第8話 イネの実力
収穫直前の黄金色になった麦畑を抜けて森の入口を肉眼で確認できる距離まで近づいたところでルスカは異変に気付く。
麦畑の中に隠れながら様子を見ると森の入口付近に所々破けた服を着た男が数人、村の方角を向いて何かを離している姿が目に入ってきた。
「なんだあいつら……」
村に訪れる行商等であれば早く村に入ろうと急いでいるだろうしそうでない旅人にしても同じことで、森の入口……しかも街道を塞ぐように間隔を開けて立つ意味なんてない。
敢えて考えるのであれば野盗や魔獣に襲われてというパターンになるが、それならば既に村まで数分程度の距離である以上助けを求めに全速力で走っている方が自然である。
麦畑は幸い、収穫直前なこともありルスカの姿を隠すだけ育っており森の入口付近を封鎖している男たちには気づかれずに隠れながら様子を伺うことにしたルスカではあったが状況的に少年の思考を混乱させるのに十分であり、進むか戻るかで堂々巡りの形で思考が停止してしまい動けなくなってしまった。
どのくらいの距離でなら気づかれないかなんて素人のルスカにはわからなかったし、今ここから村に戻りデグにこのことを伝令するにしても封鎖している連中が野盗だとしたら師匠であるイネが今まさに襲われているということでもある。
もしイネが野盗に襲われているのであれば助けに行くべきではないのかという考えもルスカの中では浮かんでしまい、今のルスカの実力でどこまでやれるのか、野盗の男たちがどれほどの実力を持っているかもわからない状態で戦ったとして複数人数を同時に相手にすることになったとしてちゃんと立ち回ることが出来るのか。
そんなシミュレートを脳内で繰り返すルスカ。
「動くなよ」
突然の言葉と同時に錆が浮かんでいるナイフをルスカの背後からわざわざルスカに見えるよう移動させてからルスカの首筋に添えられた。
森の入口に居る男たち以外にも能動的に動いて誰かいないか探っていた他の男が居たことに気づかなかったルスカは、更に動けなくなる。
「ガキか……まぁいい、男でもなんとかなるだろ。ほら立ちやがれ」
ルスカの首にナイフを当てている男が言葉と足でルスカに立つように指示を出すと、思考が停止していたルスカは驚くほどに素直に従ってしまう。
魔獣の時もそうであったが、ルスカには命の危機を感じると体がこわばり思考がまともに出来なくなる欠点を野盗に歩かされながらルスカは自覚することになった……とはいえ未だ少年と呼べる年齢の子供が命の危険をはっきりと認識できる状態でまともな思考が出来ることの方が少なく、ルスカの反応はごく自然的なものである。
「なんだそのガキ」
「隠れてやがった」
森の入口に居た男とナイフの男はそれだけ短いやり取りをしてから頷きあい、ナイフの男はルスカのふくらはぎをつま先で蹴る形で歩くように促して森へと入る。
少し進むとルスカの視界には大量の男たちとそれに囲まれる形で立っているイネの姿だった。
「あぁやっぱりルスカ少年だったか……」
ルスカの方を振り向きもせずにイネはそう言いながらため息を吐く。
「やっぱりって……」
「単独でこっちに乗り込んでくるなんて自警団の人らじゃありえないでしょ?」
イネからのルスカへの評価はある意味信頼感の賜物と言えるものであったが、状況を理解できていないルスカを余所にイネは野盗と話を始める。
「それで、人質って認識でいい?」
「だとしたらどうする」
「こっちは村に雇われていて、彼はその村に住んでる少年。後は察して欲しいところだけど」
「つまり能動的に俺たちを狩りに来る理由が出来るってことか」
狩る。という言葉にルスカは違和感を感じた。
明らかに有利なのは野盗の男たちのはずなのにどういうわけか話しているリーダーと思われる男はイネに対して明確に相手に主導権があるような単語を使ったからだ。
「とりあえず少年を捕縛している君、さっさと解放した方が身のためとは警告しておくよ?」
「は?この状況で何言ってやがんんだこのメスガキ」
「警告はした、そっちもいいね?」
「おい、放してやれ……っていうか放した方がいい、こいつは化け物だ」
「冗談抜かせ」
「チャンスは1回、ちゃんと与えたよ」
イネはそれだけ言うと右手をスカートの中に潜り込ませる。
「おい、動く……」
次の瞬間ルスカを捕縛していた男の声は途中で止まり、ルスカの頬に生暖かい液体が付着した。
