第3話 大きな森の鴉


『すまん.....』


 しょんぼりと項垂れる小熊親父。


 小熊化したドラゴは全身を粉まみれにして、砕けた卵が散乱する床に座り込んでいた。

 料理人の性で夜明け前に目覚めた彼は、横で眠る愛娘に相好を崩す。

 昨日、新たな出逢いを果たした二人は、なんとなくで一緒に暮らすことになったのだ。


『にゅ? お腹一杯なったよね? 帰らなくて良いの?』


 熊でも食べやすい袋トーストをたっぷりいただき、満腹になったドラゴはしばし昼寝をした。

 そして、千尋についてまわり、あれやこれやと御手伝いをする。

 薪割りや草むしり。初夏の陽光を浴びながらパタパタと働く二人。

 そして陽がかげるころ、千尋はお土産になるよう沢山の食べ物を包んだ風呂敷袋を小熊に差し出した。

 だが微動だにせず、座り込んだままの熊。


『行くとこなどない。おまえの傍にいたいんだ』


 くぅーんとか細い声をあげて見上げてくる熊に、千尋は首を傾げる。


「お母ちゃんが心配しとるかもよ? 兄弟もいるんじゃないの?」


 ふるふると頭を振る小熊。


 そういや、熊って子供を一人しか生まないんだったかな? こちらではどうか分からないけど地球だと普通は一匹。多くても二匹だと聞いたことがある。

 一人立ち? にしては小さすぎるようにも思うけど、もしそうなら、親に縄張りから追い出されたのかもしれない。


 ふぅーむと考え込み、千尋は小熊の前にしゃがみこんだ。


「んじゃ、ここで暮らす?」


 ぱあっと輝く小熊の瞳。


 ん~? こっちの言うこと理解してる気がするなぁ。


 嬉しそうにクルクル回る小熊様。そこにやってきたメルダが、小熊を見て金色の眼をすがめた。


《チヒロ様、それは?》


「お? お帰り、メルダ。迷子みたい」


『.....それは魔物ですよ? たぶん突然変異の。まだ姿は真っ当な動物ですが、これからさらに狂暴に変わっていくでしょう』


 千尋は軽く眼を見張って小熊を見る。

 

 アルカディアの魔物は、突然変異(ミュータント)かそれらの交配によるキメラばかりだ。こうした特定の姿形なモノは、生まれたばかりの突然変異。


《今はまだ魔力も低いし野生動物と変わりませんが、時がたてば..... お分かりですね?》


「うん」


 魔力を求めて人を襲う魔物となる。しかも熊だ。大きく破壊力のある魔物になるだろう。


「なら、ここに置いておかないとね。人里近くにいかないように」


《はい?》


 思ったのと違う返答に、メルダの顎が落ちた。

 

 いや、そうでなく。脅威的な魔物に成長する芽を摘まないと。


 と、言い募ろうとしたメルダだが、小人さんの眼に浮かぶ不可思議な憧憬に言葉を呑み込む。


「なんか、他人な気がしないさぁ。アンタ、家の子になるかい?」


 しょをぼりと項垂れていた小熊の背中。くぅーんと見上げてくる真っ黒な瞳。その色々に、千尋は妙な既視感を覚えた。


 いつかどこかでみたような?


