2010年6月

 留年してから俺の気分はどん底だった。俺の大学生活は希望とセックスに満ち溢れたキラキラしたものになるはずだったのに。俺のこの憂鬱を晴らしてくれるのはセックス以外にない。春山がライヴを企画して出演バンドを募集していた。これに出て目立てば女とセックスできるかもしれない。


 入部したての一年生の武田と佐藤と近藤を誘ってブルーハーツバンドを組んだ。ボーカルは俺だ。俺の内に秘めた思想的な高みを表現するにはヒロトの歌詞がぴったりだと思う。ステージ上で「リンダリンダ」を高らかに歌い上げれば、皆が俺の内面の美しさを理解し接し方を改めるだろうし、抱いてほしいと思う女も出てくるに違いない。


 当日、学生会館の二階大ホールの扉を開けると、サークルの部員たちが大判の紙にタイムテーブルを書き込んでいた。全ての時間とバンド名を書き終えると壁に張り出すのが常であるが、竹下が俺の姿を確かめると急に立ち上がり、周りに聞こえるように「ヒロキ死ね、くたばれ」と言いながら、

【15:20~ ヒロキバンド】

と書かれているところを両足で激しく踏み始めた。それを見たサークルの中心的な人物たちが笑い始め、それを確認してから多くの部員たちが笑い出した。プライドの高い俺は内心傷ついていることを悟られないように「おーいー!笑 タケやめろよぉ!笑」とおどけてみせた。そうこうしているうちにタテ3mヨコ1mほどの巨大なタイムテーブルがステージ横の壁に貼り付けられた。俺のバンド名のところだけが竹下の靴跡で黒ずんでいた。

 このタイムテーブルがサークルにおける俺という存在の全てである。でも俺はみんなから好かれている。なぜなら俺は優しいからだ。男に対しても女に対しても、誰かを傷つけるような言葉を吐いたことがない。両親も「ヒロキのいいところをわかってくれる女の子がいつか必ず現れるよ」と俺に言ってくれている。俺はこの言葉を信じている。今は多少冗談で馬鹿にされているかもしれないが、いつか必ず究極の恋愛と至高のセックスという形で報われる時が来るだろう。銀河鉄道のジョバンニが天界行きの切符をひとり持たされていたように、だ。

 出番が来た。メンバーはまだサークルに入ったばかりでサークル内カーストを把握しきっていない一年生で固めた。ほぼ全ての二年生三年生四年生は俺のことをカースト最下位と認識しているから俺とバンドは組まない。メンバーの一年生たちは先程バンド名が踏まれたことや部員たちの俺に対する扱いを見てやっと事態を理解したらしい。「なんでこんなやつの誘いに乗っちゃたんだろう」みたいな顔をしながらアンプにシールドを接続している。

 先程までステージ前で立って盛り上がっていた部員たちは皆着席しステージ上の俺をニヤニヤしながら見ている。100人の嘲笑と冷笑に初めて接した俺は竦み上がってしまい、練習してきたヒロトっぽい動きも表情も忘れ、マイクスタンドにしがみつきとにかく大きな声で歌った。拍手や声援などあろうはずもない。ひたすらニヤニヤヒソヒソしている観客。曲の歌い終わりに訪れる静寂と失笑。地獄のような20分。


 俺にとって、そしておそらくは入学したての一年生にとっても人生最悪のライヴを終えた俺はひとり部室で沈んでいた。俺はまた一つ自信を失った。そこにベースの近藤が現れ、俺を認めると笑っているような怒っているような表情をしたかと思うと、部室の床に転がっていたゴムボールを俺に向けて全力で投げつけてきた。入部してきたばかりの後輩にボールを投げつけられたことに強い屈辱を感じたが、俺にはその思いを相手に伝える資格がないと思い直し、結果として「なんだよー笑 どうしたんだよえんどぅー笑」と再びおどけた。近藤は俺の言葉に応えもせず足早に部室を出ていった。


 今回は残念ながらドブネズミのように美しくはなれなかった。皆の前では道化を演じてしまうが、mixiの日記に俺の穢れなき心の内を綴っておこう。俺のような精神の貴族を理解する美女がいつか俺の前に現れることを信じて。

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