第9話 強き者

「全員、腹をくくれ!」

 最も早く我に返ったのは、その襲来を最も早く知ったブレイスだった。

 その怒鳴り声は戦いなれた冒険者たちを即座に現実へと引き戻し、動揺していたリオンとへカルトも彼らの邪魔にならないよう距離を取ろうろ馬車の後ろへ退避する。

「最悪も最悪、なんでこういう時に限ってお前らみたいなのが出て来るんだ」

 本来の武器は失われ守らなければならない対象は2人。

 圧倒的強者を相手に戦わせるなら、もう少し条件を優しくしてもらいたいものだ。

 油断なくドラゴンを睨みながら悪態を呟くブレイス。――さあ、最初は何をやってくる?

 睨み合いなんて大層なものでは無い。

 そもそも同じ舞台に立ってすらいないことは明白だ。

 まるでそれを態度で示すかのようにドラゴンは何もしない。

 ただただその冷たい真っ赤な目で見下すだけ。

 時が流れる。

 額の汗が頬を伝い、顎から地面へ雫となって落ちる。

 己の行っている浅い呼吸ですら耳障りな雑音にしか感じない。

 ダメだ、集中を切るな。相手は何をやって来るかも、何を考えているのかも分からないのだ。

 もしかしたら一瞬の油断を見て命を刈り取るかもしれない。

 あの移動の仕方は普通じゃない。あんな速度で攻撃をされたら対応のしようが無い。

 だからこそ、その予備動作を見極めて行動の邪魔をするなり回避を行うなりしなければいけないのだ。

 息が苦しい。靄が掛かったかのように思考が鈍る。

 剣は何倍にも重く感じられ、足は地面に張り付いてしまったかのような感覚に襲われる。

『……フッ』

 ドラゴンは嘲笑するように息を吐き、途端に体の力を抜いた。

 絶対的な強者であるという自覚、それによる慢心。

 ブレイスは確信する。ここが最初で最後のチャンスだ!

「うおおおおおりゃああああああああああああああああああああああああッ!!!!」

「っ?! しゃあ!」

「合わせます!」

 咆哮と共に飛び出すブレイス。

 そして瞬時に合わせた連携へと入るテルミスとイーファ。

 テルミスは走りながら槍を逆に持ち替えて石突を地面に突き立てる。大きく“しなった”槍が元に戻ろうとする反動を利用し、走りの勢いを生かしたまま中空へと飛び出す。竜の頭上に飛び上がりながらも、気の遠くなるほど積んだ鍛錬の成果により一瞬にして体制を整え槍を構える。

 狙いはただ一つ。

 如何なる強者であろうと、分厚い鎧に身を包んでいようと守る事の出来ない弱点たる目だ。

 同時に後方ではイーファが大きく息を吸い、集中力を極限まで高めていた。

 これから行うのは並行魔法。

 二つの魔法を同時に発動する世界に名だたる一握りの奇才にのみ許された離れ業。

 通常、精霊の力を呼び起こす魔力の流れは一つである。それは一つでなければいけないのではなく、二つ以上の流れを同時に作るのは余りに難しいからだ。例えるならば右目と左目で別々のものを見て、その両方を正しく認識し、それぞれに合わせてバラバラに右手と左手を動かすようなもの。

 だがイーファにはそれができる。

 二つの流れを編み込むようにして杖の紋様を、触媒を通し先端の魔法石へと送り込む。

 本来であればすぐさま吐き出される力は石の内に留まり、明滅という形でその出番を待った。

 最も早く飛び出したブレイスは接近しつつ左右に動きながらドラゴンの反応を見る。

 相手は動かない。

 それは一見して反応が追い付いていないかのように見えるが、ブレイスは油断しない。

 罠の可能性を、慢心の可能性を、自信の表れである可能性を、誘われている可能性を、頭の中に浮かぶ様々な可能性を考え、その全てを唯一つの信念で吹き飛ばす。

 強者との戦いは今回が初めてではない。

 何度も何度も戦い、そしてその全てで最後に勝利へと導いたのは覚悟だ。

 己の全てを込め、相手の思惑も計算も何もかもを全力の必殺の一撃に賭けて切り伏せる。

 テルミスは上がった。

 イーファは準備を終えた。

 なら、最後に自分が最後の一歩を踏み出すだけだ。

 ドラゴンは眼前、一度止まり全身に力を溜める。


 ――ここに全てが整い、そこから先は全て一瞬の出来事だ。


 イーファが魔法を発動した。

 一つはテルミスの後方、瞬時に収束した光が一挙に解放され巻き起こる爆発。

 テルミスは同時の訪れる衝撃の波を“壁のように蹴り”、自らを疾風の槍としドラゴンへ、その瞳へと飛び込んだ。

 ドラゴンは目を細める。

 確かに早い。

 自分の知る中でも人間でこれほどの速さを持った一撃を繰り出して来た者は多くない。

 ――まあこの程度、避けるに造作もないが。

 狙いの急所まであと小指一本程度の距離。

 何百何千と細切れになった時間の中で、世界が止まったのかと錯覚する超大に伸びた時間の中で、テルミスは確かに見た。自分を見る瞳が動いたのを、まるで道を開けるかのように頭を軽く逸らして見せたのを。

