第6話 大きな森の一周年


「んふ~、上達したよねぇ?」


『だな』


『おうっ!』


 小熊親父が転生し小人さんの元にやってきて一年。


 あれから四苦八苦しながら試行錯誤の末、ドラゴは石を削り出した爪を作り、手甲に接続して操るようになった。

 頼りない小石の数珠紐と違い、指と同じように間接部分を取り入れた爪は、以前より遥かにスムーズな作業を可能とする。

 おかげで前世ほどではないが、それなりに料理も出来るようになったドラゴ。


『むふふ、そのうちチィヒーロにバースデーケーキを作ってやろう』


 以前よりマシになったとはいえ、やはり石を削り出した爪はぎこちない。表面に溝を入れ滑り止めも作ってあるが、所詮は石。なんのかんのと、滑る滑る。

 ちょっと油断しようものなら、卵や果物など簡単にパキパキと穴があく。


『難しいな』


『表面に皮を張ってみたりとか、どうですか?』


『それは衛生的に不味い』


 皮や布などは、いくら綺麗に洗っても雑菌の温床だ。煮沸したとて完全には死滅させられない。


 過去の小人さんの活躍により、アルカディアにも衛生観念や環境保護という意識が生まれていた。

 使った分は育てようと、植林植樹。養殖なども盛んになり、リサイクルの概念も生まれ始めている。


 だがまあ、種を蒔いたら基本は放置な小人さんなため、余計な手出しはしない。


 神は人を救えないのだから。


 人を救うのも滅ぼすのも、結局は人間なのである。


 そんなこんなで、まったりスローライフを満喫していた千尋と愉快な仲間達だが、ある日珍しく幼女が出掛けると言い出した。


『どこへ?』


 ガリガリと地面に書く熊親父。すっかり育ったドラゴは、大人には少し足りないがかなり大きくなっている。

 身の丈は二メートル近く、胸と眉間から後ろに流れるような銀色の体毛が生え、そろそろ成獣になろうかという御年頃。


《ふむ。灰色ベアの子供でしたか。じきに頬や肩の辺りも銀髪になるでしょう》


 メルダがいうには、森の野獣のなかでも大型の部類に入る熊らしい。成獣の灰色ベアは三メートルを優に越え、主達とは別の脅威として有名なのだそうだ。

 だが、結局は野生動物。魔法の復活したアルカディアは、大型の獣にも対抗出来るようになった。脅威ではあるが、倒せないことはない獲物になりつつある。


「灰色? 銀色だよね?」


 デカくなったドラゴを、ぽやんと見上げる小人さん。


《突然変異になったせいでしょう。体毛にも特徴が出ます》


 大熊となったドラゴの後ろに《ランクアップ》の文字が光った気がして、思わず噴き出す千尋。


「そっかぁ。ならなおのこと行ってこなきゃね」


 笑いを涙を指で拭い、小人さんは代々ポチ子さんと名付けている蜜蜂に飛び付いた。

 子供蜜蜂の寿命は五十年前後。千尋が前世を生きていた頃に初代ポチ子さんは寿命を迎えた。


 泣いた。目玉が溶けるかと思うほど泣いた。


 しかし、しばらくして一匹の幼虫が他の蜜蜂に吊られて伯爵邸を訪れたのだ。

 懐かしげな眼差しの小さな幼虫。それを抱き締めて小人さんは呟いた。


「ポチ子さんっ!」


《はいっ!》


 声が聞こえた気がした。


《.....記憶があるようですね。まさか、こんなことが起きるとは》


 寿命を迎えた蜜蜂はメルダに吸収され、新たな卵に生まれ変わる。そのさいに魂も浄化されるはずで、記憶があるような風情の幼虫様にメルダ自身が困惑で頭を傾げていた。


「違っててもいいの。アタシはポチ子さんだと思っているから」


 ぽやぽやと鼻先を押し付けてくる幼虫に頬ずりし、千尋は毎回やってくる蜜蜂をポチ子さんと名付け続けていた。


 なので、いつものようにポチ子さんにぶら下がり、軽く旋回する千尋。


「じゃ、行ってくるね。夜には戻るから」


 夜っ?


