第8話 苦悩を突き抜けて歓喜に至れ!


 深く深く、光が届くことのない深海に投げた体がゆっくりと沈んでいくように。


 絡まった糸を丁寧に伸ばすが如く丁寧に。高名な指揮者がオーケストラの僅かなピッチの上擦りすらも見逃さんとするかのように慎重に。




 今、核心に触れた。

 体に染み渡る達成感。しかし喜びで心を乱してはいけない。ほんの僅かな感情の動き、呼吸の乱れと心拍の変化で、は立ちどころに霧のように消えてしまう。


 体がまるで沸騰しているのように熱い。

 耳元では雷と台風が同時に来たかのような轟音。

 視界には先程から線香花火のように火花が弾けていてもはや機能すらしていない。


 パズルの最後のピースが今、埋まった。




 一気に現実世界へと引っ張り出された。


 頭上を見上げると灰色の空に鬱陶しい小雨がまばらに散っている。

体はしっかり濡れてしまっているようで、先程の熱が嘘のように一気に冷え込んだ。


 いまいち脳が混乱したままだけれども、うるさいくらいに鳴っている心臓だけが、結果を告げている。

 

「ッッし!!!」


 ようやく完成した。

 地面には直径3mほどの光る紋様。


 それこそが地雷魔術レンドマイン――魔力を持った侵入者に無差別に襲いかかる悪魔だ。






「いや、これはやばいな」


 グラウンドで呆気に取られる101班の五人組。なんとか正気に戻って最初に言葉を発したのはなずなだった。


「うん、誰よりも私が一番驚いてるよ」


 地雷魔術レンドマインが完成したということで、威力の確認がてらみんなをグラウンドに呼び寄せた。勿論、実験用に威力は大幅に落としたんだけれども。


「わぁ……」


 つーちゃんは、もはや原型を留めていない標的のドラム缶に驚きを隠せないようで素っ頓狂な声しか出ていない。


「これ、あたしら誘導するっていうか巻き込まれる気がするんだけど……」


 あざみに至っては少し怯えた目で私を見ている。たしかに味方に殺されかねないのは流石に勘弁してほしいだろう。


「さ、流石に効果範囲と威力を調整しようと思う……ただ火力が申し分無いのは確かだね」


 何もこの地雷で仕留めきれなくても、ある程度削りを入れて有利な状況を作れさえすればいいのだ。


「私はひとまず術式完成したけど、みんなの進捗はどう?」


探知クアエリテは距離、精度共に1.5倍ほど向上させました」


 すみれが淡々と報告してくれる。この短期間で凄まじい伸びだ。


「今のところ理想条件下での最大探知距離は自分を中心に半径500m、位置誤差は約±5%です」


「すると……地形の起伏や障害物を考慮するして、状況下では300mくらいで見ておこうかな」


「そのほうがいいかと。著しい魔力消費を許容できるのであればもう少し伸ばせるので、判断は任せます」


 こちらの作戦は探知魔術で先手を打って動けることが前提なので、これ程優秀な索敵役が居るのは心強い。


「後はわたしたちが三人どれだけ身体強化魔術アスポルターレを使いこなせるかにかかってるんだね」


 つーちゃんが1人でこくこくと頷き、あざみも負けてられないわね、と士気を燃やしている。そんな三人を抱き寄せる。


「後は任せたからね!」


「うぐ……苦しいし濡れてるし」


「うん、任せて!」


「ちょっとあんた服濡れてるってば!」







「ふーん、頑張ってんじゃん」


 この雨の中、グラウンドに騒がしいのがいるなあと目をやると、101班の面々だった。


「ゆかー?早く食堂行かないと閉まっちゃうよー」


「はいはい」


  実のところ101班とはあまり交流が無かったから、いつも居残りで基礎魔術やってたり、前回の演習で足を引っ張ったり何かと悪いイメージがあったのだけど。


 ここからは話し声は聞こえないけれど、何となく悪くない雰囲気なのはわかる。もう少し怠惰で嫌な奴らだったら殺すのに躊躇しないのになあ、なんて思う。勿論これはプライドを賭けた勝負であって手を抜くつもりは微塵もない。