 最早、その切っ先の先には何もない。

 ただ地面へと吸い込まれるように落ちていくだけである。

「ヘッ」

 目と目が合った瞬間、テルミスは笑った。


 時を遡る。


 テルミスが爆風を蹴った時、イーファはもう一つの魔法を発動していた。

 ――魔法はその属性に対し強い耐性を持たれていると無意味になる。故に魔法使いは二つ以上の魔法石を持ち歩くのが鉄則とされてきた。

 イーファは魔法が苦手だった。風も、土も、雷も、光も、闇も、あらゆる属性の魔法の中で唯一自信を持って扱えるのは火の魔法だけ。一つしか属性の使えない魔法使いなど、未知に挑む冒険者としてこれほど致命的な事は無い。

 2人はそんな自分を受け入れてくれた。

 でも足を引っ張ることに、構わないと言ってくれた2人に罪悪感はつのりつづける日々。ある時、師匠が教えてくれた。

『本当に才能のある魔法使いなら、その力に新しい道を見つけてやるもんだ。』

 イーファは考えた。火の魔法の新しい道を、精霊の力の可能性を。

 それは魂の輝きをより強める。

 あらゆる能力を一つ上の次元へと強制的に押し上げるイーファだけの魔法。

 力を受け取ったのは引き絞られた弓のように力を溜めに溜めていたリーダーだ。

 

 体が赤いベールに包まれ、不思議な温かさが体の内まで満たす。

 まるで自分が自分ではなくなるような、しかし不安を感じない不思議な感覚。

 溢れる力は今にも爆発しそうになるがブレイスはグッと堪えて待つ。

 爆発により現れた一つの軌跡がドラゴンへ迫り、その急所を穿たんとした瞬間にブレイスは飛び上がる。

 普段の自分では決してたどり着けない高さ、そして速さ。

 剣を振り上げ、体を大きく逸らす。

 ――どんなに力を持っていようと、己の急所を的確に狙ってくるものがあれば避けざるを得ない。

 注意が、意識がそちらへと移る事実は変わらない。

 それがどれだけ短い時間、星の瞬きにすら届かない間の事であっても、ブレイスの経験と並外れたセンスがその隙を決して逃さない。

 限界まで溜め込まれた力を一挙に解放する。

 剣は光りの帯を引きながら、無防備な赤き鱗の体躯へ振り降ろされた。

 

 何もかもがゆっくりと動いていた。

 受け止められる刃も――。

 驚愕に開かれる目も――。

 地へ落ちていく体も――。

 ただ一つ、その時の束縛を逸脱した存在だけが、嘲笑う残酷な運命のようにユラリと尾を振った。

「ガッハッッ!!」

 何が起きたのか理解することも許されず、ブレイスの肉体はただただ地面へと叩きつけられる。悲鳴を上げる間すら与えられず、テルミスが身を守ろうと僅かに動かした槍は容易くへし折られ、同じように地へ落とされた。

 イーファは目の前の後継を唖然と見つめる。

 その赤い鱗には傷の一つも無い。

 煌々と陽光を反射する力は微塵も衰えていない。

 正真正銘、必殺の切り札と呼ぶべき連携は、何の成果も得られはしなかったのだ。

 あ、ああ――。

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」

 恐怖、混乱、困惑。

 もはや自分を守ってくれる者はいない。

 絶望は一口でイーファを飲み込み、もはや正常な判断を下すことを許さない。

「いや、いやだ……いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ!!!!」

 魔法を放つ。

 業火を、爆炎を、何もかもを燃やし尽くせと悲鳴のように炎が走りドラゴンを飲み込んでいく。

 だが、無意味だ。

 目の前のドラゴンは火竜。

 火の精霊と獣、その中間にある相手に火の魔法がどうして意味を持つだろう?

 魔法石が黒く染まり、込められた魔力によって砕け散った。

 息を切らしながらイーファは絶望を見た。

 嵐の如き炎のにより巻き上げられた土煙の晴れた先、悠然と宙へ浮かんだままのドラゴンの姿を。

 イーファはその場にへたり込んだ。

 もう打つ手はない。

 あとは無様な最期を、無力な死刑囚のように待つ事しかできなかった。

「立ちなさい!」

 毅然とした声。

「まだ間に合います!」

 絶望の中、イーファは光を見た気がした。

 儚く小さくも暗闇を照らす星のような光を。

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