第25話 奥さん事件です

 ドゴオオオオン!

 突然の大音量に飛び起きた。小さな物音さえ聞こえなかった……わけではないだろうけど、ぐっすり寝ていたから多少の物音では目覚めない。

 たがしかし、多少じゃなかったら話は別だ。

 大きな地震でも起きたのかと思ったがベルヴァの動きからそうじゃないと理解した。

 同じベッドで眠っていた彼女は無言で反り身の剣を手に取りすっと目を細めたのだから。

 

「敵襲か?」

「はい。街中に堂々とやって来るとは……信じられません」

「俺には音しか分からなかった。この宿の中か?」

「はい。急ぎましょう!」


 呑気に眠る駄竜の尻尾を掴む。

 

『何をする!』

「アイテムボックスの中に入るか、このままここにいるか、俺たちと来るか、どれがいい?」

『小物の気配はするな。小物程度でいちいち目覚めていて……むがあ』

「だから、どうするのか選べって。まあいい、アイテムボックスの中に入っていろよ」


 尻尾を掴んだまま、ファフサラスを収納するよう念じると同時に動き始める。

 

『我を邪蒼竜ファフサラスと。拒否だ。拒否! こら、尻尾を引っ張るな』

「めんどくせえ」


 ぽいっと放り投げたら、ベッドに落ちる前に重力に逆らい宙に浮いた駄竜が俺の背中にしがみ付く。

 爪を立てるなって! チクチクして痒くなる。

 

「先行します」


 ベルヴァが発言するなり動き出す。

 緊急事態だけに防具など装着することもなく……と考えてみれば俺もベルヴァも鎧なんて持っていなかった。

 いやいや、ローブがあるだろ。ローブは室内に残してきたぞ。なので今はチャージのみである。

 防御力的にはほぼ変わらないけど、異世界の服装ぽいローブを外したら仕事終わりに寛ぐ悲しきサラリーマンそのもので微妙な気分になって、いや、考えるな。感じろ。

 何をだよ。

 

 と一人ノリ突っ込みをしている間にも場面は変わる。

 階下の一番奥の部屋が爆心地らしい。

 防犯のためか硬い鉄扉になっている。


「任せろ!」


 ベルヴァを下がらせ、足裏を思いっきり扉に押し込んだ。

 ドゴオオン。 

 勢いが強すぎたらしく、鉄扉が吹き飛んでしまった。


「だ、大丈夫ですか……」

「あ……う。次から次へと……どうなって……」

 

 茫然とした宿屋の女店主の声。

 あ、危なかった。

 彼女が尻餅をついている頭のすぐ上を扉が突き抜けた様子。

 肝が冷えた……よかった。あの人に当たらなくて。

 

 しかし、鉄扉は別のものに当たっていたのだ。

 無残に鉄扉に潰されていたのは黒光りする昆虫の甲殻のような物体だった。

 何ぞやこいつは?

 蜘蛛かな? うーん、蜘蛛にしては昆虫よりの脚だよなあ。

 

「ラウンドスパイダー……でしょうか」

「蜘蛛なの?」

「はい。地下深くに巣をつくる蜘蛛です。地上で、ではありますが、一度だけ見たことがあります」

「扉の下敷きでよくわからないな……」


 誰だよ。こんな扉を蜘蛛の上に置いた奴は、何てことは言わないぞ。

 本来慎重なはずの俺がどうもこう行動が刹那的になっている。

 アイテムボックスの中で長く過ごしすぎた悪影響が出ているのかもしれない。

 

 宿屋の女店主を助け起こすベルヴァに比べ、俺と来たら……。

 自己嫌悪に陥りそうになるが、今はその時ではないと気持ちを切り替える。

 

「申し訳ありませんでした。魔物の気配がしたため、急ぎ駆け付けようとしたんです」

「お客さんが来てくれなかったら、あたしはそいつに食い殺されていた。結果的に助かったんだ。感謝しかないよ」


 いたたと腰をさする小柄な店主の気遣いにじんときた。

 「ごめんなさい」と心の中で再度謝罪をして、白髪の耳の尖った老婆へ願い出る。

 