「うちに住むなら名前がいるね。どうしようか」


 にぱーっと笑う幼女様。その呟きを耳にした小熊は、ギラリと眼を剥き、地面に爪を立てる。

 ガシガシと綴られる大きな文字。

 それを見て、小人さんは眼を丸くした。


「ち.....ち? ちーち? それがアンタの名前?」


『違うっ! うーっっ!』


 神々との約束で正体は明かせないドラゴ。だが、呼ばれたい。父ちゃんと。

 必死な面持ちで地面に殴り書きする小熊。


「トーチ? ん? チーチ? トーチ? どっち?」


 問われてドラゴは閃いた。


 がっと大きく文字を書く。


 そこには、トー。


「トー? それがアンタの名前?」


 うんうんと嬉しそうに頷く小熊様。


「んじゃ、トー。今日から宜しくね。.....トーってのも呼びにくいな。語呂悪いし。トーさん、トーちゃん。うー?」


 トーちゃんと呼んだ時に、小熊がウオウっと大きく吠える。

 それを見て、千尋は名前を繰り返した。御機嫌な小熊。


「トーちゃんが良いんだね? おけ、.....なんか懐かしいな」


 満面の笑みで小熊を撫でる小人さん。

 それに満足げな顔をして、ドラゴは千尋の家に迎え入れられた。


 で、物語は冒頭に戻る。




「うっわーっ! 大惨事だね」


 呆れぎみにドラゴを見つめる千尋。

 台所は飛び散る卵と小麦粉で、わやくちゃになっていた。

 だがボウルに残る小麦粉の残骸から、彼女は小熊が何をしようとしたか察し、口許を緩ませる。


「御飯を作ろうとしたんだね。昨日のアタシの真似をしたのかな? お腹空いたの? ごめんね」


 謝る千尋に、小熊は両手をわちゃわちゃさせた。


『違うんだ、真似をしたのではなくなっ! その、.....やれると思ったんだ』


 熊の身体を舐めていたドラゴ。

 指が短すぎて爪を使ってもボウルを押さえられなかった。箸もフォークも持てなかった。何とか小麦の袋は持てたものの、入れた小麦粉の大半はボウルからこぼれてしまった。

 卵にいたってはさらに悲惨なことに。籠から取り出すことも出来ず、つるつる滑ったあげく籠をひっくり返してしまったのだ。


 うぐぐっ、こんなことなら熊ではなく猿でも選ぶんだった。


 いまさらな後悔に両手で顔をおおって、天を仰ぐドラゴ。

 小熊の可愛らしい仕草に、思わず噴き出す小人さん。


「でもアンタ、賢いなぁ? 文字も書けるし、失敗したとはいえ料理の真似をしようとするし。魔物って、そういうモンなのかね」


 モノノケ様ばかりがたむろう小人さんの周りに、野生の魔物は近寄らない。鉄壁のガードを森の主達がしいていた。だから千尋は、魔物というモノを、ほとんど知らないのだ。

 その認識不足がドラゴに幸いする。

 魔物とはこういうモノだという間違った意識が千尋にはあった。


 何故なら、以前にも起きた事だからだ。


 台所を片付ける二人の耳に、小さなノックが聞こえる。


「あ、来たかな?」


『来た? なにが.....』


 てちてち歩く幼女な小人さん。その後ろ姿を見て、感涙に咽ぶドラゴ。

 

 あああ、いつまでたっても、うちの娘は可愛ええのう。


 デレデレが隠せないドラゴの前で扉を開けた千尋は、外へ声をかける。


「ありがとう、カーツ。お疲れ様ね」


 カーツと呼ばれたモノは、勢いよく部屋の中に飛び込んできた。

 

 カアアァァーっと高く鳴く大きな鳥。それは小人さんの身体半分以上もある大きなカラスである。


『チィヒーロぉぉっっ! 危ないっ!!』


 巨大なカラスに驚き、ドラゴは全身を逆立てて威嚇した。それにぎょっと眼を剥き、件のカラスが呆然とドラゴを見つめる。


『え? 誰?』


『おまえこそ、誰だっ!!』


 かぁぁーっと、グアウっの攻勢。そして二匹は、きょんっと呆け、お互いを凝視した。

 見えない冷や汗が二人を襲う。


『.....言葉が通じてる?』


『そのようだな..... まさか、おまえも? 神々から?』


 うわあぁぁーっと背を仰け反らせる二匹を不思議そうに眺める小人さん。


『ひょっとして知り合いか? 俺はドラゴだ』


『嘘だろぅぅ、克己ですよぅぅぅっ、俺ぇっ!』


『んなぁぁぁーーーっ?!』


 千尋よりも先に虹の橋を渡った克己。彼は天上界で千尋を待ち、なに食わぬ顔でその傍にやってきた。この先客があったため、千尋はドラゴに不自然さを抱かなかったのだ。

 似たような経緯で、克己もカーツという新しい名前を得ていた。


『神々から望む来世をって言われて..... 千尋が心配で。でも、コイツにバレたら、たぶん怒ると思って..... 内緒に』


『まあ、分からんではないが。よくもまあ。あれから数百年もたつ。魔物とはそれほど長生きなのか?』


『特別仕様なんだ、俺。ほら、地球の魂だからさ。神々から祝福をもらっているんだ』


 なんだとぉぉーっ!