「私たち102班だったら101班なんて相手にならないと思うけどなあ」


 長くて綺麗な黒髪が似合う少女――霧絵みゆに背後から抱きつかれて、私の頬が彼女の頬に触れる。その肌は、体温なんて存在しませんよ、とでも言いたげなくらいひんやりとしていた。


「みゆ、勝手に心を読むのはやめて」


「えへへ〜つい癖で」


「次やったら怒るよ」


 ごめんごめんなんて謝りつつも、みゆの顔からは一切反省の色が感じられない。顔の横からこちらを見つめる大きな目が怖くて瞳を逸らす。


――本当に、この子が味方で良かったと思う。もし彼女が敵に回ったならこれ程恐ろしいことは無いだろう。


「私はゆかの味方よ?ゆかが私の側にいてくれる限り、ね」


 人間の皮を被った悪魔め、どうせ見透かされるのだからと声には出さずに心中で毒付いた。





 雨で濡れてしまったので部屋に戻った。

 空はすっかり雲に覆われて、さっきよりも雨足も強まっているようだ。時間帯はまだ夕方と言えど、外はもう黒に限りなく近い灰色で満たされている。


 他の皆はまだ特訓に励んでいる。少し根を詰め過ぎているような気もするけれど、そのやる気を抑えるのは無粋だろう。


 部屋のテーブルに置かれた資料に目を通す。

 日向先輩経由で取り寄せた、大隊が保有する個人の能力をまとめた資料だ。

 102班の欄に目を通すも事前の予想とそこまで差異はない。まあ同じ区隊で共に授業を受けているから当たり前と言えば当たり前だ。


 しかしただ一点、知り得なかった情報があった。

資料にはこう書かれている。


 霧絵みゆ――固有魔術所持者 :心読魔術コールレジェレ


 固有魔術とは、通常のような魔力をサクラ・マギアに通して行使する一般的な魔術とは異なる。

 それを持つ者は先天的に身体そのものに術式が刻み込まれており、発動にサクラ・マギアを媒介としないことが特徴だ。

 

 大隊の資料には「対象の心象を声として聴くことができる」としか書かれていない。

 固有魔術は保有者が著しく少ない上に、体系化された魔術からは離れた独特な術式が多いので情報が少ないのだ。


 術式範囲も発動条件何もかも不明なので、なるべく演習当日までは彼女との接触を避けた方が良いかもしれない。


 しかしながら、霧絵みゆは区隊で何度か話したことあるけど、これといって個性的なところがあるわけでもない普通の少女だった。102班長の玉城ゆかと良く一緒に居たという記憶くらいしかない。

 ともあれ、班員には彼女との接触を控えるよう伝えておこう。





 対抗演習当日、授業の終わりを告げる鐘が鳴る。

 ついにその時はやってきた。

 手早く机上を片付けて、班員と101班居室に戻り準備を整える。

 それまでの制服を脱いで、オリーブドライを基調とした戦闘服上下に山道でも走り易い半長靴に着替える。サクラ・マギアに加えた、もう一つの魔術師の証でもある漆黒のローブを羽織る。


 部屋は緊張に満ちていて、誰も何も話さない。

 今回で演習は二回目だ。だからと言って前回よりも気が楽になる訳では当然無い。


 武器庫から刃渡り16センチ程の銃剣を搬出する。銃は要らないのか、と不思議そうな教官。

 ろくに扱えない装備で両手を塞いでも仕方がありませんので、と返すと苦笑いが返ってきた。

 この剣こそが、今日の私たち101班の生命線を握っているのだ。



 日はすっかり傾いているようで訓練室に差し込む夕日が目に染みる。だだっ広い部屋には如何にも、といった具合に部隊級魔術模擬戦闘装 C M T C置がセッティングを既に終えていた。

