第3話 はじめての魔術



 大隊演習よりも少し前の話。

 今この場に居るのは今年入校したばかりの30期生。私を含めた彼女たちはきっと、誰一人として学校長の長い話など頭に入っていないに違いない。

 

 胸元にネックレスのようにかかった――まるで桜の花びら一片を水晶に閉じ込めて小さく切り出したような――10式魔術出力装置A型、通称サクラ・マギアがその原因だ。


 魔力はヒトの女性にならば量の多寡はあれど誰でも存在している。けれど電気を家電に通さないと何の意味も為さないように、魔力もこのサクラ・マギアを通さないと術式を編み出すことができない。


 つまり、これを渡されたということは入校して3日目にして、ようやく私たちは魔術師と胸を張って言えるようになったのだ。


 壇上の偉い人の話はなかなか終わる気配を見せない。今この場に居る全員が、一刻も早く託されたばかりのサクラ・マギアを使って自らが魔術を編み出すことで頭がいっぱいなのだ。無論、私も。


 やっぱり魔術といったら、手から火の玉を出したりしてみたいものだ。古今東西魔法使いが出てくる物語は、必ずと言っていいほど皆炎を自在に操っている。

 あるいは氷を操ってみるのもいいかもしれない。雷はどうか。いや、闇の魔法だなんてかっこいいものがあったら間違いなくそれを選んじゃうかも。戦いともなれば回復魔法は必須だなあ。

 妄想は止まることを知らない。なんせこのために親元を離れて、高い倍率を越えて入校してきたのだ。


 ――ああ!どれも魅力的で選べない!



「お前たち一年生は何を置いても先に基礎魔術の習得に励んでもらう」


 火の玉は?!と叫びたくなる気持ちをグッと堪える。昨日の授業でも言われたけど、最初は魔術そのものに慣れる訓練かららしい。


 教室に集まった1区隊――要するにクラス1組を軍隊的に言い換えただけだが――の私たちに教鞭を執るのは、1区隊の助教、橘教官だ。

 細身で綺麗な顔立ちとは裏腹に、いくつかの部隊を渡り歩いて魔術師として多くの経験を積んだ、優秀な教官という触れ込みだ。


「四条、基礎魔術の定義を述べよ」


 教官の鋭い眼光が私を射抜く。不満げな心境を悟られたくはないので、少しだけ優等生ぶることにする。


「はい、基礎魔術とは魔術師が任務遂行の上で必須となる、基礎的魔力操作で完結された五つの魔術です」


「正解だ。今答えてもらったように戦場では基礎魔術を扱えないと話にならん。」


 つい先日授業で教わった魔術概論でも同じ話をされた。基礎魔術そのものは複雑な工程を必要としないので、初学者は魔術に慣れるためにこれを自在に出力できるようにするのが望ましい……らしい。


 勿論、ひとえに基礎といってもビギナーと熟練者が用いる基礎魔術の間には練度という大きな隔たりがある。

 最大限に洗練された魔術を紡いだものは、幾つかの基準を満たせば特級の特技認定MOSを、その逆もまた然りで、最低限扱える程度であれば初級の特技認定MOSを認められる。


常盤ときわ、基礎魔術のカテゴリーを五つ述べよ」


身体強化アスポルターレ魔力付与デスティナチオ適応アコモデーシオ通信コムニケーショニス探知クアエリテの五つです」


 なんだか横文字ばかりだけれど、魔術研究のメッカは専ら欧州が主流なのであちらさんに合わせるしかないのは後発側の辛いところだ。故に動物の学名が如くラテン語表記が主流となっている。


「良し、常盤が言ってくれたこの五つの魔術を一学年の間にそれぞれ中級まで習熟させるのが望ましい。でないとその先の部隊間訓練や応用魔術の習得に支障が出るからな」




「たーだいまーっと」


 習うより慣れろ、の精神で何度か試してみたら案外あっさりとマスターしてしまって若干戸惑い中。教室の時計を見ると初めて魔術を紡いだ時から1時間しか経っていない。教室で四苦八苦してる同期を横目に、お先とばかりに教官の試験をパスしてしまった。

 

「おかえり、桜は試験どうだった?」


「とりあえず五つとも初級は頂きました」


「あんたほんと器用ね……」


 あざみは左手にサクラ・マギアを握りしめて、右手にはシャープペンシルの芯を持って唸っている。

 これは魔力付与デスティナチオの練習だ。成功すれば金槌を振り下ろしてもびくともしない無敵のシャー芯を手に入れられる。


「ふふん、器用さだけで人生生きてきましたから」


「…くっ!」


 ぽんっ、と軽い音を立て芯が粉々に弾けてしまった。何も遊んでいるわけではない。脆くて小さなものを壊さずに魔力を通すのは繊細なコントロールが要求される。これができなければ初級すらも認めてもらえないのだ。