「手首が自由ならこれくらいはやって見せるよ」
イネの言葉を確認するようにルスカはゆっくりと自身を捕縛していた男の居た場所に振り返ると眉間に大きめのナイフが突き刺さって地面に横たわっていて、ルスカの安全は今の一瞬で確保されたことはルスカ本人でも理解できる。
「……後何本持っている?」
「それを教えたところでそちらの優位性が上がるだけで、こっちに得は何もないよね。それにナイフならその辺の連中から奪えば人数分の補充は出来る計算だし、意味のない質問だよ」
野盗とイネの会話はもはや完全に絶対的強者とそれと敵対にしてしまい追い詰められた弱者の構図でしかなく、ルスカの思考はイネならという思いと圧倒的多数である野盗相手に単独で実質敗北を認めるような態度を取らせているのは流石におかしいという思考で混乱している。
命の危険があった時はあまり考える余裕もなかったことで状況に混乱もしなかったが、脅威が完全に排除されたことで状況を正しく認識できるようになったことで混乱することになった形で声を出せずにいる。
「あぁ後……今の状態から人を1人守りながらってなるとそちらの命の保証は出来かねないからね」
「こっちを生かす発言が多い癖に殺す時はためらいなしかよ」
「打算というか、下心があるからね。そっちの目的が生き延びることだけであるのなら1つ提案できることもなくはないからね」
「提案?それは先に聞いてもいいのか」
「別に構わないよ。この先の村は魔獣に襲撃されてね、人手が足りてない」
「成程……俺は悪くない条件とは思うが、ちょいと人里に出れねぇレベルに脛に傷を持ってる連中もいるもんでな」
「その辺の受け入れはイネちゃんじゃ判断つかないからなぁ。出来るのは労働力として雇ったらどうかという提案を村長に出すくらいしか出来ないよ。無論雇わないにしてもこの村周辺で仕事をしないのであれば見逃してやれとも提案するけどね」
「お優しいことで」
「魔獣が人類の生息圏を分断している時代なんだし、君らより凶悪な連中は世界中にいる。物流関係の仕事をしていた人らなんて失業が激しいでしょ?」
「……ってことだ、同情ではあるだろうが悪くねぇ提案だし俺たちの実力でこの女相手に生き残れる自信がある奴はいるか?いねぇならとりあえず受けるのは悪かぁねぇと俺は思う」
「何だったら主犯格をあそこで眉間でナイフを受けた彼に押し付けておけばいい。死人に口なしってね」
2人の言葉に声を上げるものはルスカを含めていなかった。
振り向くこともなく、腕を振り上げることもしないで人の眉間にナイフを即死させるような深さまで刺して見せたのは既に常人離れしている実力を見せられた以上黙るしかない。
例えそれが何かしらのトリックの上でのハッタリだとしても、そのハッタリで人を1人絶命させるだけの行動を迷いなく実行できることは事実であるし、何より人質であるルスカの存在が居ても問題なく投げナイフという不安要素の方が多いだろう手段で状況をこじ開けてしまったのだから野盗をしている人間には対抗策が思いつくことなどなかった。
「じゃあ村に帰ろうか、ルスカ少年。せっかくだしアレを引くの手伝ってくれると嬉しいんだけど大丈夫かな?」
「俺たちを縛らなくていいのか?」
「縛る道具はあなたたちが持ってるかもしれないけれど、正直もう日が落ちるしやってる時間なんてもうないよ。この辺で活動していたのなら知ってるだろうけれど魔獣が結構活発になってるからね」
「死にたくないなら手伝えってことか」
「ま、魔獣の鼻を誤魔化す手段も持ち合わせているとは思うし何だったら逃げてもいいよ?次は確実に村から依頼を受ける形になるだろうけどね」
「へいへい……絶対的強者って奴は魔獣くらいしか出会ってなかったが、俺たちはこれで逆らっちゃいけない奴リストが増えただけだったな。テメェら、さっさとそのリヤカーを運び出せ!」
「テメェも手伝いやがれ!」
目の前で起きていることにまだ頭が混乱しているルスカであったが、イネの指示に従って野盗たちと一緒にイネが伐採加工した木材を乗せたリヤカーを押して村に戻ることだけは出来た。
今回も足手まといになっただけという思いを抱いたまま……。
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