第6話 考え方と心構え

「いてっ!」

 何度か打ち込み人形に対し拳を叩き込んでいたら拳の皮がめくれていたのか額の汗を手の甲でぬぐおうとした時に皮の剥けた場所に汗があたりルスカは痛みを強く感じた。

 打ち込み人形にはルスカのものだろう血も付着しており、汗をぬぐうという気を抜く動作をするまで自身の負傷にも気づかない程に集中していたということに驚きつつも痛みを感じてしまったために意識を集中できず、結構な汗もかいていたことからルスカは一度座って休憩する。

 イネは未だ自警団詰め所に入ったまま団長と村長との3人で村のことについて話し合っている。

 ルスカは大きく息を吐きだしながら後ろに手をつくような形で空を見上げると、打ち込み人形を相手に修練を始めた時から太陽の位置は一目でわかる程移動しておりかなりの時間が経過している。

「そんなに話すことなんてあるのか?」

 ルスカが村長たちと旅人の話し合いなんてものは詳しい内容を気にしたことは今までなかったものの、今回に関してはジュリの事にイネの事も含めて初めて気になってしまうルスカは詰め所に入って確認するかどうか悩んでいると詰め所の中からイネだけが出てくるのが見えた。

「イネ!……さん!」

 うっかり呼び捨てになりかけたところで敬称を絞り出しながらルスカは詰め所から出てきたイネのところへと小走りで駆け寄る。

 イネの表情はどことなく疲労を感じさせるものであったが、ルスカの姿を確認するとすぐに数時間前に会話していた時のようなものに変わり。

「訓練をしていたようだけど……」

 イネはそこで言葉を止め先ほどまでルスカが拳を打ち込んでいた人形付近を観察し。

「無駄が多そうだね、訓練しがいがあると言えばあるけど基礎自体から鍛える必要がある感じかな」

 イネは苦笑いをしながら打ち込み人形へと近づき、ルスカが立っていた場所の手前でしゃがんで地面を確認し始め。

「まず完全静止している目標に対して効果的な打撃が数発程度だったんじゃないかな」

「は、あんたが団長や村長と話してる間ずっとやってたんだぞ?」

「うん、それを理解した上で言ってるんだよ。あまりにも踏み込みを軽視しすぎ」

 反発するルスカに対しイネは立ち上がり肩を回し脱力をしてから。

「とりあえず、有効な打撃って奴を打ち込むだけなら拳を握りこむ必要なんてない」

 そう言ってイネは左足で踏み込みながら右手を鞭のようにしならせて人形に当てる。

 イネの手のひらが人形に当たると同時に、ルスカが殆ど鳴らせなかった乾いた打撃音が訓練場に響く。

「打ち込み方自体は音が大きく鳴るようにしてはいるけれど、君がやってた動きだと同じ感じにやっても音はここまで響かないんじゃないかな」

「でも音だけなら大したことないんじゃないか」

「まぁ、壊しちゃうわけにもいかないから加減したし。これ、壊しても大丈夫だったりする?」

 ルスカの疑問を肯定しつつ打ち込み人形を指し示し破壊していいかと聞いてきた。

「ちょくちょく壊れたりもしてるから別にいいと思うぜ?」

「了解、怒られたらちょっと遠出して自作するか」

 そう言いながらイネは改めて打ち込み人形から少し距離のある場所で足でしっかり地面を踏みしめて右手を腰付近に、左手は腕全体を脱力させた状態で構えを取り、一瞬で踏み込んで人形に拳を叩き込む。

 先にやった派手に音が鳴るとイネが説明したものとほぼ同等の音を出しながら、打ち込み人形の一点がイネの拳大のへこみが出来てそこから亀裂が広がっていた。

「ふぅ、この打ち込み方自体久しぶりではあるからちょっと失敗したか」

「は?」

 この女性は今なんと言ったのか、ルスカの思考が追い付かずに停止してしまう。

 今まで打ち込み人形をこんな状態にした人間は自警団は当然、ルスカの知る旅人の中にもいなかった。

「今のは一種の奥義みたいなものだけどね、一撃必殺。単純だし格闘術においては理想もいい所のものだから出来る人の方が少ない。でもやり方を極めれば誰にでも出来る可能性のあるものでもある」

「……いや無理だろ」

「まぁ、最低限の筋肉量ってハードルはあるけどね。それでも自警団に所属している人や君もこれだけをひたすら突き詰めていればいずれ可能な技術ではあるよ。イネちゃんは達人でもないから少しブランクが開くと今回みたいに失敗することになるけどね」

