第9話 対恐怖訓練・序章

 ルスカが男に人質として使われてイネに助けられた翌日。

 ルスカは何故かイネに捕縛され自警団に突き出されたはずの野盗たちの1人と構えて対峙させられていた。

「これはあくまで訓練ではあるけれど、双方実戦のつもりで殴り合って欲しい」

 立会人をしているイネに昨日の基礎トレーニング主体ではなく、イネが適当に野盗の中から選んだ男と実戦形式での組手をするように指示された。

「今回は初回ってことで武器の使用は無し、関節技も禁止で基本相手の体に致命傷を与えるような攻撃は禁止と考えてもらっていい」

「じゃあどうやって勝敗を決めるんだよ」

 イネの説明を聞いて男が当然の疑問を投げかける。

「単純に座ったり倒れたりしたら失点、それが3点で負け」

「それで実戦のつもりは無理がねぇか」

「んー……それこそ気構えの問題だと思うけどね?」

 そう言いながらイネは男顔面と腹部に対して同時に拳を出し、顔面の拳こそ男は反射で防御したものの腹部に対して拳を当ててから。

「こんな風に不意打ち気味に鳩尾に一撃を入れれば1ダウン取れるよね。相手をどう仕留めるかを思考するのもこの組手の目的だってことだよ」

「それなら口で説明してくれよ……」

「当たる直前に拳を引いたからダメージなんてないのと同じ。ともあれ常に武器が使えるわけでもないし戦うタイミングなんてそれこそ相手には関係ないどころかこっちが準備出来ていない状態が理想なタイミングな以上基礎訓練と臨機応変な技量を身に着けるための訓練、どちらも大切なんだよ。隙を狙ってくる野盗は勿論、時と場所を選んじゃくれない野生動物や魔獣相手なんか特にね」

 そもそも素手で魔獣と戦うような考えを持っている人間なんてものはイネしかいないのでは……2人の頭には浮かんだものの言葉には出さず、そういったおかしな点以外は基本的には正論であるためルスカと男は素直に従うことにした。

「今回は訓練、お互い同条件での形にするからお互いそこの線で向き合うように立ってから始めるよ。始める時はこちらが合図を送ってから2人のタイミングで打ち合ってね」

 イネはそう言いながら距離を取り、男とルスカが地面に引かれた線まで移動してお互い向き合い……それとほぼ同時にイネは振り返りもせず。

「じゃ、はじめ」

 と言って手を叩いて鳴らした。

「そんな急に!」

 唐突に始められた実戦訓練に男とルスカは慌てて動くもルスカは足をもつれさせて転んでしまい、男もそのルスカの動きに対応できずにバランスを崩してルスカが最初に立っていた地点を大きく過ぎてから転びはしなかったものの姿勢を崩してしまった。

 そんな無様な状態になってしまったことでイネの反応を恐れたルスカは体を起こすより先にその様子を確認するが、ルスカの予想とは違い特に表情を変えることなく2人の組手を見守っている。

 こんな無様な状態でも中止もせず組手を継続ということを暗に示しており、イネの表情を伺ったルスカは次の行動が遅れてしまい体勢を立て直した男に顔面を蹴り上げられてしまう。

 今までの訓練でも打ち身等の痛みは経験してきたものの、顔面にクリーンヒットする形での蹴りというものを経験したことのなかったルスカはここで戦意を削がれてしまい蹴られた箇所を両手で抑えた所でイネが2人の間に割り込んできた。

「1戦目は……君の名前なんだっけ?」

「あ、え……って知らなかったのかよ!」

「適当にある程度見込みがありそうなのを掴んだから。それで君の名前は?」

「親からのなんて覚えてねぇが……あいつらからはロイって呼んでくるな」

「そう、じゃあ1戦目はロイの勝ち。ただ正直に言えば今日はこの後何回やってもロイの勝ちだろうから……どうしたものか」

「マジかよ、実際のところ急な開始でお互い様ってのが実際やった感想なんだが」

 ルスカが痛みでまだ反応できない状態で話が進んでいく。

「ルスカ少年に対して危惧していたことが現実になった形だからね、正直一朝一夕で解消できるかは本人次第だからイネちゃんがどういうメニューを組もうがどうしようもない問題」

「危惧?」

「ルスカ少年は恐怖に対して過剰反応してしまう。だから簡単に人質になってしまったし、今の組手でも戦っている相手以外を気にして反応が遅れるし、最初の一手だけで痛みに負けて動けなくなってしまったわけでね。実戦だったら確実に死んでいるし、それを自覚出来なきゃいけないからこその実戦組手だったわけだけど……」

 イネの言葉は今のルスカの様子が証明しているようなものである。

「ただだからと言ってロイの方も恐怖に勝ててるかというと微妙なところだからなぁ」

「倒れた相手に追撃入れれただろ」

「そりゃ負けること、死ぬことへの恐怖に駆られてだからね。致命傷になる攻撃は避けることと伝えていたにも関わらず顔面をつま先で蹴り上げた。これは十二分に相手に致命傷を与えて今後の人生無駄になりかねない攻撃」

「なんだよそれ、実戦ってのはそういうもんだろうが」

「それしかできないよりも、それ以外が出来た方が強くなれるとは思わないんだね」

「そんな器用な人間だったら徒党を組んで商人を襲ったり人さらいなんざやってねぇ」

「そりゃそうだ。ただ村に留まったということはロイはそういうことから足を洗おうと考えたのだから、相手を殺したりその後の生活って奴も考慮した戦い方を身に着けていくこと、いいね」

「正論を言われてもすぐには出来ねぇな」

「わかってるよ。だけど今の短い組手でルスカ少年とロイ、2人の問題点と今後の課題は見えたから……ロイの方は自警団に押し付けてもいいかなと思わせてくれる程度のものだけど、ルスカ少年は結構致命的だからなぁ」

 そう言いながら自身の顎に手を添えて考えるイネをみつつ、ようやく痛みがマシになってきたルスカは天を仰ぎ。

「俺は、戦いに向かないんだな」

 そうつぶやく。

 それを聞いたイネは考えながら。

「いやぁ臆病なことは決して戦いに向かない性格ってわけでもない。自分の命1つ守れない、大切に出来ない奴が他人の命を大切になんてできないからね。そういう意味では自警団のような誰かを守るための組織には向いてる性格だよ」

「いや流石にこのレベルは無理じゃねぇのか」

「ロイのその考えも正しいけど、ルスカ少年は木剣の打ち合いなんかはちゃんと出来ていたって自警団長から聞いてるからね、そこから見えるのは経験を積めばある程度のものは慣れることが出来るってこと」

 イネの言葉にルスカは少し腰が引けた。

 今の言葉は誰が聞いても、ルスカの今後の訓練は痛みの繰り返しであると捉えることが出来る。

「戦うことを前提として教えを請うた以上は多少はそういう訓練があるってのは覚悟で来たでしょ……ただルスカ少年が考えているような形で何度も攻撃を受けるっていう訓練は非効率だからそこは知識と技術でカバーできるようにメニューを考えているよ。まぁ刃物を向けられたりした場合の根源的な恐怖心の克服はしなきゃだけどね」

「簡単に克服されたら俺らは商売あがったりだな」

「ロイ、足を洗ったのなら元同業者の商売を妨害するのが今の仕事」

「やっぱ正論うぜぇ……」

 急遽組手に参加させられたはずのロイは、既にイネのペースに慣れている。

 しかしルスカはイネから現在の問題点を多く挙げられたことで自信を喪失しかけていた……。

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