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朝。体は痛くない。まだ風呂効果は継続しているようだ。コダーイ「マロシュセーク舞曲」リヒャルト・シュトラウス「交響詩マクベス」を聴く。眠気はあまりない。少しあるかも。二度寝はしない程度だろうか。身を起こす。痛い痛いと言うことはない。コダーイの音楽はいい。ジプシー音楽と洗練されたモダニズム的な手法がマッチしている。ピアノ曲集とかあれば欲しいけど見かけない。メシアンの遺作「彼方の閃光」「ドビュッシーピアノ曲全集」のCDをAmazonで注文。ビュトールの「時間割」も欲しかったが文庫本の中古で5000円近くするので断念。昔、埼玉県川越市の本屋にあるのを見たことがある。その時に買っていれば、と後悔。

朝メシ。ハムのホットサンド、コーヒー。洗濯機を起動。キワドイTバックを穿いてケツを撮影。その画像をはてなブログに掲載。初めてケツの画像を公開した。性的に興奮する人が現れたならば嬉しい。役に立ちたいものである。

ゲイ動画を凝視しながらチンポを気持ち良くする作業に邁進。筋肉男子が意外にも高く細い声で「あっあん」などと発言する。

食い物ないので外出。外出前に「ケツに入れるからね……」という記事を書き、撮影した「アナルプラグ」の画像を掲載。

松屋で豚焼き肉定食。腹が満腹になって苦しいとか胃もたれするとかならない。ちょうどいい量だったのか。豚焼き肉定食、良い感じかもしれない。電車移動。大江健三郎「運搬」を読む。

ブックオフ。梁石日「血と骨 上・下」山本昌代「デンデラ野」橋本治「短編小説コレクション」を購入。山本昌代の小説は本屋でほとんど見かけないので掘り出し物だった。ヴィヴァルディ「ロ短調の協奏曲」シェーンベルク「管弦楽のための5つの小品」カバレフスキー「交響曲第2番」ヴァレーズ「アルカナ」を聴きながら帰宅。

「運搬」を読み終える。大江健三郎学生時代の小説だった気がするが、素晴らしい短編。屠殺した仔牛を「運搬」する話。仔牛の死骸が様々なものを意味し、象徴する。時には運搬している「僕」自身の裸体すら象徴し、著しい恥辱をもたらす……。

帰宅。「帰宅したから乳首出す」という記事を書き、そこに撮影した乳首画像を掲載。

しばらく寝ていた。20分くらいか。

「夜が近づく。おじさんの体も……。」という記事を書き、そこに撮影したセクシー下着着用のヌード画像を掲載。

ゲイ動画を凝視してチンポを気持ち良くする作業に邁進。毛深い太め(デブではない。あくまで筋肉質)の顎髭生えたワイルド系の男の子がケツをガンガン掘られてしまう動画だった。かなり強面なのに意外にも喘ぎ声は可愛かった。ギャップ萌えがかなりあり、興奮してしまった。「可愛い、可愛い」と連呼しながら達したのだった。

ブローティガン「芝生の復讐」を読む。出前館で夕飯を注文。ピザハットのお一人様セット。プルコギのやつにした。後はサングリアスパークワイン・赤も一緒に頼んだ。30分ほどで若い男の配達がきたが赤ワインを忘れた、とりあえずピザだけ渡します、別の者がすでに配達に向かってますので、と釈明。この場合、ピザだけ渡されても、飲み物が来る頃には冷めてしまうのでは?基本、最優先すべきは食べ物と飲み物を同時に渡すことで、とにかく早く渡せばいいというものではあるまい。と思ったが、俺は面倒が嫌いなんで、はあ、そうすか、としか言わなかった。その後10分くらいでオバサンが赤ワインを配達。嫌な感じがした。ここでオバサンを送り込む出前館サイドの意図を感じてしまった。女にならば、オバサンにならば、そんなに強く、罵声を浴びせたり怒鳴ったりできないでしょ?ね?そうでしょ?みたいな。嫌な感じがした。まあ、何にも言わなかったが。はあ、どうも、と言い、金を渡した。

俺は他人から嘗められやすく、馬鹿にされやすく、侮蔑されやすい人物だと昔から自覚しているので、もう、他人を注意したり、叱ったり、怒ったりが、非常に馬鹿馬鹿しく思うようになっているのだ。つまり、こっちがマジで怒りだからな!と態度をいくら表明しようと、相手はただただ見下し、侮蔑し、馬鹿にするだけ、あるいは嘗めているから逆ギレして、てめえごときが何言うか!と怒鳴ってくるか。そうなるのだ。もう、面倒になってしまった。疲れた。他人はもう、疲れた。他人からは疲弊しか得るものがない。だから、もう、俺はなんも言わないのだ。散々、嘗められ、見下され、侮蔑され、馬鹿にされてきたんだから。もういいってならない方がおかしかろう。

今日はどうだろうか。何も胸糞悪いことなどないように思えるが、思い返せばある。思い返さない方が良いのかも知れない。例えば帰って来る時に向こうからカップルが歩いて来て、「ああ、こいつらは一切こっちに気を遣わない、絶対に避けることはない」と思ったら、案の定そのまま突進してきて、俺が避けるハメになる、とか。そんなことはザラにある。カップルや家族連れや仲良しグループなどは、基本的に「内輪のなかでは大いに気を遣う」のである。そして、「内輪の外」「世界から排除した人」に対しては一切気を遣わない。というか、存在を認めない。死人と同じように処理する。幽霊。多分、声を掛けたら不思議そうな顔をするのではないか。「え?この人は幽霊で、すでに死んでいるはずの人なのになんでいるの?」みたいな。俺は常に「排除される人」だ。グループとか入ったことがない。恋人も友達もゼロ。家族も生きてるか死んでるかわからん。会社の連中は所詮は敵でしかない。そういう俺から見ると、本当に胸糞悪い世界としか言いようがないし、生きづらいどころの話ではない。そもそも生きることが許されない存在として、毎日を過ごさねばならないのだ。

youtubeでニュースを見る。「個人で核兵器を作ることって可能なんですか?」という質問をコメントに投げてみる。色々反応があった。「作れない」「核爆弾くらいだったら個人でも簡単に作れますよ~」「作れるわけねえだろボケ!」とか。「プーチンさんの目って透き通るような青。とても綺麗で素敵に思います。」とコメントをしたが特に反応はなし。

「芝生の復讐」所収「天の鳥たち」「コーヒー」「シンガポールの高い建物」を読む。概して空虚なんだが、けっして深い深いストーリーはないのだが、乾いた文体なのだが、何か静かな気持ちになる。単純に悲哀とか、そんな言葉では捕捉できないようなものがあり、定期的に読んでしまう。


(了)

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