くさい。
「そうでもないよ」
彼女の顔を真っ直ぐ見据える。
思えばつーちゃんのことをちゃんと理解していたことなんてあまり無い。行動の行く先は何となくわかるけども、その内心を私は知らない。
「だから、つーちゃんがなにか悩んでるのはわかるけど、何に悩んでるのかまでは全然わからない」
顔を逸らされる。
私には話し辛いことなのだろうか。
「そんなに大したことじゃないの。ただ、今日の演習では私あんまり役に立てなかったなって」
「あざみとおんなじこと言ってる。私たちは勝ったっていうのに、ほんとみんなして謙虚だね」
「……だって事実だもん」
遥か頭上で鈍く輝く星。
普段なら、そこそこの田舎であるこの地では満点の星空が見込めるのだけれど、生憎今日は眩しいくらいに月が輝いている。
月明かりでかき消されてしまったそれを探しながら彼女は続ける。
「わたしは物語の主人公じゃ無かったってだけ」
結局一等星を除けば、他の星は全て月明かりに呑まれてしまったようで、ついぞ見つけることはできなかったらしい。残念そうに腕をだらりと垂らした。
「主人公には挫折がつきものじゃないかな」
「そんなかっこいいものじゃないよ。わたしのこれは……憧れの自覚、かな」
半ば自嘲めいたその笑みの理由はいったいなんだろう。私の前でこんな表情をした彼女を見たことあっただろうか。
「……そうだ。ねえ、さーちゃん」
彼女が私の耳元で囁く。
温かな吐息がくすぐったい。
「わたしとキス、しよっか」
「……うぇっ!?」
不意打ちの様な提案に頭がくらくらする。
私の聞き間違いでなければ、キスしようと彼女は言ったのだ。顔が熱くなる。紅くなった頬を見られたくなくて顔を背ける。
「わ、私のことからかってる?」
「冗談でこんなこと言わないよ」
「だったらなんで」
「さーちゃんはわたしとじゃ、いや?」
不安そうな瞳が私を刺す。
でも、キスって、付き合ってる人同士がするものであって私とつーちゃんがするっていうのは。もちろん嫌じゃないしむしろやったーって感じなんだけどあわわわわわ。
「……つーちゃんっていっつも私を振り回すよね」
「そうかな、あんまり自覚は無いんだけど」
いたずらな笑顔で私を見ている。
体を正面に向けていかにも準備万端ですと言った体勢だ。私がこのままキスするのを、心から信じて疑わない態度だ。
「後から無かったことにしないでよ。……私初めてなんだから」
「一緒だね。わたしも初めて」
彼女がキスをせがむ意図はわからない。
まるで、なんだかもっと大きな悩みがあってそれを掻き消そうとしているようにも感じる。
それは私への好意故なのだろうか。
胸の中で拭えない違和感が、異音を立てている。
そっと小さな体を抱き寄せる。
んっ、と彼女の口から漏れた嬌声。
尋常じゃない緊張感の中で、お互いの衣擦れの音ですら何だか悪いことをしている気分にさせられる。
そのままそっと彼女に口付けをした。
背の高い私を見上げる様に差し出された唇を軽くついばむように触れていく。
行為自体は単純でほんの僅かな時間だったけど、その何百倍もの体感時間が流れている。
口を離して、そのまま抱きとめる。
私の胸の中で、彼女は泣いていた。
うわごとのようにごめんね、と繰り返している。
ほんとに何が何だかわからないけれど、彼女が大きな不安を抱えていて、それはどうやら私との触れ合いで紛らわせることができるのかもしれない。
彼女の顔を上に向けてもう一度口付ける。少し驚いた顔をしつつも受け入れてくれた。さっきよりも深く、舌を絡ませるように。
心臓が爆発しそうなくらいどきどきして、目の周りがちかちかしている。
ここまでするつもりじゃなかったのに、本能が勝手に身体を動かしているようだ。
「……さぁっ……!、ちゃんっ……」
新鮮な空気を求めてか、それとも制止するためか離れた口すらも追いかける様に塞いでいく。
その時には、気づいたら彼女を押し倒していた。卑猥な水音が静かな夜に響いている。
散々お互いの口内を駆け巡った舌をゆっくりと離す。彼女の顔はすっかり茹で上がったように紅く、ぼおっとしている。
「……さーちゃんの、……へんたい」
荒い呼吸を絞り出して告げられる。
怒ってはいない。ただただ呆れた顔だ。
「だ、だってしょうがないじゃん。つーちゃんは突然キスしてくれなんて言うし、かと思えば泣き出しちゃうし。私には何がなんだかだよ」
「う、それに関しては面目ないです」
お互い少しふらついたまま立ち上がる。
互いに紅くなったまま目線を合わせられない。
本能で動いていた先程とは打って変わって理性を取り戻したせいで、少し後悔し始めたかもしれない。
「でも、お陰で元気はでました。ありがとう、さーちゃん」
