エルネリングの人 前編
リベック・スーデルは今年市庁舎入社したばかりの十九歳の新人で、第三十五部署『魔術解析捜査部』の新入りだ。
この街は北大陸から流れる科学用品と、南大陸から流れる魔術用品とが混ざり合い、混沌と化している特別指定特区「シーデン市」だ。西は工業地帯、南は闇市、東には『河向こう』と呼ばれる特殊市街が広がっている。『河向こう』は北と南からの不法入国者が多く飛び抜けて混沌と化している。
リベック達『魔術解析捜査部』はこんな街で起こる、軍警もお手上げの事件を解決を仕事としている。
そんなリベックは慌てていた。
今日は部署で使うコーヒー豆を中央区画の第二十一区画へ買いに出て来ていた。コーヒー党の上司に喜んで貰える様にと良い豆を厳選していたのだった。そこでコーヒー屋の店主と随分と話し込んでしまった為、思ったよりも時間が掛かってしまったのだった。
今は午後三時。
運動は苦手で走るのは得意ではないのだが、急いで第一区画の市庁舎へ戻る道を走る。
その時リベックは見てしまった。
あるものを。
それを見てリベックは顔を赤くし走るスピードを上げたのだった。
部署に戻った時リベックはハァハァと息を荒げながら狭い室内を歩き、ソファスペースのローテーブルに持っていたコーヒー豆の袋を机の上に置くと、自分の席に着いてはぁーと大きくため息を吐いた。
「どしたのリベ君?」
と声を掛けてきたのは先輩であるキアナ・アベーストだ。
長身に印象的なオレンジ色の髪にスクウェアフレームの眼鏡を掛けている二十四歳である。一見理知的に見えるが、かなりの莫迦で脳を使う作業は非常に不得意だ。代わりにリベックとは逆に運動能力に優れており、壁を蹴りだけで登ったり屋根の上を駆け回ったり出来たりするので、人は見た目によらないというのを体現している人物だとリベックは思うのだった。
因みに『リベ君』とはキアナがリベックに付けたあだ名である。
「ええ、ちょっと急いで帰って来たので……」
と荒い息のまま返事をすれば、
「無理はするなよ、お前にはやって貰わなければならない事が山の様にあるのだからな」
そう言ってきたのは部署長の机に座るゾーロ・シュヴァルツだった。
見た目は十二歳の少年で美しい金の髪の下には右目に黒い眼帯を付けている。ぶかぶかの大人用の白衣を無理やり着込んでいて、黄色のネクタイを着けている。アンバランスさと不自然さが群を抜いているが、本人曰く「成人済み」らしいので、リベックはそれ以上踏み込んで聞くのを止める事にしている。
息を整えながら、先ほど見たあるものを思い出していた。自分の意志とは関係無く自然と頬が染まってしまう。
「……ねぇ、リベ君顔赤いけどどうしたの?」
「え!?いや、これはっ!!」
「…………なんだ、恋でもしたか?」
「こ、恋っ!?」
ゾーロからのその言葉にリベックは慌てて声を荒げる。
「なんだ、図星か」
「ええっ、いや、あの!その!!」
「その割には動揺が激しいが?」
「ちょ、まって、くださいってば!!」
「さっさと認めた方が楽だぞ…」
ゾーロからの言葉に息を詰まらせると、ポツポツとリベックは話し始めたのだった。
「あの……か、帰り道に、その……綺麗な女の子がいて……それを見た瞬間、心臓がバクバクしだして…」
「完璧に一目惚れじゃないか」
「ひとめぼれ?」
プルプルと震えながら話すリベックを見て、ゾーロは、
「どうする?探すか?今は仕事も急な物はないし、書類の山は後回しにするが」
「え!?いくんですか!?ていうかこれ、一目惚れなんですか!!」
「よし!行こう行こう!それでどんな娘?」
キアナも乗り気な様で早速出かけようと用意を始める。それにリベックはあわあわとしながら、これは行かなければいけないのか?という状態でポカンとしているのだった。
「リベ君行くよー」
「え!?行くんですか!?」
「もう一度、会いたいと思わないのか?」
「そ、れは……」
そうゾーロとキアナに促されるままリベックは先程身に着けていたカバンを手に取ると、
「それじゃー行ってくるね」
「ああ、行ってこい」
とキアナとゾーロが軽く声を掛けた。
第三十五部署の扉を潜って下階行きのエレベーターに乗ったのだった。一階に着くとエレベーターを降り、リベックが目撃したという地点を目指して歩く二人。そうして暫くすると先程通った十字路に辿り着いた。リベックはそこで足を止め、十字路の反対側を指さした。
「あ、あそこに…い、居ました」
