2009年6月
一年生では彼女はできなかったが、まだ焦るような時期じゃない。後輩が入ってきたし身の回りに女がさらに増えた。そうなれば俺の良さに気がつき惚れる女も出てくるだろう。
俺が通う恵援義塾大学には、珍しく体育の授業があった。出席さえすればテストもなく楽に単位が取れるという話を聞いたので、エクササイズという科目の授業を履修した。同じ授業にサークルの後輩、平野千代子がいた。
―――平野について説明しておく。髪型はブラウンのロング。少しばかり頬骨と顎の出っ張りが目立つが涙袋がチャームポイントのかわいい、というよりは強い系のキレイめ女。ツリ目ではないが雑魚男を寄せ付けない鋭い視線を持つ女。真珠のネックレスなんかをしていて一年生にしてすでにバリキャリ感が出ている女。写真に映るときは常に一定の角度と一定の表情でキメ顔をする隙のない女。
彼女は持って生まれた顔面の力だけで集団内カーストの最上位に立てるほどの美人ではない。しかし彼女は自分を美しい、かわいいと思わせる方法を人一倍努力して学んだのだろう。サークル内では可愛い女・美人の立ち位置を勝ち取っていたし、キーボードの腕前が優れていることも相まって入部僅か数ヶ月でサークル内カースト最上位の存在になっていた。
俺の観察によれば、男女問わず何らかの集団に属している人間は自分と同格か格上の人間としかまともにコミュニケーションを取らない。表面上付き合っているように見えてもどこかで一線を引いている。格下の人間と付き合うことで周囲に低レベルな人間という印象を持たれれば地位が危ぶまれるからだ。
大抵の人間は無意識にこのような線引きを行っているが、紅海学院大学に内部進学できる附属高校からわざわざワンランク上の恵援義塾大学に進学してきたほどの上昇志向とプライドの高さを併せ持つ平野である。その徹底ぶりは他の女とは比較にならなかった。
俺が平野に戦慄を覚えたのは5月、神宮球場の草恵戦(草実大学野球部と恵援義塾大学野球部との伝統の一戦。恵援では「恵草戦」と呼ぶことを推奨しているが語呂が悪すぎて誰も使用してない)のときだ。恵援が点を入れたので隣の人と肩を組んで「猛き血」(応援歌)を歌うことになった。このとき平野はちょうど俺の目の前の席におり、平野の左隣は俺の同期の沼田だった。沼田は持ち前のデリカシーの無さと空気の読めなさと自信の無さと挙動不審と顔のデカさとニキビ面と不潔さとファッションセンスの無さによってサークル内カースト最下層に位置する男だった。沼田が平野と肩を組もうとしたところ、平野が激しく拒絶した。右隣にいる女友達に助けを求めるように抱きつき沼田との距離を取り、首だけ捻って沼田を見ている。その視線はとても同じ人間を見るものとは思えなかった。映画の流血シーンとか、車に轢かれた鳩の死骸とか、夏の夜に噴水の周りに群がっているゴキブリとか、そういったおぞましいものを見る視線によって平野は自分が被害者であることをこれでもかとアピールしていた。―――
ある日のエクササイズの授業中、隣の人と手を繋いで腕の筋肉をほぐす際、平野が隣にいたので手を繋ごうとした。平野は自分のカラダに向けて俺の手が伸びてくると、電気ショックでも受けたかのようにビクッと後ずさりをし、両手を両胸にクロスさせるポーズを取り、
「いやあああああぁぁぁぁぁぁぁ。ほんとにいやあああぁぁぁぁぁぁぁ」
と叫んだ。無理やり胸を触ろうとした痴漢みたいに扱われた俺は伸ばした左手をどこに落ち着かせればいいかわからなくなった。平野はあのとき沼田に向けていたのと同じ視線を俺に浴びせかけていた。
平野の脳内では俺と沼田は「物理的接触不可」のグループに入れられていたようだが、俺は沼田と違って顔は悪くないし頭も良いしセンスもいいしユーモアもあるしみんなから慕われている。たまたま平野にだけ拒絶されてしまったに違いない。たまたま俺が平野の趣味と違う男だったに違いない。気にすることはない。平野は俺の彼女候補から外して別の後輩を狙おう。
これが初めての女性からの拒絶体験だった。以来十数年、お金を払う以外の方法で女性の肌に触れることはなかった。
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