第2話 花園なずなは頑張りたい


「もう学校辞めたい……」


 授業の休み時間に入るや否や、そんな声が右隣の席の花園なずなから聞こえた。


 これは想像以上に限界が近いのかもしれない。背中に冷や汗が伝う。机に突っ伏した彼女の頭からは今にも湯気が吹き出しそうだ。彼女の特徴的なツインテールも今は元気がなさそうだ。


 魔術科学校では教育科目として、魔術のみならず数学や現文などの一般科目や軍法、戦術論などの軍事科目も取り揃えており、とにかく勉強量が多い。一般入試のバカみたいに高い倍率をくぐり抜けてきた者でもなかなか大変な思いをしているくらいだ。


 他方で、魔術科学校には一般入校とは別に推薦入校が存在する。出生後診断で行われる魔術素養検査で、「五段階中の五」いわゆる「最適」と診断されたものが国から推薦を受けて無試験で入校する枠組みだ。魔術の才に長けた者をなんとしてでも囲いたい国の方針が見て取れる。


 けれど、現状この推薦制度は任官拒否に高額な罰金が生じるために事実上の強制入校と化している。

 勉強も運動も苦手、魔術師になりたいわけでもない者が入校することも稀にあって、その良い例が花園なずなだった。


「なずな、わからないところは教えるから頑張ろ、ね?」


「こうやって何かで躓くたびに桜に助けられてる自分が嫌になってくる……」


「気にすることないって。同期でしょ?」


 よしよし、と頭を撫でてあげる。

 なずなは決して努力をしていないわけじゃないってことは側から見ていてもわかってる。

 ただ、不器用なのだ。それもすごく。




「……っは!……っは!」


「……なずなっ!あとちょっとだから!」


「あんたってほんッッと世話の焼ける女ね!」


私たちは今訓練で小銃を控え銃の姿勢ハイポートで保持したまま駆け足をしている。

 魔術で身体機能を向上させられる私たちには全く不要に思える訓練ではあるけども、やれと言われたらイエッサー喜んで、と答えるしかないのが軍人の悲しいところだ。

 今にも落伍しそうななずなの背中をあざみと二人でなんとか支える。元々運動部に入っていた私でもあまり余裕が無いので、帰宅部だったなずなには辛いことだろう。


 涼しい顔をして先頭で隊を率いている教官は、後方を振り返ってニヤリと嫌な笑みを浮かべたかと思うと、予定していたゴール地点を何食わぬ顔で駆け抜けていった。

 どうもハイポートはまだまだ終わらないらしい。


「……意地悪にも程がある!!!!」


「あたし、一発ぶん殴ってこようか?」


 体力が無いなりに根性で何とか食らい付いてたつーちゃんも、この不意打ちで心が折れたのかどんどん後続に落ちてくる。


「あざみ!なずなは任せたよ!」


「っちょっと!あたし一人じゃ無理だって!」


 いけるいける気合いだ気合いとあざみを宥めて、つーちゃんの背中を支える。息が乱れて、言葉も発せないくらいには限界が来ているらしく、ありがとう、ごめんねと瞳で訴えてくる。


「後で教官の悪口で盛り上がろう」


 そう耳打ちすると少しだけ笑顔が戻ってきた。




 結局その後も二回ほどゴールを通り抜けてぐるぐる回った挙句にようやく終わりを告げる笛が鳴った。端から端まで全員疲労困憊だ。


「お前ら、魔術師とはいえ軍人なんだから最低限の体力はつけときなさいよ」


 全くもって疲れを見せない教官。その有難い言葉も、火がついたように乾いた喉の前には一切頭に入ってこない。早く水をください水を。


「しっかし、見てると自分勝手なやつが散見されるな。へばってる同期をおいていくなんて考えられない。辛いのはみんな一緒なんだから助け合わないと」


 うちの班はそんなことないけれど、他の班への説教も一緒に受ける理不尽。今夜の愚痴大会は盛り上がりそうだ。




「うぅ、全身が痛い」


「あはは、わたしも。明日は筋肉痛で動けなさそう」


なずなとつーちゃんはもう今日は一歩たりとも動きませんとばかりにベッドで大の字を決め込んでいる。


「確かに、運動部入ってなかった人たちは急にこんなことやらされて大変だよね」


 言いながらつーちゃんのお腹をつんつん。うひゃあと痛がる様がちょっと悪戯心をくすぐられるけど、嫌われたくないのでこの辺にしておく。


「全くだ。魔術で大体が片付く世の中だってのに」


「魔術師だからっていつでも魔術が使える状態にあるとは限らないし、最低限の体力は必要よ」


 あざみはそう言って表紙に防衛白書と書かれている分厚い本をなずなに手渡した。


「うわ、あざみこんなん読んでるのかよ。これがどうしたって?」


「軍人として当然でしょ。そこの世界各国の対魔術兵装の欄を見てみなさいな」


 なずなの後ろからひょいと覗き込むと、主要国の魔術対策を紹介しているページが目に入る。中でも目を引かれるのは、米国の「魔力スペクトラム妨害装置」だ。小難しい説明文は置いておくにしても、どうやらこいつがあれば一定範囲内の魔術使用を妨害できるらしい。