 千尋の複雑怪奇に深く関わり誰よりも協力してきた克己は、アルカディアの双神から祝福をもらっていた。上手くすれば次の転生で御先となれるかもしれないらしい。

 彼は神々の序列にすでに並んでいるのである。

 なので余程のことがなくば死ぬこともなく、森の主達同様、千年以上の寿命がある。


『ズルいじゃないかぁぁっっ!』


 おうおうと号泣する小熊親父。さーせん、さーせんとペコペコ頭をさげる克己ガラス。

 

 思わぬ邂逅でパニック状態な二人を余所に、何も知らない小人さんは狼狽えた。


「なん? どしたの、二人ともっ、ほら、泣かない泣かない」


 小人さんに撫でられながら、おーいおいとボロボロ涙を溢すドラゴ。


『まさか、他の皆も魔物に? 桜とかもいるのか?』


 微かな期待を滲ませた小熊から、克己ガラスは気まずげに眼を逸らした。


『いや.....。神々の話では、よほどの功績がないと無理みたいです。俺も、まさかドラゴさんが来るとは思いもしなかったし』


『そうか..... そうだな。虫が良すぎるよな』


『でも、きっと良い来世はあったと思います、幸せにしてますよ、絶対』


 小人さんに関わったとはいえ、彼等は隣人にすぎない。克己やドラゴのように格別の配慮を貰えなかったようだ。

 それだけ神々の不文律は厳しい。誰も彼もに祝福やチャンスを与えるわけにはいかないのだろう。


『俺達は運が良かったんだな』


『そうですね。それを別にしても、一時の感情で永遠を賜るのはキツいと思います』


 悠久を生きる神々は知っている。永遠の恐ろしさを。永久に死ねないという凄絶な孤独を。これは常人に耐えられる苦行ではない。

 耐えるとなれば並みならぬ執着と人間離れした精神力が必要だ。

 神々の理からいえば、祝福を与えられるのは一時代に一人ていど。その一人に選ばれた克己と、後の一人に選ばれたドラゴ。それだけでも破格な恩恵だったに違いない。


『必ず、永遠を得てみせる』


『.....感服しますね、その執念。頑張ってください』


 重いにも程のある小熊親父の愛情。呆れつつも、同類な克己の眼差しは温かい。


 短い指の両手を握りしめて、不屈の闘志を燃やすドラゴ。


『まずは千尋の役にたてるようにならないとな、かえすがえすも忌々しいのは、この身体だ』


 彼は、ぐぬぬぬっと短い己の指を睨み付ける。


『なら、魔力を増やして魔力操作を覚えましょう。ほら、こんな感じで』


 克己がふわりと脚を泳がせると、床に散っていた卵の欠片が一掃された。

 真ん丸目玉でガン見する小熊様。

 一掃された卵の欠片や中身はキレイに拭われ、ボスっとゴミ箱に投げ込まれる。


『人間と違って魔物の魔力は成長します。努力すれば多くの魔力を得て、強大な魔法や、繊細な魔法も使えます。つまり手足のように魔力を使えるわけです』


 ふおおおぉぉっと顔を煌めかせる小熊親父。

 カラスの身体でも不便はないですよ? と、ほくそ笑む克己。


 こうして小熊親父の魔力鍛練が始まる。


 そんな二人を、じっと眺めていた千尋。


「なんか.....? 気が合ってる?」


《そのようですね。どちらも変わった魔物ですから。.....妙に人間臭いというか》


 明らかな猜疑心を隠さないメルダ様。

 彼女は胡散臭げに二匹を見るが、まあ小人さんに害がないならそれで良い。

 まだ御先にもなっていない二人の会話は、メルダにも理解出来ないのだ。

 神々の繋がりから意思の疎通が可能だったに過ぎない二人。だかそれこそ僥倖。


 こうして新たな隣人を加え、さらに賑やかになっていく小さなお家である。

 

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