「おー、それじゃ探してみようか?特徴とか教えて?」
「えと…その、長い黒髪で水色のロングのエプロンドレスを着て白い手袋をしていて、肩に大きなカバンを持っていました、目は紫で口元にホクロがあったのを覚えています」
「すっごい覚えてるねー」
「わ、忘れる筈無いでしょう!」
顔を真っ赤にさせながらそう早口で言うリベックに、ただ単に凄いとキアナは言うのだった。
リベックは市庁舎の入社筆記試験でトップクラスの成績を持つ程、記憶力が良い。事細かに覚えているらしく、情報が多く出てきた。
その情報を元に、
「じゃあこの辺にまだ居ないか探してみよう」
とキアナは周辺を探して回るのだった。リベックは頬を赤らめたままその場から動けない様子だった。
暫くキアナが周辺住民に聞き込みしているのだが、有力な情報はあまり得られなかった。けれども粘って『河向こう』の者らしき人物に聞き込みしたところ、
「ああ、あのお嬢さんなら最近河向こうでよく見るよ、被験体にしたいくらいだね」
等とやや物騒な言葉が漏れたのだが、河向こうと関係があると解って不安げな表情を浮かべるリベック。
それに、
「河向こうに居るんですか…何か悪い事にならないといいんですが……」
「きっと大丈夫だよ」
と何の根拠も無く明るく言うキアナに、不安を覚えながらも、シーデン市の一番東、第四十五区画通称『河向こう』へと二人は向かうのだった。
河向こうへと唯一繋がる橋がある第四十四区画へやって来ると、真っ直ぐその橋を目指した。
橋を渡って、『河向こう』へやって来ると、まるでスラムのような雑多な通路と行き交うヒトビトの間を潜り抜けるように進むリベックとキアナ。これだけの大人数の中から一人を探すのは至難の業のような気がしてきた。けれどリベックとキアナは止めるつもりも無い様で、例の子が居ないかリベックは高鳴る胸を押さえながら周りを見て回る。
一通り第四十五区画内を回ってみるものの例の子の姿は無く、やはり諦めるしかないのかと思った時だった。突然キアナがリベックを肩に担ぎ上げて狭い路地へと入ると、ジャンプし壁を蹴り上げて反対の壁へと移りまたその壁を蹴り反対側の壁へと移りまた壁を蹴り…というのを繰り返して、建物の屋根へとたどり着いた。
突然の出来事にぐったりとするリベックと、
「これで探しやすくなったんじゃない?」
と明るい声で言ってくるのだった。
「いきなりは止めてくださいって何時も言ってますよね!というか、そんなので…見つかったら…苦労しませんよ…………あ、居た!」
「どこどこ!」
「あそこの、小さな橋の処の」
「よし、追いかけよう!」
「………さっきみたいに降りるんですか?」
「うん、そうだけど?」
「……………お手柔らかにお願いします」
そう呟くとリベックはまた肩に担がれて、先ほどと同じ様に逆の動きで地面へと辿り着くのだった。頭がグラグラしつつも例の少女を追いかけるリベック。それを追いかけるキアナ。
そうして追いつくと、
「すみません!!」
と大きな声で叫ぶように声を掛けるリベック。
少女は振り返り、リベックの言った通りの長く艶やかな黒髪に水色のロングエプロンドレスを着て、どこか作り物めいた整った顔立ちに淡い紫の瞳はキラキラと宝石の様に輝いていた。先程持っていた筈の鞄は今は持ってはいなかった。
心臓はバクバクとし、言葉も上手く出てこない、けれど先程はどうして良いか解らずに逃げてしまった自分が恥ずかしくて、やっと見つけた相手に気持ちを伝えようとするのだが、
「あの?なんでしょうか?」
「あ、あの!貴女に一目惚れしてしまいました!なのでっ!!」
「…こんな球体関節人形にですか?」
「………え?……人形?」
「はい、人形です。疑似人格として話ができる魔術生命体です」
「え?え??」
リベックは狼狽えるしかなかった、やっと見つけた相手が人形で魔術生命体なんて突然言われたって訳が解らなかった。けれど、伝えなければいけない事がある、だから勇気を出して、
「あ、貴方の事が好きになって!ですから……っ!」
「…………………」
「あの…ダメですか…?」
俯いてしまった少女に対しおろおろとし出すリベック。すると少女は申し訳なさそうに、
「私、ただの球体関節人形ですが、解っていておっしゃっているのですか?ドール愛好家の方で?」
「いえ、僕は…貴女を人間だと……」
「私は人形です、主の魔術式によって稼働するドールと呼ばれる物です、人間ではありません」
そんなものが存在するのかとリベックは動揺を隠せないでいる。キアナが駆け寄り、