「あざみ、裁縫とか苦手なんじゃない?」


「ええ大っ嫌いよ、あのちまちました作業。魔力付与デスティナチオに近いものを感じるわね」


 肩で息をするあざみ。力み過ぎているのもそうだし、何回もやってるからか魔力量が底をつきかけてるのかもしれない。


「私の魔力あげよっか?」


「……ありがとう、貰っていいかしら」


 ぎゅっと手を握って指を絡ませて送ってあげる。まだ出会ってそこまで日が経ってないから少し照れくさい。それは彼女も同じようで、目を合わせないようにそっぽを向いている


「なんか照れるね、これ」


「考えないようにしてたんだから言わないでよ」


「私のはじめての恋人つなぎはあざみになっちゃった」


 きゃっ、と体をくねらせるもあざみの視線があまりにも冷たかったのですぐに辞めた。流石にその反応はちょっと悲しくなるからやめてほしいです。


「ダウト、昨日の夜つばきと繋いでたの見たわよ……あんたたちほんと仲良しね」


「それはもう幼馴染ですから」


 はい終わり、と手を離すと礼もそこそこにまた練習に入ってしまった。


 しかし、いくら基礎魔術といっても大変地味な練習だ。それに引き換え、教本の後ろの方に載っている地雷術式なんかはその挿絵の派手さからしてもなんだか楽しげだ。中学のころに理科の授業で見せられた、池に水酸化ナトリウムを投げ入れる映像を思い出す。いつだって爆発は人の心を強く惹きつける何かがあるのかもしれない。


 そのままページを読み進めるも、前提となる魔術がいくつも連なった複合術式のようで、今の自分には扱える代物じゃないなと早々にページを閉じた。


 暇なので反対側の隣の席にちょっかいをかける。


「やあやあ調子はどうかな」


 そこには教本片手に難しい顔をしたなずなが居た。基礎魔術は自転車を漕ぐような、感覚頼りの習得に近いので教本を食い入るように見つめても仕方がないような気がする。


「良いように見えるか?」


「いや、すこぶる調子悪そうに見える」


 なずなは魔術素養5の推薦組だ。私が4なので、基礎魔術くらい片手間でやってのけるのかと思っていたのだけど存外苦戦しているようだ。


「どうも私の不器用さは、素質のそれを大きく上回っているのかもしれない」


 しょんぼりした顔で肩を落とすなずな。薄々は気づいていたけど、どうも彼女は生来のドが付くほどの不器用らしい。私が器用な側の人間なだけに下手な慰めは嫌味っぽくなってしまうかもしれないので、慎重に言葉を選ぶ。


「伸び代は誰よりもあるってことじゃない」


「そのポジティブさは見習いたいところだね」


 反対の席からはやってられるかーとあざみの声と共に、魔力に耐えきれなくなったシャープペンシルの芯の弾ける音がする。折れて辺りに散らばった芯が何か物悲しくこちらに訴えかけているようだ。


 少し離れた席に居るすみれは、普段と変わらない無表情で本を手にしている。

 何回か読んでる本を聞いたことがあるけども、時に歴史小説だったり、またある時には茶道の入門書だったりとあまりジャンルに一貫性が無かったので、読書そのものを愛好しているのかもしれない。


「随分余裕があるね」


「ノルマはこなしましたので」


 教官お手製の「魔術習得表」の一番上から5つの魔術の欄には、初級認定を示す教官の印があった。


「すみれって結構優秀だよね」


「人並み程度ですよ」


 またまたーと思い周囲を見回すと、確かに半数くらいの人がノルマを終えて寛いでいるのが見受けられる。やはり基礎と銘打つだけあって、1時間もあれば習得できるようだ。


 そういえばつーちゃんはどうだろうと離れた席に目をやると、春だというのに毛布を被ってがたがた震えている。


  適応アコモデーシオは気温や湿度、気圧を魔術的に変化させる術式だ。この術式があれば、例えば砂漠や冬の雪山のような気候、風土であっても、ありとあらゆる気象を克服して行動することができる。無論、魔術師として必須の技能だ。

 きっとつーちゃんはミスって気温を下げ過ぎたに違いない。周りの子からも心配されている。


 基礎魔術の習得は大して難しくないようで、全員が習得を終えた班もちらほら散見される。


――もしかして101班って、遅れてる?

そんな予想はしかし現実となってしまうのだった。




 

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