エルネリングの人 中編
到着したそのマンションの中の昨日訪れた部屋のベルを押すと、リリィが扉を開いた。昨日と同じ水色のエプロンドレスを着てリベックに向かって微笑む。いきなりリリィに会えると思わなかったリベックは狼狽えつつ、
「あああ、あの、おはようございます!!」
「はい、おはようございます。まだ早いですし中へどうぞ」
と促されるがまま部屋の中に入ると、部屋は雑多としていた。
「ちょっと、ゾーロさん……掃除くらいしましょうよ」
台所に立つゾーロに、
「………面倒くさい」
「………それでいいんですか」
リベックは長くため息を吐きながら、リリィに向かい合った。
「リリィさん、こんな処とは知らず一晩我慢させてしまってすみません」
「……をい」
「いえ、お二人とも良くしてくださいましたよ、お話も楽しかったですし」
「話?」
何か良からぬ事でも吹き込まれていないかと疑ってしまうのだが、素直にどんな事を話したのかが気になって話を促す。
「ええ、リベックさんは西の出身なのですよね、私は中央より西に行ったことがありませんのでどんな所かと気になってしまいます」
「えと…それだけですか?」
「他にも美味しいドーナツ屋さんの事や西の海は綺麗だとか、色々話してくださいました」
紫の目を輝かせるように話すリリィに見惚れてしまうリベック。それだけでリベックは幸せだった。
「………リベック、今日から休みだろう?二人で出かけてきたらどうだ?」
とキッチンで朝食を作っているゾーロからそう提案されて、
「ええと、良ければ一緒に出掛けませんか?まだ早いのでもう少ししてから…」
「私みたいな人形で良いんですか?」
「貴女がいいんですよ」
等と聞いている方が恥ずかしくなる様な言葉を言い続けるリベックに『恋とは人を変えるのだな』と思うゾーロなのだった。
それからソファを勧められ、それにリリィと二人隣同士で座り、ゾーロにコーヒーを淹れて貰いそれを飲んでいるとふと、
「リリィさんは飲まないんですか?」
「ええ、人形は食べ物や飲み物を必要としません」
「そう……なんですか」
人間とは違うと解っていたが、根本的に違うのだと知って少しばかり胸が痛くなるリベック。
「おーはよぉー」
という声と共にキアナがフラフラと姿を現した。ゆるゆるのTシャツにジャージ姿でリベックはだらしがないという印象を受ける。
「キアナ、着替えてから来いと何時も言ってるだろう」
「あーうん、そうだった着替えてくる」
と言うとキアナは部屋へと戻っていった。
「…あの、何時もああいう感じで?」
「いい加減覚えて欲しいのだがな」
とため息混じりに呟くゾーロに、自分の何倍も苦労しているのが伺えて改めて尊敬の念を抱くリベック。
「それにしても観賞用ドールというのは初めて見たな」
「ゾーロさんも見たこと無いんですか?」
「ああ、労働用ドールは何度か見たんだがな、観賞用というのはここまで人間に近いのだな」
人間に近い、というゾーロの言葉がチクリと胸を刺すリベック。
「………エルネリングの人とはこういう事を指すのだと改めて思ったな」
「なんですそれ?」
「人間とは違う理で生きるものという意味だ。本来は南大陸に住む者を指す言葉だったが、今は術者によって駆動する魔術生命体を指す言葉になった」
「……エルネリングの人」
そう呟いてリリィを見れば、何の事だろうと笑みを浮かべて首を傾げている。その様が可愛くて愛しくて、リベックは見惚れてしまうのだった。
着替えて戻ってきたキアナと一緒に朝食を取るゾーロを横目に、リベックはリリィを見つめ続けた。ゾーロ達の食事が終わると、
「リリィちゃん、お出掛けしよう!」
とキアナが言い出した。
「先輩、ぼ、僕のリリィさんにそういうお誘いしないでください」
「えーダメ?」
「キアナ、二人きりにしてやれ、それと仕事の用意をして来い」
「………はーい」
それにクスクスと笑うリリィ。その姿もとても可愛らしくて、
「……可愛い」
と何気なしに呟いてしまうリベック。自分の言動に気付くと顔を真っ赤にして、
「わ、忘れてください」
と顔を覆ってリリィに告げるのだった。
「リベック……さんは私と居ると驚いたり赤くなったりとしてしまっていますが、何か不快な思いをさせてしまっているのでしょうか?」
「ち!違います!!……えと、人間ていうのは恋というものをするんです、恋するとこんな風になるんです……僕も始めてで戸惑ってしまっているんです」
「コイ…とはどういうものなのですか?」
「それは、えっと」
どう説明したものかとゾーロを見やるが、プイッとそっぽを向かれてしまった。自分で考えろということかとリベックは受け取った。