「どうしたの?何かあった?」
リベックはパクパクと何かを話そうと口を開くのだが言葉にならない。
「その方は私を好きだとおっしゃいました。けれど私は球体関節人形です、その方はドール愛好家なのですか?」
「え!?君人間じゃないの!?すごーい!ビックリだよー!!」
それには流石のキアナも驚きを隠せなかった。リベックは心に決めたという表情でその人形の少女の前にずいと出ると、
「人形でも構いません!僕と恋人になってください!」
と言い切ったのだった。
「ドール愛好家の方では無い様ですが、意味をご存じで?」
「…………?」
首を傾げるしかないリベック。
「恋人になりたい、という言葉はドール愛好家の間では譲って欲しいという意味になります。私を買い取り希望ですか?」
「え?ええ??」
「そんなの急に言われても困るよーこっちは人間だと思ってたんだからさー」
困惑するリベックに代わってキアナが説明をする。
「しかしですが、私はもうすぐ廃棄予定でして後一週間で術が切れてしまい、本当にただのガラクタになってしまいます」
「……え?…あの、その魔術を…継続して貰う事は、出来ない…のですか?」
そう途切れ途切れになる言葉を伝えると、少女は首を振った。
好きになった子が人形で魔術生命体であるのもショックだったが、リベックにとって一番ショックなのは彼女と居られるのが一週間しか無いという事実だ。
そして短いけれど永遠に感じるほどの葛藤をした後、リベックは人形の少女を真っ直ぐ見て、
「一週間でも構いません!僕と恋人になってください!最後のその日まで一緒に…居たいんです…」
人形の少女は逡巡した後、
「主に許可を取ってきます」
「一緒に行きます」
と言ってキアナをその場に残して一緒に歩き出した。迷路の様な道を右へ左へと曲がり行き着いた所、とある狭い路地の扉の前で人形の少女が、
「ここです。暫しお待ち下さい」
と言うと中へと入っていった。中から怒号が嫌でも聞こえてくる。
「何してやがったこの愚図!はぁ?買い取り?お前を?そんなのいる訳が……」
と奥から聞こえてくる罵声。それが段々と近付いて来たかと思うと、リベックの前に男は現れた。酒臭い匂いを吐き出しながらリベック舐めるように見る。
「なんだお嬢ちゃん?お前さんがコイツを欲しいってのか?なら今すぐくれてやるよ!もう一週間しか動けねえがな!!ハハハハハハ!!!」
そう笑いながら男は部屋から追い出す様に人形の少女を突き飛ばした。咄嗟にリベックは人形の少女を受け止める。硬い体とその冷たさ、漆器の様な滑らかさを腕に感じるリベック。
「だ、大丈夫ですか!?」
「大丈夫もなにもあるか、人形だぞ。用が済んだらさっさと消えろよ」
そう言うと男は勢いよく扉を閉じた。
「…………行きましょう」
「…………はい」
先程の道を戻り、キアナの元へとやってきた二人は、
「どう?上手くいった?」
「ま、まぁなんとか……」
「あの…私で本当に宜しいのですか?人形の私で」
「僕が好きになったのは、貴女です。貴女以外は嫌ですよ」
そうしてリベックは震えながら人形の少女の手を取った。手袋に包まれたそれは壊れてしまいそうな程綺麗な形をしていた。今にも泣きだしてしまいそうな顔を無理に笑顔を作り彼女に微笑むのだった。
「僕はリベックと言います、貴女は?」
「私に名前はありません、どうぞ好きに呼んでください」
「え?そ、そうですね……えーと、リリィさん……と呼んで構いませんか?気に入って貰えると良いんですが…」
「はい、解りました。私は今からリリィですね」
柔らかく微笑む少女に、リベックは顔を真っ赤にさせながら頷き返すのだった。
そうして橋を渡り『河向こう』から第四十四区画へと戻ってきて、リベックとキアナ、そして人形の少女リリィは市庁舎へ向かった。
先程まで高い位置にあった太陽は低く傾き、夕闇へと世界を包み込もうとしていた。
窓に上り始めたばかりの月が見え始めた頃、リベックはゾーロの机の前にやって来たかと思うと、その机に手をついて頭を下げ、
「一週間休みをください!」
等と言い出してきた。
「そして彼女を預かってください!!」
とも言ったのだった。
「何故そうしなければならないか理由を聞きたいのだが?」
ソファスペースで待つようにと言って大人しく座っている人形の少女リリィを横目で見ながらそういうのだった。ゾーロの言いたいことは最もだ。それに対して返ってきたのは、
