第2話 大きな森の小熊親父


『俺の願い?』


 呆然とするドラゴに、神々は頷いた。そしてこれまでの説明をする。

 千尋が神々のために喚ばれた魂であること。本人の希望で再びドラゴの娘となったが、複雑怪奇な色々が起こり、またもや世界と神々を救ってもらったこと。

 大まかな経緯は知っていたドラゴだが、あらため聞いた詳しい話しの凄絶さに言葉を失う。


《そなたは、よく千尋を支え育ててくれた。なので、褒美を。そなたの望む来世を与えよう》


 神々に助力した魂には、幸せな来世が約束されている。悲惨な嘆きを経験させたからこその神々の贖罪。

 ドラゴはファティマとの別れを思い出して、胸がひきつれた。


《あれは必要な別離であった。すまぬな》


 切なげに眼をすがめ、カオスはドラゴの頭を撫でる。そんなカオスを見上げ、ドラゴは真摯な眼差しで問いかけた。


『チィヒーロは? 永遠を得たという俺の娘は、どうなったんだ?』


《フロンティアで元気にしておるよ? クイーンの森で、モノノケ達と賑やかな一人暮らしを》


『.....一人暮らし?』


 軽く俯いて、ドラゴは思案する。その眼に浮かぶ獰猛な光。以前、千尋を娘とした時に、その光は、子供を捨てた親へ憎悪を募らせた時の瞳とよく似ていた。


『.....させるか』


《ん?》


 ぽとりと重くまろびたドラゴの呟き。


『チィヒーロの傍にっ、あ..... どうすれば? えーっと.....』


 悲壮な面持ちで頭を上げたドラゴは、珍妙な顔で眉を寄せ、真剣に悩んだ。


 千尋の傍にいるにはどうしたら良いのか。新たに生まれ変わるなら赤ん坊だ。それでは千尋の力になれない。

 しかも浄化されて記憶を消されるという。八方塞がりだ。何の役にもたてはしない。

 うむむむっっと顔をしかめるドラゴを見下ろし、その思惑を察した双神は悪戯げに微笑んだ。


《.....本来なら許されぬことだが。魔物の身体を構築して生まれ変わらせてやろうか?》


『魔物?』


 アビスは小さく頷く。


 人の理に合わせるならば、ドラゴは魂を浄化して新たな命に生まれ変わるが、魔物ならばその内ではない。

 突然変異する魔物の一体にドラゴの魂を憑依させることは可能だ。それならば魂を浄化する必要もなく、記憶を持たせたままクイーンの森に送る事が出来る。


《魔物ならば御先の僕にもなれよう。上手く僕になれれば、そなたも永遠を得られる。アルカディアという世界が終わるまで千尋と共に暮らせるぞ?》


《ただし、一つだけ約束せよ。僕である御遣いになるまで、正体を明かすことは許されない。それでも良いか?》


 高次の者達が封じられたとはいえ、神々の理は健在だ。今ある生を歪めることは出来ない。

 神々に連ならねば、ドラゴの魂は人の理から除外されないのだ。

 かつて小人さんの魂が、天上界で高次の者達の祝福によって神々の序列に加わり、浄化を免れたように。


《まずは神々の序列に加わること。それが先決である》


《そうすれば、そなたの魂は人の理から解放される。千尋に父なのだと明かしてもかまわぬよ》


 ぱあっと顔を煌めかせ、ドラゴはブンブンっと首を振った。


『それで良いっ! 魔物でかまわないから、俺を千尋の傍に送ってくれっ!! ずっと見守ってやりたいんだっ!!』


 ふんすっと鼻息の荒い熊親父。そのキラキラと輝く瞳に、双神も苦笑い。


《そなたらは、まったく.....》


 ら? 


 何かを含むカオスの呟きに疑問符を浮かべるドラゴを余所に、双神は下界を見つめる。


《魔物に突然変異しそうなのは..... 何匹かいるな。好みのを選ぶが良い》


 カオスの広げた水鏡に映るのは、可愛い系から獰猛系の色々な動物達。

 それをじっと眺め、ドラゴの視線がある一匹に吸い寄せられる。


『これっ! こいつにしてくれっ!!』


 ドラゴの指差す動物を見て、双神は顔を見合わせて満面の笑みを浮かべた。



 こうしてドラゴは魔物となり、新たにアルカディアへと転生を果たしたのである。




「アンタ、誰?」


 朝早く、御飯前に畑の水撒きをしようとした小人さんは、その畑で人参を噛る生き物に首を傾げた。

 それは中型犬ほどの大きさの小熊。濃い茶色の熊は、ポリポリと人参を貪っていた。


『いや、そのなっ、腹が減ってな? すまんっ!』


 小熊に憑依してクイーンの森に送られたドラゴは、千尋が起きてくるまで家の前に座っていたのだが、どうやらこの小熊、長く空腹だったらしい。

 ぎゅるるるる~っと煩い腹の虫に負け、ドラゴは家の横にあった畑へ、ふらふらと誘われたのだ。

 あわあわする小熊に呆れ、千尋はクスクス笑いながら、その頭を撫でた。


「ええんよ、べつに。お腹空いてんねやろ? 何か作ってあげようか?」


 ぽふぽふと撫でられ、小熊の眼に浮かぶ涙。


 ああ、懐かしい..... 昔もよく、こうして撫でてもらったものだ。


『チィヒーロ.....』


「泣けるほど御飯に飢えてたんか。待ってな、すぐ御飯作ろう」


『てっ、手伝うぞぅ!』


 家の扉を開けて手招きする小人さんを追って、小熊は二足歩行でとてとて歩いていく。

 ぐらぐら揺らぎつつ歩く小熊を不思議そうに見つめる千尋。


「器用やね、アンタ。四足のが楽やないん?」


 ドラゴは、ついつい二本足で歩いていたことに気付き、はっと冷や汗を流しながら四足になる。


「変な子やなあ」


 きゃっきゃと料理の支度をする千尋の背中を、ドラゴは感無量の面持ちで見つめた。


 ああ、本当にまたお前と暮らせるんだな。創世神様、感謝します。


 うるうるお目眼の小熊親父。


 こうして誰も知らないところで、再びジョルジェ親子の暮らしが始まった。



《息災にな》


 ドラゴと入れ換えた小熊の魂を抱きながら、カオスとアビスはドラゴにエールを送る。


《そうだ、今回の礼に、そなたにも良い来世を贈ろう。望みはあるか?》


『ごはんっ!』


 はふはふと舌を出す小熊の魂は、すんすんっと甘えたように鼻を鳴らした。

 ドラゴが憑依する直前まで、餓死寸前だった小熊。その凄絶な飢えが、小熊を魔物に変異させようとしていたのだ。

 無邪気な小熊の一言に、二人は言い知れぬ切なさを感じる。


《そうか。ではまず御飯だな》


 世に哀しみは尽きない。


 そんな哀しみの涙が乾くことを、切実に祈る双神だった。

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