 

 遅いぞ、とでも言いたげな監督役の学校職員。

102班は事前ミーティングに入っており、私たちを除けば既に準備は整っているらしい。


 一方、隣部屋の演習観戦室では、まだ始まってもいないのに野次馬が詰めかけているらしく壁越しですら騒がしい。


「この試合、そんな注目のカードなの?」


 つーちゃんが目を丸くする。大隊同士がぶつかる桜海杯の試合ってわけでもないのに、と言うことだろう。


「一年生で同じ大隊同士が、班のプライドを賭けた今年度初めての殲滅戦ってことで、第1大隊の同期先輩方はほとんどみんな足を運んでるらしい」


 今日一日随分大人しく、久しぶりに口を開いたなずなは緊張からか体が震えている。


「うわ、あたしらが一年生初なんだ」


「それはもう……負けられないね」


 会場の雰囲気に気圧される。もはやこの戦いは大隊みんなが行く末を見守る大事になってしまったようだ。


「やあ、調子はどうだい」


「聞かなくてもわかるくらいに緊張してるわね」


 日向ひなた先輩とおおとり先輩が訓練室の外から声をかけてくれた。


「もちろん絶好調、ですよ」


 なるべく緊張を見せないように笑顔で返答する。勿論、内心は不安でいっぱいだ。けれど、班長がそんな姿を班員に見せるわけにはいかない。


「もちろん先輩方は私たちを応援して頂けるんですよね」


「そうだね、僕としては特訓に付き合った手前、101班を応援したくなるかな」


「私はあんた達の指導係なんだからあんた達が勝たないと私の指導力不足みたいじゃない」


「蘭、君が101班の指導してるところあんまり見たこと無いんだけど……」


「鳳先輩は放任主義ですから」


「ちょっと桜、お菓子上げたじゃない!……ってこら日向引っ張らないでってば!」


 君の指導とは餌付けすることなのかい、と笑顔で毒づきながら鳳先輩を引っ張っていく日向先輩。


「演習前に騒がしくして悪かったね、桜ちゃん。僕たちも隣で見守ってるよ」


 言い残して去っていった。


「……なんか気が抜けちゃったわ」


 呆れたように呟くあざみ。

 確かに先輩の激励で、ちょっと空気が柔らかくなった気がする。


「……日向先輩、今日もかっこよかったな」


 なずなに至っては体の震えは何処へやら、やけに清々しい顔で意識を飛ばしている。


 一方ミーティングを終えて待機している102班の方からは――


「なんで日向先輩が101班側に……」


「しかも四条あいつ名前で呼ばれてたし」


「日向先輩の前でぼこぼこにしてやる」


 ……何だか余計な恨みを買ってしまったようだ。ファンクラブ、恐るべし。まあ相手がどうであれ、こちらはやりたいようにやるだけだ。


「はいはい、101班。準備は良し?忘れ物は無い?」


 全員の目からはもう緊張の色は消えていて、静かな闘志だけが伝わってくる。既に準備は終えて出撃を今か今かと待ち構えている。


「作戦は説明した通り!101班行くよ!」


 「「「「「おおー!」」」」」




「じゃあ始めましょうか、101班のみなさん?」


 お互い歩みを進めて、挑戦的な笑みを浮かべる玉城ゆかと向かい合う。あまり体は大きくないけれど、漲る闘志は伝わってくる。彼女の後ろには鬼気迫る表情の102班員。その中でも一人笑顔を崩さない霧絵みゆ。


 玉城ゆかは、さらに距離を詰めたかと思えば私の耳に口を寄せて――


 「102班が勝ったら、日向先輩に私たちのこと紹介して。あと連絡先もね」



 ――何とも締まらないが、今ここに戦いの火蓋が切って落とされた。

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