「ぼ、僕、これが初恋なんです……どうしたら良いか解らないんですよ、ホントにどうしたらいいですか?」
「ここまで連れて来ておいて今更な言葉だな、お前」
「解ってるんです、僕が今凄く情けないのは解ってます、けど僕母と二人暮らしなんですよ、魔術とか全く知らない母にいきなり連れて帰ったりしたら驚いて僕、打たれるかもしれないんですよ!!だからお二人のどちらかでリリィさんを……ってあれ?お二人は何処に住んでるんでしたっけ?」
「第五区画だ、キアナと一緒にな。部屋がひとつ余っている位に広いぞ」
「ならお願いします!ホントにホントにお願いします!!」
「はぁー……………………仕方ないか」
長いため息を吐いた後、ゾーロはポツリとそう呟くの立った。それに喜びの声を上げるリベック。すぐさまソファスペースでキアナの隣に座っていた人形の少女、リリィに嬉しげな顔で伝えに行く。
「リリィさん、寝泊まりできる場所見つかりましたよ」
「え?私は主である貴方の家へ行くのではないのですか?」
「それにはちょっと事情がありまして、こちらのお二人の家に行って貰うことになりました」
「そう…なのですか」
何故だかリリィは少し落ち込んでしまった様に思えたリベックは、
「大丈夫です、二人とも変わった処はありますが、良い方達です。それに僕も毎朝迎えに行きますから。キアナ先輩、リリィさんに変な事教えないでくださいよ」
「教えたりしないよー」
と焼き菓子をを頬張るキアナにリベックは釘を指す。キアナはケロリとしながらそう返事するのだった。
その後定時を迎えると、第五区画のゾーロの家へリリィと一緒に話をしながらのんびり歩いていった。
「球体関節人形というのは南大陸で労働力として使われている人形と異なり、愛玩用なのです」
「そうなんですか、確かに綺麗ですものね」
「あの、リベック様はどうして私に親切にしてくださるのです?人形はもっと違う扱い方をするのですが…」
「ぼ、僕は…………僕はリリィさん貴女を人間の女性として扱いたいからです、いけませんか?」
「いえ、あの………そんな扱われ方初めてなので……私もどうして良いか解らなくなります」
「あ、それと様付けで呼ばないで、呼び捨てにしてください」
「え、ええ……どうしましょう、そんな事言われたの初めてなので……」
リベックは天にも上るような気持ちで幸せを噛み締めながらリリィと話をする。頬を染めながら、聞いている方が恥ずかしい気持ちになる様な事ばかりを言う。
そんな風に話しているときだった、
「着いたぞ」
そこは高級マンション街の一角で、リベックの団地街とは大違いで、けれど彼ら二人にはとても雰囲気が合っている気がした。その一つのマンションの六階の一室に案内された。リベックは部屋の中には入らず、
「リリィさんの事、よろしくお願いします。リリィさん、また明日逢いましょうね」
とゾーロに頭を下げるリベックに、
「ああ、任せろ」
と上司らしい威厳のある返答が反ってくるのに安堵するリベックだった。
ゾーロ達のマンションを後にしたリベックは、自分の住む団地へと向かうのだった。家に帰れば、
「あんた、やけに嬉しそうね」
と母に言われたのだが、実際嬉しいことばかりだったので、
「そうだけどー?」
と返して明日に備えて寝る支度をするリベック。それに付け加える様に、
「あ、明日から何時もより早く出るから」
「良いけど寝坊しないようにねー」
「解ってるってー」
その日は興奮を抑えられないまま中々寝付けなかったが、ベッドに潜り込んで無理やり眠ってしまうのだった。
一夜明け、何時もより早めに目を覚ますと、眠い目を擦りながら朝食の用意をする。母の分も用意していると、欠伸をしながら起きて来た母がやって来た。
「あんた早いわねーあ、ごはん用意してくれたの?ありがとーできる息子に育ってくれて母さん幸せよ」
「なんだよ、大袈裟だな……ほら顔洗ってきて、僕はこれ食べたら出るから」
そう言いながら目玉焼きを乗せたパンを口に頬張ると、コーヒーで流し込んだ。それから慌てて母の分のコーヒーをカップに注ぐのだった。
それから服や荷物の用意をすると急いで玄関へ向かい、
「それじゃ、行ってきます」
「はいはい、行ってらっしゃいなー」
と母の声に送られて団地の扉を閉じた。五階分の階段を下りて、やや急ぎがちにゾーロ達のマンションのある第五区画へと向かうリベック。
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