「この妨害装置とやらがあったら私たちなんか簡単に無力化されちゃうね」


「そういうこと、今はまだコストもかかるし性能も良いとは言い難いけど、十年後二十年後はわからないわよ」


「……ふーん」


 なずなの反応は至極つまらなさそうだ。


 最初から魔術師の姉を追って入校したあざみと、強制的に入校させられたなずなでは意識の差はどうしても出てしまうのかもしれない。


 結局しばらくの間、意気揚々と語るあざみを尻目に、どこか遠い顔をしたなずなから目が離せなかった。




「なーにやってるのっと」


「っうひゃあ!……桜か、全身筋肉痛なんだから勘弁してくれ」


「ごめんごめん、夜中に星を見て黄昏てる誰かさんが心配でさ」


 首筋に当てた冷たいお茶を手渡して、なずなの隣に座る。

 外から見る一年生の寮は煌々と光を放っている。寮で騒いでる子でも居るのだろうか、うっすらと届く喧騒はまるで、二人で遠くにやってきたような錯覚に陥る。


「みんな凄いよな」


なずながぽつりと漏らす。


「桜は器用でリーダーシップあるし、あざみは誰よりも意識が高くて先のことも見据えてる。つばきだって根性あって努力を惜しまない。すみれはマイペースだけどその実能力は相当高い」


「うん」


「私には……何も無いんだよ。不器用だし、これといった個性もなければ、魔術師でありたい理由も無い。あざみの言う通り足を引っ張ってばかりだ」


 無言でなずなの肩を抱く。その声は震えていて、今にも消え入りそうだ。


「ほんと……私、何でここに居るんだろうな」


 なずなは自嘲した笑みを浮かべる。

 彼女はきっと誰よりも辛い思いをしているんだろう。いつだって周りと比べて劣等感を抱えて、寮生活では一人で心を落ち着ける時間もない。

 締め付けられるように心が痛い。自分が劣っていて、役に立たないだなんて思い込むのは間違いなのに。こんなときに気の利いた言葉ひとつ出てこない自分が嫌になってくる。

 

 たまらずぎゅっと抱きしめる。まるでそれを求めていたかのように驚くほど抵抗は無かった。

 私の胸の中で嗚咽を漏らすなずなの背中をさすって落ち着かせる。


「なずなは私たちのこと、嫌い?」


「っそんなことない!なんでこんないい奴らが私と同じ班なんだろうって思うんだ。私が居なければ、もっと強くなれるかも、しれないのに」


「――じゃあ」


 ここからは私のエゴだ。能力の限界で溺れそうななずなには酷かもしれないけれど、でも。


「私に着いてきて」


 一歩踏み出す勇気が足りないのなら、私から迎えに行こう、同期としてできるのはそれくらいだ。


「私がなずなの道を示すよ。これからもなずなにとって辛いこと沢山あるかもしれないけれど、余計なことは考えないで。ただ私の背中を追いかけて」


「いつだって私はなずなの味方だよ」


しばらくの沈黙の後。


「……本当に?見捨てたりしない?」


 眼鏡の奥で不安そうに揺れる瞳。彼女の過去は知らないけども、もしかしたら今までもこんな思いをしていたのかもしれない。


「誓いのキスをしたっていいよ」


「……ばか」


 あはは、と顔に笑顔が戻る。

 夜も深まってきて、とうに寮の明かりは消えている。春の夜風はまだ少し冷たい。今はもう緑を覗かせた桜が力なく花びらを落としている。


「あんまり遅いとみんな心配しちゃうから帰ろう」


 ん、と手を差し伸べる。


「……あんた、その内刺されても知らないぞ」


 指を絡ませて手を繋ぐ。伝わってくる体温は熱いくらい。私よりもだいぶ身長が低いせいか、なんだか姉妹みたいだ。


「その時はちゃんと看取ってよね」


 くくくと静かに笑う二人だけの時間。寮までほんのわずかな距離だったけれども、確かに心が一つになった気がした。

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