SIGN34 アニマル・レスキュー隊、発足

 薄汚れてはいるが、確かに白い体毛の犬だった。首輪をつけている。

 垂れ耳で大型の犬。ポインター種だろうか。


 犬は、蒼仁あおとたちに向かって吠え始めた。犬がいるのは、崩れた瓦礫がれきに近い住宅横の、狭い空き地。ひしゃげたフェンスにはばまれて、こちらへ来ることができないらしい。


「助けて、出して、って」


 シェディスがそっと近づいていく。フェンス越しに少しかがむと、吠えるのをやめた犬がシェディスをまっすぐに見た。


「このままだと、死んでしまう」


 短い言葉で、蒼仁にも状況が理解できた。

 雪が降る極寒ごっかんの地。何らかの理由で避難できず、置き去りにされたペット犬。

 寒さか飢えか、さらなる砲撃か。犬の命が危険にさらされている。


「助けよう」


 同意を求めるように見ると、達月たつきが頭をかいた。


「助ける言うたって、ここは過去なんか夢なんかわからへんやろ? ワイらが今助けてどうにかなるもんなんやろか」


「わからない。でも、犬はちゃんと俺たちを認識してる。つまり、干渉することはできるんだ。どうなるかなんてわからない、ひょっとしたら無駄かもしれないけど、何もせずに素通りなんてできないよ」


「……そやな」


 達月も近づいて、フェンスの状況を調べ始めた。

 突然、近くの瓦礫の山が音を立てた。巨大な破片が、上部から滑り落ちてくる。


「ヤバい! 崩れるで!」


 シェディスがロッドを振る。現れた氷結晶の壁が、瓦礫の山の崩壊を防いだ。


 ゲイルとブレイズが、雪嵐を防ぎ、近辺を暖かくしてくれる。

 蒼仁と達月は慎重にフェンスを外し、犬を外へ出した。


「よかった、出せた」


 犬が蒼仁に身をすり寄せてくる。よほど不安だったのだろう。

 その時、どこからか車の走行音が聞こえてきた。こちらへ近づいてくる。


『蒼仁、我々は人に見られると騒ぎになるかもしれない。ひとまず身を隠すんだ』


 父の言葉に、どこへ隠れようかと辺りを見回す。

 背後のある一点を見て、内心飛びあがった。若い女性がひとり、こちらへ向かってくる。


「いました。白のポインター一頭、たぶん三歳前後です。歩行は正常。保護します」


 誰に向かって言ったのか。少なくとも、蒼仁たちにではない。

 どうやら手元の無線機に向かって話しているようだ。


 女性は足を止めて、慎重に犬の様子をうかがっている。蒼仁たちのことは見えていないらしい。

 身をかがめて静かに手を差し出すと、犬がそろそろと女性に近づいた。女性の手が降りて、地面に何かを置いた。犬は女性の目の前まで来て置かれた物のにおいを嗅ぐと、ぺろりと食べてしまった。


 やがて車がやってきて、何人かが近づいてきた。

 彼らが穏やかに話しかけながら犬を車まで連れて行き、トランクのケージに入れて連れていくのを、蒼仁たちは静かに見送った。


「ワイらは、犬には見えるけど、人間には見えてないんやな」


「あの人たちは、街に取り残されたペットを保護する人たちなんだね。見つけてもらえてよかった」


 ペットを保護する団体は日本にもある。戦地にも、危険にも関わらず動物たちのために働く人たちがいる。

 シェルターまで連れて行く人。診察し、治療する人。日々の世話をする人。飼い主、あるいは新たな飼い主を探す人。

 いつまで経っても終わらない時間を、動物たちに寄り添うために懸命に捧げる人たちがいるのだ。


「でもな、こんな状況で飼い主に会えるのか、生きていかれるのかもわからへん。人間にもそんなに余裕ないんちゃうか」


 達月の言葉を裏づけるかのように、遠くから爆音らしき音が響いてきた。数キロ先に、灰色の煙が立ち上るのが見える。

 まだ戦争が終わっていないのだ。

 ペットのみならず、人間たちにとっても危険な状況が続いている。


「戦争はほんま、ろくでもないもんや……」


 前世で戦争を経験した達月の言葉には、ずしりと重みがある。


『日本でも、大戦中は多くの動物たちが犠牲になったんだ』


 緑の光が揺らめき、父の穏やかな声が雪風の中に溶けていく。


『暴れると危険だからという理由で、動物園の動物たちは殺処分になった。単純に餌をあげられなくなったという理由もある。家庭のペットの多くは軍服の毛皮にするために連れていかれた。今考えるととんでもない話だが、当時はそういう時代だったんだ』


 戦争は人間だけでなく、動物たちも確実に犠牲にする。

 たとえ生き延びられても、二度と飼い主に会えないペットが多く存在する。


『蒼仁、今この国には大きく分けて三種類の動物たちがいる。ひとつは今の犬のように、取り残されてしまったペットたち。二つめは大型猛獣を含む動物園の動物たち。三つめは、野生の動物たちだ』


「……うん」


 蒼仁の目はまだ、車が走り去った方向を見つめていた。

 助けを求めてきた、あの犬の曇りなき瞳が心から離れずにいる。


「俺たちで、助けられないかな」


 蒼仁はチームのみんなを見回した。

 みんなの表情は落ち着いている。蒼仁が言い出すことを、すでにわかっていたようだ。


「俺たちの力を、そのために使うんだ。役に立つかどうかはわからない。目の前のことは全部もう済んだことで、何をやっても無駄に終わるかもしれない。それでもやってみたいんだ。今、俺たちがここにいることにはきっと何かの意味がある。みんな、手伝ってくれる?」