裏も屈託も無い笑顔。
この笑顔を取り戻せたなら、まあ私としては良いのだけれど。
「話せるようになったら教えてね。つーちゃんの悩みごと」
「……うん、いつかきっと、ね」
憧れの自覚、と彼女は言った。
主人公ではなかった、とも。
彼女は物語の魔法使いにずっと憧れていた。
現実はそうはなれないと理解した彼女が、それでもなお、自嘲しつつも憧れを認めざるを得なかったものとは一体なんだろうか。
「オマエモカー!」
つーちゃんと別れて、なずなを探し回っていたら以前にも彼女を励ましたときのベンチに腰掛けているのを見つけた。
どうもうちの班は謙虚で繊細な人間が多い。たかだか班規模の演習を終えたくらいで何をそんな悩むことがあるのか。みんなにはすみれを見習って欲しいものだ。
「なになになんなの?!」
「えーい、勝者っていうのはもっと浮かれて良いものなんだぞー」
「わかったから顔離して!なんも見えんから!」
仕方ないので離してやる。
何だか呆れた顔で見つめられる。私が面倒な絡みをして非難されてるみたいだ。
「あれ、あんま落ち込んでなさそう?」
「そんなんじゃないよ。ただ……」
彼女の手には、先ほど使っていた剣が握られている。微かに魔力の残滓を感じる。
「なんか桜がやられたあとの霧絵との戦闘が忘れられなかったっていうか……」
「血に飢えてるね」
「物騒な言い方は止めてくれ」
彼女が剣に
「んー……」
紡がれた結果は、霧絵ゆかと斬り合ったときのような洗練された強化では決してなかった。
「あのときの記憶はあんまり無いんだ。私は何も考えてなくて、とにかく本能に身を任せて戦ってた」
はあ、とため息をつくなずな。
剣にかけられた強化は青い粒子となって霧散した。彼女のお気に召さなかったらしい。
「そのときはなんかこう、魔術の本質的なところを感覚で捉えてたんだけど……何回やっても思い出せないんだ。あの感覚を」
「まあよくあることなんじゃないかな。本番で実力以上の結果を出せることだってあるし、その逆もまた然り」
「なんか今日の桜、投げやりじゃない?」
ぷくぅ、と膨れっ面で抗議される。
先程のキスの余韻がまだ残ってるとは口が裂けても言えない。正直あまり頭が回ってなくて、考えないで話してるところはあったかもしれない。
「ふんだ、その内桜も倒せるくらい強くなってみせるから」
拗ねさせてしまったのか、そっぽを向いて歩きだすなずな。
「私と喋りながら他のこと考えてるみたいだし?」
「……まさか、そんなことない、よ?」
あはは、と笑って茶を濁す。
なずなは打たれ弱いけど妙なところで鋭い。
「今日のなずなはツンツンしてるなあ」
追いかけて背後から抱きしめる。
なずなの小さな体はすっぽりと私の腕の中に収まってしまう。
「熱いから離して欲しいんだけど」
強い口調に苦笑する。
なんだか昔の素直じゃない自分を見ているかのようだ。彼女の言葉がなぜか本心ではないとわかってしまう。
「私がこうしたいだけなんだけど、ダメ?」
「ん……それならダメじゃない」
体を通して服越しに体温が伝わってくる。
身長差のせいで、ほんとに妹ができたみたいだ。
「……今日一緒に寝よ」
顔も合わせずぶっきらぼうに言い放つなずな。
「別にいいけど……同じベッドでってこと?狭くない?」
「ん、気にならないから」
私の腕の中を出てとことこと歩いて行ってしまう。時間は23時を回っていて、とっくに消灯の時間になっていた。
「あんたたち何やってんの?」
帰ってきて早々に2人でベッドに潜り込んだら、まだ起きていたあざみに変な顔をされた。
「なずなが私に甘えたいらしい」
「桜、余計なこと言わないで」
「そこまで仲が良いとは知らなかったわ……」
そう言ってあざみは熟睡しているつーちゃんを横目に見る。
「この人たらし」
「それはちょっと語弊があるんだけど……」
狭いベッドの中で、猫のように丸くなったなずなを腕の中に抱える。
目を閉じてぐちゃぐちゃの頭の中を整理する。
私が認識していなかっただけで、どうも101班はすみれを除けば、みんな大なり小なり悩みがあるらしい。
あざみやなずなみたいに打ち明けてくれたり、私やつーちゃんみたいにあまり表に出したくなかったり。
なんとも歪で、それぞれの思惑はあるのかもしれないけれど、やっぱり私は101班が好きだ。
あざみは私が班長に相応しいと言ってくれた。
班員がそう言って任せてくれるなら、私も頑張ろう。そして、特別な魔術師になるんだ。
未だ唇に残る柔らかな感触を思い出しながら眠りについた。
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