 打ち込み人形が破損、それも全壊に近い状態の物が失敗と言うイネに対してルスカは人ではないのではないかと思いつつも口には出さず改めてイネの放った一撃を分析しようと試みる。

 ある程度距離を離して構えたのは踏み込みをするためだと言うことはルスカにも理解することが出来るものの、ルスカが数時間に渡って拳を叩きつけていた人形を自分よりも小柄であるイネがたったの一撃を持って破壊できたこと自体が目の前で見ていたものの信じられないでいる。

「体格が小さい人間がこれを成し遂げてることを信じられないってのはわからないでもないけれど、そもそもの積み重ねが違うし……何よりイネちゃんの体は脂肪より筋肉の方が多いからね?」

 そういうイネの体をルスカは失礼になるんじゃないかと思いつつも改めて見つめ、確認する。

 露出部である足や腕は確かに脂肪が少なく見えるものの、先日まで一緒に居た記憶の中のジュリと比べてもそれほど大きな違いがあるように見えない。

「つける筋肉の質ってのもあるからなぁ……イネちゃんは出来るだけ汎用性を持たせる鍛え方してたから。その分純粋にパワーを極めた人程威力は出ないし速度を極めた人に追いつけるような反応速度を出すことは難しいからね」

「どう違うんだよ」

「メインで使う筋肉も変わってくるってこと。パワーを求めた場合はそれこそ見た目でわかりやすい筋骨隆々ってイメージ通りになりやすいけれど、筋骨隆々に見えても誰かを害するものではなく見せるためのものだった場合は破壊力を出すための動作に必要な筋肉が出来上がってない場合もある……まぁ見せる形でも握力に関してはそれ相応に上がるから無駄ではないし、そもそも争う目的ではないから当人たちの目指している場所がそもそも違う……あぁごめんわかりにくくなっちゃったかな」

「あぁわからん」

「まぁ早い話、殴る筋肉と走る筋肉は違うのは理解できるかな」

「そりゃ……当然だろ?」

「目的に合わせた筋肉を鍛えるっていうのはそういうこと。君の場合は全身にバランスよく筋肉をつける形が理想ではあるかな」

「殴る蹴る全部やるってことでいいのか?」

「んー……まずは殴るメインかな、ただ人形回りの地面を見たところ足を使って満遍なく相手を殴るスタイルを無意識にやってたみたいだから、はじめはそこにあったスタイルを教えようかなと。後全身のバランスがいいと応用幅も広がるしね」

 バランスよく筋肉をつける。

 イネはさも簡単そうにルスカにそう言ったが、ルスカ本人がその筋肉の付き方というものに対して理解が薄いため早く強くなりたいという感情が先走る。

「とりあえず何をやればいい」

「そうだな……」

 しかしイネはそのための指示を出す前に少し考えてから。

「その前に1つ、力を持つってことは同時に責任ってやつも発生するということ。自分の身を守るだけの力ならまだいいけれど、魔獣相手に時間稼ぎ出来る程度の強さってなるとそれこそ誰かの命をルスカ、君が握ることになる」

 そこまで話してから改めてルスカへと向き直し、続ける。

「無論自分の命を最優先にしてもいい、時代が時代だしそこは致し方ない。ただルスカ自身が他にも守れる、守らなくてはいけないと感じたりした時にはしっかりその自分自身の思いを裏切るようなことはしないで欲しいかな。強くなりたいと思った動機的に余計なことかもしれないけれど、改めて自覚しておいて悪いことではないからね」

 イネの言葉にルスカは、魔獣からルスカを守るために命を落としたジュリの顔を思い出していた。

 ルスカはそれ以前から強くなりたいとは思っていたが、何があってもという強い目的意識を持ったうえで守られるだけではなく誰かを守れるだけの強さを求めた動機は間違いなくジュリの死が切っ掛けで、イネの言っていることは頭ではまだ理解できたとは言い難いものの何を言いたいのかは心で感じることはできる。

「細かいことはわかんねぇけど……もう守られるだけってのは嫌なんだ、だから俺を強くしてくれ!」

 そう返事をするルスカの表情を見てイネは一度目を瞑り。

「今すぐ理解する必要はないよ、いつも考えて答えなんて人生を全うする最後の瞬間に出せればそれでいい。その最後に後悔しないようにするために、ね」

「わからないけど、わかった!」

 ルスカの回答はなんとも間抜けな答えだったものの、イネは良しと優しく強い口調で首を縦に振って。

「それじゃ、まずは走り込みから始めようか。村の外周を魔獣や野盗がいないか警戒しながら今日は1周でいいや」

 イネのこの言葉に、ルスカは一瞬後悔の念を覚えたのであった。

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