 互いに顔を見合わせた後、シェディスがにっこりと微笑んだ。


「やろう、私もやりたい!」


「水臭い言い方すんなや。『手伝う』やのうて、『一緒にやる』んやろ」


 ウィンズレイも、ゲイルとブレイズも。言葉を発しない仲間たちも、共にいるだけで蒼仁に力を与えてくれる。


 蒼仁の勇ましい声が響き渡った。


「よし、作戦会議だ!」



  ◇ ◇ ◇



 蒼仁は、三種類の動物たちに対処するために、チームも三つに分けることにした。


「まず、ペット班。これは人に飼われていたブレイズが適任だと思う。さっきの動物保護スタッフの人たちと同じように、街に取り残されたペットを見つけて、あの人たちのそばまで誘導するんだ。怪我してるペットも多いと思うから、シェディスも一緒に行って、少しでも怪我を治してあげて」


「わかった!」


「次に、野生動物班。これはやっぱり生粋きっすいの野生動物のウィンズレイに頼みたい。ゲイルもサポートに入って。野生動物には下手に干渉するわけにいかないから、やってもらいたいのは基本的に状況調査だ。国内の野生動物保護区を回って、保護区内の危険箇所や動物たちの個体数や分布状況など、できる範囲で調べてきてほしい。それを何らかの方法で保護区管理スタッフに伝えようと思う。狼の群れもいるらしいから、衝突のないように頼むよ」


 ウィンズレイは低くうなずいた。たとえ狼たちと衝突があったとしても、負ける気はまったくないらしい。ゲイルも自信満々のようだ。


『蒼仁、私もそっちを手伝っていいかな。野生動物のことも少しはわかるし、今どうなっているのか状況を見ておきたい。管理側の事情も、人間の私がいた方が把握しやすいだろう』


 父の言葉に、「もと人間」だけどね、と内心で付け加える。

 まさか、こんな形で父と共に活動することになるとは思わなかった。


「じゃあ、必ずゲイルと一緒に動くようにしてね。最後に動物園班。残った俺と達月さん。猛獣たち含めて、爆撃によるストレスが酷いみたいだから、達月さんの力で落ち着かせてあげたいんだ。職員が少しずつ国外へ移送してるらしいから、それもできるだけ手伝えたらと思う。ざっくりだけど、こんな感じで、後は状況次第で各自の判断で動くってことでどうかな?」


 みんなを見回すと、


「それでいいんやないか? さすがリーダーやな」


「わかった、私頑張るね!」


 と、満足げな答えが返ってきた。


「今の俺たちは、人間からは見えないけど、動物たちからは見えるし干渉もできる。物を動かすこともできる。今はこの状態を最大限に利用しよう。人間側にバレない範囲で、思いっきり力を役立てよう。ゴースト・アニマル・レスキュー隊、作戦開始!」


「蒼仁のネーミングセンスも微妙やけど、まあええわ。行くでー!」



  ◇ ◇ ◇



 各班を、各目的地まであっという間に飛ばしてくれたのはウィンズレイだ。

刃風はかぜ」の力は、瞬間移動のようなことにも使えるらしい。


 アニマル・シェルターは、外だけでなく内部も凍えるほど寒かった。電力が十分に行き届かず、暖房が機能していないのだ。


 数あるシェルターのうちの一つが、突然格段に暖かくなったことにスタッフたちが驚いたのは、チームが班に分かれてすぐのことだった。

 さらに、瀕死ひんしの猫が一匹、元気に立ち上がった。原因をつきとめる間もなく、同室の重傷のペットたちが次々に回復し始めた。


 元気になったペットたちは、やがて隣国へと移送される。シェルターに空きが出れば、また次のペットたちを迎え入れることができる。

 疲労の色が濃かったスタッフたちの顔に、久しぶりに笑顔が戻ってきた。


 野生動物保護区や自然公園で、人に知られぬまま新たな動きがあった。

 野生動物の中には、狼を始めとする肉食獣やエルクなどの大型草食獣、絶滅危惧種までいる。多種多様な動物たちが、一陣のしなやかな黒い影に追い立てられ、少しずつ移動を始めた。その結果、危険区域から離れたり、効率よく食べ物を見つけたりできた。


『ここは野生動物の楽園だ。こんな場所にまで、戦争による被害が及んでいるんだな……』


 ゲイルが見つけた動物たちや危険箇所の情報を、蒼仁の父は残さずスケッチブックに記入していく。

 不思議なことに、今のこの姿になってもスケッチブックとペンを持つことができていた。「太陽光消失サンライト・ロスト」以前から、何でもメモやスケッチをとるクセがついていたからだろうか。スケッチブックには、以前からのものも含めて、見聞きした情報がビッシリと書き連ねてある。いつかどこかで役に立ってほしいものだ。


 戦闘区域に近い動物園でも、動物たちが落ち着きを取り戻し、体調を回復させた例が次々に確認された。

 不思議なことに、スタッフが気づかないうちに、何ものかが洗い物や園内の掃除などを済ませた形跡があった。妖精でも現れたのかと、誰もが首を傾げてうわさしあった。


 国外への移送も、動物たちが暴れることなく、途中で爆撃に遭うこともなく、順調に危険区域を抜けることに成功。

 すぐに全頭は無理だが、多くの動物たちがトラック移送によって危険な場所を離れることができた。



 こうして「妖精」たちは、人に知られることなく、それぞれの活動を成し遂げたのだった。


「霊体でもけっこう疲れるんだな……」と、気持ちよい疲労に身をゆだねていた蒼仁は、再び白い光に全身が包まれるのを感じた。なんて慌ただしい旅なんだろう。


 次の視界は、一面の青。

 チームメンバーたちの目の前に、広い海が広がっていた。

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