第38話 師匠を追って
治療を受けたとは言えかなりのダメージを受けていたルスカはギルドに併設されている部屋で今だに動けずにいた。
骨に関してはそれほどの負傷ではないものの、ルスカの身体全体と言っていいほどに筋肉と関節にダメージが溜まっていて治療を受け外傷と呼べる痣のようなわかりやすいものは治っているがルスカ本人は今だ満足に身体を動かすことが難しい状態が続いている。
病室……と呼ぶにはいささか鉄と油の匂いが強く、部屋の中にある蒸気が通っているであろうパイプと銅線のため部屋も蒸し暑いくらいで、知識を持ち合わせていないルスカにとっては回復が進んできているもののまだ派手に動くことが出来ない今の状況は眠ることもできず悶々としていた。
そんな折、部屋の外から聞き覚えのある声がいくつか聞こえてきた。
「ゴブリン!?可能性は考えられてたが、マジでいたのかよ!」
ルスカが傭兵登録した際に聞いた覚えのある声の主がそう叫んでいた。
受付からこの部屋がどの程度の距離なのかはルスカは気を失った状態で運び込まれていたためわからないが、どの程度距離があったとしても職人ギルドと併設されているこの建物は常に何かしらの歯車の摩擦音と蒸気の吹き出す音、金属の衝突音がある環境ではっきりと言葉が全て聞き取れた以上は相当な声量であったことは間違いない。
傭兵ギルドの受付がそれだけの声量で騒いだにも関わらず、ギルド内から聞こえる音が変わらないことにルスカは疑問に思う。
傭兵ギルドという名前ではあるものの実体で言えば仕事の斡旋を行う半官的な業務を行っており、受付の人間がそれだけ驚く事態なのであれば街全体の問題である可能性は高いはずなのだがその様子がベッドの上にいるルスカにはうかがい知れない程度の騒ぎなのだ。
ルスカが聞こえてきた言葉に意識を向けていると、水の入った金属製のバケツを持ったプリオンが少し慌てた様子で部屋に入ってくる。
「えっと……」
ルスカの様子を見て何かを言いかけたプリオンは1度口を閉じるが、改めてルスカの目を見て言葉を繋げる。
「昨日工房に来た女性の方が受付さんに報告していたんですが、イネさんの姿がなかったので恐らく単独で……」
「師匠が?」
イネなら1人でも大丈夫という思考と、ゴブリンという未知な言葉に対しての不安と心配がルスカの思考は混乱するが、身体の方は今すぐ起き上がり動こうとしている。
「ルスカさん!動くのはまだ無理ですよ!」
「少し痛いくらい……!これならまだ動ける!」
「まだ動けるはもう動けなくなるってことじゃないんですか!人間も機械と同じでちゃんと休ませなきゃ十分なパフォーマンスが発揮できないんですよ!」
プリオンがルスカに掴みかかる勢いで詰めるも、ルスカはプリオンの腕をつかみ。
「それでも……俺には実戦の経験が足りなさすぎるから少しの機会も逃がしたくないんだ!」
「それは命と未来を天秤にかける程のものなんですかね」
ルスカの言葉に答えるように先日ホテルを襲撃してきた暗殺者の1人が開いたドアに寄りかかるような姿勢で会話に混ざってきた。
「はっきり言ってしまいますが、今のあなたがあの化け物を追いかけたところで死ぬ可能性すらありますよ。運が良ければ彼女に出会えて命は助かるでしょうが……ゴブリンは私も先ほど初めて見ましたが、アレと1対1で戦える状況は意図的に作るかよほどの運がなければまずないでしょうね」
ルスカは女がイネのことを化け物と読んでいることは一旦思考から外し、ゴブリンについての言及に意識を向ける。
「ゴブリンって何なんですか」
「さぁ?私も初めて見たと今伝えたはずですよ」
「伝聞もですか」
「風の噂程度しか情報が伝わってきていませんからね、この地域にはそもそもいなかった生物ですので」
「見たんですよね」
「あなたの師匠であるあの化け物が慣れた様子で駆除しているところしか見ていませんがね。人間の子供のサイズに筋肉を詰め込んで知能を下げた存在……であっているのかわかりませんが、私はそう感じましたよ」
「子供……?」
「大きさの想像だけで言えば最適な表現なのであなたの師匠の言葉をお借りしただけですよ」
女の言葉を聞いただけではゴブリンの容姿などは想像できない。
子供という単語が原因で脅威の度合いに関してもボケてしまい、いまいちどのような危険が発生するのかも想像しきれない。
「子供サイズの生物が脅威、なんですか……?」
そこはプリオンも同じだったようで自然と質問の言葉が出てきた。
「武器を持った子供の集団が連携して襲い掛かってくる、罠を仕掛けたりする知能もある、精神性は人間とは大きくかけ離れていて人類の標準的な規範に合わせたら醜悪なもの。この要素だけでも十分面倒だと思いますが?」
「魔獣と比べちゃうと……あまり……」
「あぁ成程、あのサイズの四足と比べればそれはそうなりますね。脅威の方向性としては魔獣は野生動物、ゴブリンは野盗の類と認識していただければ違いはわかりますか?」
「それなら……」
プリオンはあまり理解できていない様子ではあるがルスカはその例えを聞いて表情を硬くする。
「やっぱり俺も……!」
「来るなと言いましたよね?」
「それでも俺は……」
女はため息をしながら首を横に振りつつ言葉を繋げる。
「これはここに置いて行っても勝手に突撃するでしょうね……受付に止められるでしょうがここの受付の方は厳格のようでいてかなり融通を利かせる方ですし」
「それならどうだって言うんだ!」
ルスカは話の流れに身構える。
相手は暗殺稼業も行うプロで、護衛依頼も何も受けていない第三者を守る理由がなければ簡単に切り捨てることが出来る人間。
だが今ルスカに何かを行うような状況ではないことは会話が出来ている時点で悪意はないことは確定している。
「勝手に動かれると化け物の動向監視をする私にも、ギルドにもあの化け物にとっても不都合。かと言ってここであなたの足の骨を折って動けなくするとあの化け物にとって動けない期間が長引くことになるので私の命が危なくなる……なら連れて行った方が私にとっては1番都合が良くなるわけなんですよ」
「え……?」
自身の思考していたこととはかけ離れた言葉を聞いてルスカの動きが止まる。
「でもそれは!」
「見習い職人のお嬢ちゃんは留守番。昨日のやられ方を見ていたけれど骨まではダメージが入っていない上に筋を致命的な炒め方したわけでもないこいつは打たれ慣れていないところにダメージを貰って治りがちょっと遅いだけだよ」
「でも……喋り方も安定していないあなたの言葉を信用することは」
「普段交渉役は妹にやってもらってるからそこはごめんなさいね。それで、ついて来るの?」
プリオンの言葉を食い気味に封殺して女はルスカに再度確認する。
「もとより行くつもりだったんだ……迷惑になるかもしれないけれどお願いします」
堅いベッドから降りながらルスカは上着を羽織るのだった。
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