「恋は、ですね…特定のヒトの事を特別好きになる事だと僕は思います」
「特別好き?」
「はい、他の誰よりも好きで、自分でもどうしてか解らない事ばかり起こってしまうんです」
「それで、リベックさんのコイのお相手はどなたです?」
「…………貴女ですよ、リリィさん」
「わ、たし………困ります、私は人形で特別好きになって貰える程の相手ではありません」
「でも僕は貴女に恋してしまったんです、お願いです一緒に居てくださいませんか?」
すると困ったように首を振って考えるリリィ。艶やかな黒髪がさらりと肩から落ちる。そして意を決したようにリベックを見やって、
「……………リベックさんがそう望むのでしたら」
と小さく頷いたのだった。
「おい、リベック」
「は、はい!」
完全に二人の世界に入っていたリベックは、ゾーロの言葉で現実に呼び戻された。
「そろそろ出ようと思うが、二人はどうする?」
「それじゃ僕もリリィさんと一緒に出ます、行きたい所があるので」
「そうか、なら用意してくれ」
そうして出勤用意の整ったキアナとゾーロ、リベックにリリィはゾーロ達のマンションを後にした。
暫く一緒に歩いた後、
「すみません、僕たちはここで」
「ああ、楽しんでこい」
「はい!」
そう言ってリベックとリリィはゾーロ達と別れ違う道へと進んだ。
「行きたい所とはとは何処なんですか?」
とリリィに問われたリベックは嬉しそうに、
「西の海です」
「海……」
「工業地帯ばかりですけれど、見晴らしの良い海浜公園があるんです、そこから海を眺めたいなって…」
「そんな所に行って私の様な者がいては、リベックさんがおかしな目で見られるのではないですか?」
「西ではドールの事を知る人は殆ど居ませんよ、リリィさんの事を綺麗な女の子だと思うに違いありません」
「ですが……」
そう乗り気でないリリィにリベックは、
「なら先に買い物をしましょう、少し欲しいものがあるので」
そう言って中央区画へと二人は向かった。
色々な店の並ぶ中央区画の通りの一つ、その中の傘屋にリベックはリリィを連れて入った。処畝ましと傘の並ぶ店内の中から、リベックは一つの日傘を手に取った。それはフリルがふんだんにあしらわれた水色の日傘だった。今リリィが見に纏っている水色のロングのエプロンドレスととても合っていて、リベックはそれを購入した。思った以上の値段がしたが、これもリリィの為と思い思いきって購入したのだった。
「どうぞ、リリィさん」
「これを…私にですか?」
「この傘を差していれば貴女がドールだなんて皆気づきませんよ」
「そうですか……でしたら」
差し出された傘を受け取り開いてそっと自分の顔を隠すように差せば、優雅な趣味の婦人としか見えなかった。
「凄く似合います、よかった」
「大丈夫でしょうか?気づかれたりしませんでしょうか?」
「ちょうど日傘の活躍する季節ですし、誰も気づきませんよ」
「…………はい」
嬉しげに顔を綻ばせて小さく笑うリリィにリベックは同じ様に笑みを返した。
その傘屋の隣にある花屋をじっと見つめるリリィを見て、リベックはリリィと共に花屋に立ち寄った。色とりどりの花が店いっぱいにある中で、リリィは白い薔薇の花を見つめていた。
「……すみません、これを一輪ください」
「え!?そんなっ!私はただ…」
「好きな方に花を贈ってみたかったんですよ」
「あ、ありがとうございます」
そうしてラッピングされた薔薇を受け取るとじっと見つめ続けるリリィ。余りにもうっとりと見つめるリリィに対して、
「花…好きなんですか?」
「………はい、私と違って…命があるので」
そう呟いたリリィに胸がチクリと痛んだがどう返したら良いか解らず、無言のまま花屋を後にした。
そうしてやってきた第四区画の海浜公園。穏やかな午前の光を浴びて西の海を一望出来るこの公園には、子供連れや若者、老人等がのんびりとした時間を過ごしていた。
リベックと傘を差し花を手に持ったリリィがやって来ても特に誰か何かを言う事も無く、海が一望出来るベンチに二人腰かけると、
「これが、西の海なのですね……」
「僕はずっとこの海を見て育ってきたので、リリィさんにも見てもらいたいなと思っていたんです」
「………綺麗、ですね」
「夕日が沈むところが一番綺麗なんですけど……夕日の綺麗な時間にまた、僕と来てくれませんか?」
「はい、夕日見たいです、東ではそんな光景は見れませんから」
「なら約束ですよ」
それに嬉しげに微笑み頷くリリィだった。
「それにしてもどうしてそんなにドールである事を隠そうとするんです?」
先程から人の視線をとても気にしていたので何となく聞いてみるリベック。