「部屋を調べさせて頂いてもよろしいでしょうか?」

「見りゃすぐ分かるよ。そこだ。下から出てきたんだよ。そいつは」


 ベルヴァに支えられながら、彼女は節くれだった指先を蜘蛛へ向けた。

 しかし、鉄扉で蓋がされ確認することができない。

 

 しゃがんで扉を掴み、うんしょっと持ち上げる。軽い軽い、レベルカンストの俺のパワーなら楽勝だ。

 

「あ、あんた……一体どんな体をしてるんだ……。そいつはあたしらドワーフでも難儀するんだよ」

「ドワーフさんだったんですか」


 顎が落ちた彼女に軽い調子で受けごたえしつつ、扉を壁に立てかけた。

 ふむ。蜘蛛はちょうど飛んできた扉に潰されて原型が分からなくなっている。どろりとした液体が飛び散っているわ、頭は元々どんな形だったのか推測もできない。

 脚の数が八本だということだけが、蜘蛛だと言える確かな情報だろうか。

 しかし、俺の知っている蜘蛛と大きく異なる。蜘蛛を巨大化したモンスターなのかと思ったけど、こいつは蜘蛛に似て蜘蛛ではないのだ。

 蜘蛛は鋏角類という種類に属する生物で体が軟かく、サソリとかに近い。前脚のうち二本が鋏角と呼ばれる部分で、ここから毒を注入し獲物を捉えたりする。

 こいつは体が頭と腹部に別れ、脚が八本あるところは蜘蛛に似るが、体表が甲殻で覆われていて、作りとしては昆虫なんだ。

 昆虫と蜘蛛は遠縁で、体の作りが結構違う。こいつは蜘蛛と捉えるより、蟻の仲間と思った方がいいかもな。

 

「すいません。すぐ戻ります」


 彼女の部屋から外へ出て、アイテムボックスから錆びた槍を取り出す。

 槍で蜘蛛もどきをどかせると、大穴が出てきた。

 この穴を伝って、この蜘蛛もどきが侵入したってわけか。

 

『お主のことだから、こいつをブレスで蒸発させろとでも言うのかと思ったわ』

「それもいいな」


 足元にいる駄竜がなかなか良い提案をしてきた。俺も考えなかったわけじゃない。

 素手で掴みたくないから槍を出してきたわけだが、ブレスで蒸発させればどかす手間も必要なくなる。

 だけど、室内でブレスを吐き出したら酸欠になるかもしれないだろ? なので、手間がかかる槍を選択したのだ。

 思慮深い俺ならではの案である。

 

「こういった事件ってこれまでもあったんですか?」


 と老婆の店主に問うと彼女は「そうだねえ……」と言いつつ。

 

「岩窟都市の中で大きな音やら、突然行方不明になった者がいた、と言う話は聞くね。これが原因だったのかもしれないねえ」

「昼間に鍛冶屋の近くでもガラガラと崩れる音がしたんです。ひょっとしたらその音もこいつが原因だったのかもですね」

「こんな魔物が岩窟都市の更に下に潜んでいたなんて……」

「潜んでいるのか、調べてきます」


 穴があったら入りたいと思わないか?

 興味が大半、残りは人助けと冒険者としての名声稼ぎだ。

 この時の俺は冒険者として活動するなら依頼を受けなきゃいけないということが抜け落ちていた。

 後々それを嘆くことになるのだが、この時の俺はまだ知らない。

 

「そんじゃあ、探索と行きますか」

「私もお供します」

「ちょっと、あんたたち待ちな。人間だったら暗いところは見えないだろ?」


 気を利かせてくれた店主がランタンを持たせてくれた。

 アイテムボックスの中にランタンがあったから、彼女の目が届かなくなってから取り出そうと思っていたけど、持たせてくれた方がありがたい。

 後から暗い中どうしたんだ、とか変な勘ぐりをされなくてすむものね。

 彼女に礼を述べて、俺たちは大穴の中へ入る。

 

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