第8話 その影は突然に
互いに掛け合う声、空を切る音、地面を蹴る音、魔物の悲鳴。
それらを荷台から見守りながら、リオンはふと気になった事をへカルトへ尋ねる。
「普段はこういった魔物が現れた時はどうしているんですか?」
「んー? そうですねぇ。数が少ない小物なら、あの兄ちゃんに売った剣で倒しちまうけど、ヤバそうなのが出てきたら一目散に逃げるかなぁ」
「逃げられるんですか?」
一杯に積まれた荷台に視線を移してリオンは首をかしげる。
これだけの量があっては、とうてい機敏に動くことは難しいだろう。
その考えを察したようにへカルトは続けた。
「馬車と馬を繋いでる綱があるでしょう? これをね切っちまうんですよ。そうして自分は馬に乗って全速力で逃げるんです」
「でも、それだと荷物が置いてけぼりになりますよね?」
「魔物はこんな箱をいちいち開けて中身を持って言ったりしませんよ。行きに運ぶ食い物だって基本は穀物だから、人を良く襲うような肉食の連中は見向きもしない。帰りに至っては連中が気に入るものは何もありませんからね。だから諦めるまでまってから、こっそり戻ってまた引き直すんです」
ちゃんとした護衛を雇えるほど、うちの村は裕福じゃありませんから、そうへカルトは自嘲気味に笑う。
しかしリオンはただただ関心していた。
だから一人でこんな道のりを往来できているのだ。
勿論、どうしようもない不幸が訪れれば諦めるほかないが、それは例え護衛を雇っていても同じ事だろう。
自分には無関係と思っていたものも、実際に目で見て耳で聞くと面白い発見が分かるものだ。
「何の話をしてるんだ?」
戻て来たブレイスが挨拶でもする調子で尋ねた。
どうやら魔物の掃討は無事に終わったようだ。
「俺みたいな非力な人間は危なくなったらさっさと逃げるって話しさ」
「危なくなったら逃げるのは私達も一緒だよ」
続いて戻って来た二人の内、テルミスが話す。
「冒険者は生き残っててなんぼだからね。余程の状況とかか理由がない限り、少しでも手に負えない思ったらすぐに逃げるのが鉄則だって最初に叩き込まれたもの」
「あははは、とても厳しかったけど今思えば大切な事を教わってたんだって、よく分かるよね」
「いや、いくら大切だからってあの教え方はねーよ。冒険に出る前に下手したら死んでたぜ?」
苦い顔でイーファの美化した思い出を否定するブレイス。
余程の事があったのだろう事は、口も挟まず「はは」と乾いた笑いのみを盛らずテルミスが言外に語っていた。
「よい先生に恵まれたのですね」
少し羨ましそうにリオンはそう言った。
彼らはその言葉を肯定もしなければ否定もしない。
ただフッと力を抜いた微笑を作って、視線を行く先へ戻すだけだった。
目に見える範囲に魔物ほとんどいない。いたとしても遠すぎるので相手など必要が無い。
冒険者たちは咄嗟の奇襲にも慣れた様子で対応を行ってくれるので旅路はとても安全なものになった。
リオンはといえば、手持無沙汰もあってツールの魔法石を壊れる前に進んで修復していた。
イーファは恐れ多いとその度に断ろうとしたが、馬車に揺られるだけの荷台の荷物に甘んじているのは情けない気持ちになる。なのでそのくらいはさせて欲しいと押し切っていた。
だが食料はへカルトとリオンの2人分と、運よく無事だった3人の僅かな残り。水に至っては馬車に乗せられた水瓶の分しかなかったのでそれなりに切り詰める事となっている。
まあ、へカルトは商魂たくましく冒険者たちに分けた分の料金を徴収していたが。
一度「どうしてリオンさんは良いんだよ!」「この先生には相応の貸しがあるからだ!」などとの言い合いもあったが、貸しの話を聞いたイーファが無事に卒倒しかけ丸く収まった。
2日もすれば互いの意思疎通に要する言葉の数はすっかり少なくなる。
だからへカルトは前を歩いていたブレイスの雰囲気が変わったことを察して馬車を止めた。
「何か変だ」
ブレイスたちは出会ってから一度も見た事のない真剣な表情を浮かべ周囲を見回す。
リオンも真似て見回してみるも、特にこれと言って変わったところは無いように感じる。
前方には轍のような細い線の如き二本の道が伸び、青々とした草は膝程度の高さで、町の周辺と比べると随分と高くなったように感じるが急激に変化してそうなったわけでもない。ポツポツとはぐれものの木が立っており、そういった場所に良く獣系の魔物がよく休んでいるとの話は先日聞いたが、特にそのような姿は無かった。
だが専門家である冒険者が本気で警戒をしている以上、何かがあるのは疑いようもない事実だろう。
全員がピンと張った弦の如き緊張で固まる。
「っ!? 全員全力で逃げろ!」
それは本当に微かな変化だった。
警戒対象を地上から上空まで伸ばしたブレイスの視界の端も端、眩しさを感じ手をかざして太陽を見上げた偶然の産物。
――影があった。
目にゴミが入ったのではないかと疑いたくなるような、とても小さな黒い点。
見た瞬間にブレイスの直観が、本能が最大の警告を鳴らした。
『あれは不味い』
絶対に関わるべきではなく、直ぐにここから逃げるべきだという警告。
ドッと溢れる汗、叫びに近い怒鳴り声での命令。
だが、世界は残酷だった。
声が仲間に、馬車の2人にようやく届き、他の全員が言葉の意味を理解するよりも早く脅威は目前にやってきていた。
明らかに距離という概念を無視した移動速度。
一歩で千里を進むが如き接近など誰が予想出来ようか。
赤き体躯は陽光を反射して宝石の如き輝きを宿し、炎の如き臙脂の瞳は品定めでもするように眼下に存在する矮小な者たちを見下ろしている。両翼が力強く羽ばたくたび熱を帯びた風が吹き抜けて肌を焼き、鋭い爪と牙はどんなに優れた刃よりも鋭いように感じられた。
「ド――」
――ドラゴンだ。
放心したへカルトの口から零れるように出てきた言葉は、聞くもの全てを恐慌に陥れる雄叫びによってかき消された。
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