「…………ドールは好色家の象徴の様な物なのです、私の所為でリベックさんがそう思われるのが嫌なのです」
「………たしかに僕はそういう程経験はありませんけれど、貴女と一緒に居られるならどう思われようが気にしませんよ」
そう言われて正直驚いたが、リリィのその気持ちが嬉しくて、リベックはリリィを安心させる様な言葉を選ぶ。
「本当……ですか……」
「だから気にせず僕の隣に居てくれませんか?」
「………私の時間も後六日です、それで構わないのでしたら…」
そこでリベックは瞠目した、もう六日しか一緒にいられないかのかと、この美しく優しいヒトと一緒にいられる時間が限られているのだとリベックは再確認した。
昼食の時間になり公園を離れると、リベックは中央区画でハンバーガーを一人分持ち帰りで購入すると、リリィと一緒に市庁舎へと向かった。
第三十五部署へとやってくるとソファでくつろぐキアナの隣に二人腰を下ろした。
「あれ?リベ君今日休みじゃなかったっけ?」
とキアナが声を上げたが気にせずリリィと楽し気に話すのだった。
リベックは買ってきたハンバーガーを凄い勢いで食べ切ると、ゾーロの元へ向かう。
「ゾーロさん、彼女をもう少しだけでも長く一緒に居られる方法はないんでしょうか?」
懇願するようにゾーロに尋ねるが、返ってきた答えは残酷なもので、
「無理だな、術者が変われば術の形も変わる。もし別の術者に術を掛けられたとしても今の彼女ではなくなってしまう」
「そ、それじゃ、それじゃ!ダメなんです!!彼女のままでなければ!!」
そうドンと机に手を付いて、必死な形相を浮かべるリベック。それにゾーロは冷たく言い放つのだった。
「……だから無理だといっているだろう、諦めろ。彼女は愛でられる為に作られた存在だ、それが仕事と言っても過言ではない、解れ」
「……………はい」
落胆したように、リベックはそう呟くしかなかった。残りの今日を含めた六日間、どう過ごすのが良いのか、リベックは自分の席に座ってじっくりと考えるのだった。
一方リリィは、昼食用にと大量の菓子パンを食べるキアナに、
「甘いお菓子とはどんな気持ちになれるんですか?」
と聞いていた。キアナも何時も通りに、
「えーとねー、幸せな気持ちになるんだよ」
「それでお好きなんですね」
「うん、食べると幸せになれるからねー」
そんな風に嬉し気に話すリリィを見て、自分に出来る事は何なのだろうかと考えるリベック。
すると席を立ち、ソファスペースへ向かうと、リリィの前に膝付くと、リリィを見上げて、
「リリィさん、行きたい場所や欲しいものはありますか?」
「え!?そんな……いきなり言われても………」
「僕、リリィさんの行きたい場所に行きたいなと思ったんです。だから…」
そう言って中央区区画から西側の地図を広げると、
「まず、気になる所を探しましょう?それで実際に行ってみましょう?」
「こんなに………広いんですね、西側って」
「はい、だから、一緒に行きましょう?」
「でも私の行きたい場所で構わないのですか?リベックさんが退屈なのでは………」
「僕はリリィさんと一緒なら何処でも楽しいですよ」
「そう……なのですか?」
「はい!」
リベックが頬をほんのりと染めながらそう返事をすれば、興味があるのだろう、地図をじっと見つめ始めるリリィ。
「ここはなんです?」
「中央演劇場ですね、舞台が見れるんですよ」
「舞台ってお芝居ですか?」
ええと、とリベックは携帯端末で情報を調べている。
「今だったら『夏の彼方に』という演目……恋愛劇ですね、それをやってますよ」
「恋愛劇………面白いですか?」
「気になるなら行きませんか?」
「え!?………でも」
「これからの予定は決まっていませんから、ね?それに他にも気になる場所があると思いますから色々決めたいです」
それに淡い紫の瞳を煌めかせて「ここは?」「これは?」と笑顔を綻ばせて地図を指差すのがとても楽しそうだった。リベックもソファの隣に腰かけると嬉しげにその詳細を調べているのだった。
話が纏まったのかリベックが詳細を手帳に書き留めると、リリィと一緒に第三十五部署を出ていこうとした時だ、ゾーロがリベックを呼び止めた。
「なんです?ゾーロさん」
「いや、初恋と言っていた割には紳士なのだなと思ってな」
「え?それは多分母から色々言われながら育ったせいだと思います。女性相手は紳士であるべきと結構言われてきましから」
「なら、母に感謝だな」
「………ですね」
それに笑みを浮かべると、
「それだけだ、楽しんで来い」
「解りました」
そう言うとリベックは扉を閉じた。
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