 ぎょっとしてドラゴは立ち上がり、小人さんのポンチョの裾を掴んだ。


『まだ夜が明けたばかりじゃないかっ、なのに帰りが夜になるって..... 蜜蜂で行くんだろう? どれだけ遠くに行くんだ?!』


 うおぅっ、うおぅっと吠える熊親父。その悲痛な鳴き声に小人さんも後ろ髪を引かれる。


「置いてくわけじゃないにょ、ちゃんと帰ってくるから」


 聞き分けのない子供を諭すように、優しく言い聞かせる小人さん。

 そうじゃないんだとでも言いたげに、地面へ爪を立てる熊親父。


 『どこへ行くのか教えて』


 それを読み取り、千尋はそっと眼を逸らした。


「あ~? 秘密? 帰ってからのお楽しみってことで♪」


 にししっと悪びれた笑顔を浮かべ、千尋はぶい~んっと飛んでいく。


『チィヒーロぉぉぉっっ!』


 虚しく谺するドラゴの叫び。


 小人さんについていくつもりだった克己はドラゴの狼狽えように驚き、慌てて戻ってくる。


『大丈夫ですよ、ドラゴさん。千尋の行き先はキルファンです』


『キルファン?』


 フロンティア王都から馬車で半日の国だ。非常に近いが隣国。それなりの距離もある。


『買い物にでも行ったのか? それにしたって、今まで行き先を隠したことなんかなかったじゃないか』


 ドラゴがやってきてから、もうじき一年ほどだ。その間も、度々千尋が出掛けることはあった。

 ドラゴが小熊なころは、抱えられて共に出掛けたりもしたものだ。


 まあ、今はこの図体だし? 一緒に行けなくなったのは仕方ない。それでも.....


『隠し事なんてしなくてもいいじゃないかぁぁぁーっ!』


 うおぉおーぃ、おぃおぃと泣く大熊に、克己もほとほと困り果てる。

 ぼたぼた滴る滝のような涙。その涙に頭からずぶ濡れにされ、克己は濡れ羽を震わせながら、切実な真ん丸黒目で空に祈った。


 千尋ーっ!! 早く帰ってきてくれぇぇっ!!


 吠えるような熊の号泣に、くあぁぉぁーっと甲高い鳴き声が交じり、情けない二匹の姿を、じっとりと見つめるメルダ。


 .....害はない。害はないのだけれど、煩くてしかたない。


 通常のモノとは違うベクトルで、喧しい二人に仄かな殺意を抱くメルダ様。

 じりじりとした焦燥を感じ、落ち込む熊親父を宥めつつ、克己は頭が剥げそうだった。ハラハラと落ちる羽の幻覚が見える気がする。


 そんなこんなで疲労困憊の鴉が出来上がり、さめざめと泣く熊が眼を腫らしきった頃。

 夕闇に浮かぶ星々を縫うように小人さんが帰ってきた。でっかい荷物を背中に抱えて。


「あれえ? まさか..... ずっとここに居たの? えっ? 泣いてたの? うっそーんっ!!」


 泣き晴らして厚ぼったくなった瞼に、再び涙が盛り上がり、ひっくひっくと鼻をすする嗚咽がドラゴの喉を震わせた。


「やーぁ、もー、泣かないのよー。男の子でしょ?」


 癒しをのせながら金色の魔力でドラゴを包む小人さん。


『分かってる。分かっているんだ、俺の我が儘だって。でも、せめて行き先くらいは教えてくれたって..... カツミが知ってるのに、俺が知らないなんて。なんで俺にだけ..... 秘密に..... ぅ.....』


 説明するうちに新たな寂しさが胸に込み上げ、ドラゴの顔がみるみる歪んでいく。

 それを見て大仰な溜め息をつき、千尋は、はにかむようにドラゴを上目遣いで見上げた。


 いつかどこかで見たような懐かしい姿。


 思わず涙の引っ込んだドラゴに、小人さんは大きな包みを差し出す。


「ハッピーバースデー! トーちゃんっ!!」


 にぱーっと笑う愛娘を見て、ようやくドラゴは気がついた。


 そう。今日は小熊親父が小さなお家にやってきた日。


「本当の誕生日は分からないけどさ。せっかくだから、やってきた日を誕生日にしようよっ! 開けてみ?」


 思わぬ言葉に呆然としつつ、ドラゴは石の爪をつかい器用に包みを開ける。そして絶句。

 開いた包みの中には木の箱があり、蓋をあけると、中には精巧に造られた模造品の手が入っていた。

 重厚に光る鈍い光沢。艶消しされた美しい金属は、人間の手を模しており、人差し指と親指の先端にだけ、ピンセットのように細い爪がつけられている。

 固そうに見えるそれは、表面が地味に柔らかい。透明な何かが厚く被っていて、まるで本物の皮膚のようだった。


「前に討伐した変異体のスライムいたじゃない? あの素材を持ち込んでさ、人工皮膚みたいなモノを造れないかキルファンに頼んでたのさ」


 あんな前から?


 かれこれ半年以上前の話だ。そんな頃から、これを造ろうと考えてくれていたのか。


 ドラゴは知らない。いや、知ってはいるのだが、小人さんの前世だった地球という世界を彼は知らない。

 試行錯誤は御家芸。失敗は成功の母。幸い素材はたんまりあった。

 キルファンの技術力をもってすれば不可能ではない。

 石ではいずれ行き詰まるだろう不具合を予測し、今のアルカディアで作れる最高の義手を小人さんは製作してくれたのだった。


「誕生日に間に合うか不安だったけどね。やー、良かったわぁー♪」


 昔と変わらぬ無邪気な笑顔。


 ドラゴは一瞬で時間が巻き戻る。


 あの頃も、千尋は親子になった一周年記念だと言って、真っ赤なチーフに刺繍をしたモノをプレゼントしてくれたのだ。コックチーフにされた可愛い刺繍。


 .....変わらない。


 何十年、何百年たとうとも、小人さんの根底は全く変わらない。自分だってそうだ。上手く動く爪が手に入った途端、作りたいと思ったのは愛娘のバースデーケーキ。


 寂しさとは別の気持ちで胸が一杯になり、結局、号泣する熊親父様。


 克己が御菓子の城に頼んで用意したケーキを受け取ってきて、小さなお家はお祭りムード。

 三人でせっせと御馳走をこしらえ、今夜は豪勢な夕食を摂る。


『千尋が何をやってるのか知ってはいたんですけど。伝えるわけにもいかず、苦しかったですよ』


『そうだったんだな、すまん。.....それにしても美味いな、このケーキ』


「美味しいねー、さすが御菓子の城だわ」


 言葉も通じていないのに、なぜか会話になる謎。言葉は飾りだ。喜色満面な笑顔があれば無問題。


 楽しいひとときを過ごして眠りについた三人に、ようやく静かになったと安堵するメルダ様。


 しかし翌日、別の意味で絶叫が響き渡る大きな森。




『これの金属部分はミスリルぅぅっっ?!』


「ミスリル。錆びないし、丈夫だよ?」


 今のアルカディアで最高峰の金属だ。そりゃあ丈夫だろうよと、胡乱に眼を彷徨わせる克己ガラス。

 主の森繋がりな隠者権限でフラウワーズに捩じ込んだらしいと後で知り、ドラゴと克己が顔面蒼白になるのも御愛嬌。そして.....


《.....うるさい》


 忌々しげなメルダの呟きが日常的になりつつある大きな森だった。

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