SIGN33 地球を旅する霊狼たち

 蒼仁あおとはまた、白い光に包まれた。


 三度目の光。

 まぶしさに目を閉じると、どこからか激しい水音が聞こえてくる。

 音が近づいてきたかと思うと、次の瞬間、急激な氷の嵐に自分の体が勢いよく流されていくのがわかった。

 もう、どこが天か地か、煌界リュースか地上かもわからない。


 周囲に渦巻く気配を感じる。

 地球に生まれた生物たちか。地上での役目を終えた、霊たちの放浪か。

 狼王の記憶か。悪しき感情を取り込んだ、悲しき記憶のなれの果てか。


 黒い急流が何度も襲ってくる。

 全身をなぶられ、どこかに叩きつけられ、息する間もなく回転する。


 それなのに、かつて経験した悪夢と同じ災害に襲われても、蒼仁の心は高揚こうようしていた。

 すぐそばに、何よりも信頼できる仲間たちの命を感じたから。


「アオト! つかまって!」


 シェディスが伸ばしたロッドを、ギリギリのタイミングで右手でつかんだ。無我夢中で体を棒へと引き寄せると、そこへ流れ飛んできた別の体が「ぐえっ」と声を上げながら棒に激突した。腹部を強打してうめ達月たつきの顔に、小さな笑いすらこぼれる。


 別の強い力が、蒼仁の防寒着をグイッと引っ張り上げた。ウィンズレイだ。

 シェディスとウィンズレイに支えられて、急流を泳いで移動する。達月も、ゲイルとブレイズに挟まれてなんとか川を渡っているようだ。


 相次ぐ災害。蒼仁よりも大きい氷塊が、まるで獣のように次々に襲いかかってきた。


「そいやーッ!!」


 今にもおぼれそうだった達月が、勇ましく顔を上げると威勢のいいかけ声とともに光球を投げつけた。氷塊が粉砕し、視界いっぱいに大小の氷の粒を飛び散らせる。

 さらに襲い来る氷塊に、シェディスの棒が一閃いっせん

 飛び散った氷が結晶となって壁を作り、防波堤ぼうはていのように荒ぶる氷塊をき止めた。


 シェディスの両手が舞い続ける。棒の動きに合わせて、氷壁ひょうへきが広がって川を覆い、流れを押しとどめていく。

 チーム全員が岸に上がるころには、シェディスの作り上げた氷の防波堤がさらなる川の猛追もうついを防ぎ、凍りつかせることによって水の暴力をしずめていた。


「……な、なんとか助かったんか?」


 ひとしきりき込んで水を吐く、蒼仁と達月。ウィンズレイとゲイルとブレイズは、体をふるって水を飛ばし、すぐに動き出した。


 ようやく顔を上げた蒼仁の眼前に、暗い空と森が広がっている。

 森の向こうには、氷河の白いいただきも見える。まるでカナダの山脈風景そのものだ。


「ここは……」


『ここも、王の記憶の森だ。大丈夫だったか、蒼仁』


 そばに緑の光が現れ、蒼仁の父の姿に変化した。



  ◇ ◇ ◇



煌界リュースを越え、さらに広い現実世界の現在と過去へ、自在につながることのできる夢という形の概念。霊体となったことで、今のお前たちなら自由に飛び回れるだろう』


「つまり、俺も霊狼ヴァルズになったってこと? 俺の声、大精霊に届いたのかな」


「なあ、ハムは?」


 きょろきょろと見回す達月に、父が穏やかに告げた。


『彼は霊体ではないから、地上のイヌイット集落まで送り届けておいた。今頃犬たちのしっぽにくるまって温まっているよ。私が蒼仁に会えたのは、間違いなく彼のおかげだ。いつか御礼を伝えないといけないな』


「だったら、みんなでちゃんと帰らないと――父さんもだよ」


『ハムスターの彼だったら、こう言うだろうね。すべては大精霊のおぼし、だと』


 蒼仁の望みどおり、大精霊に願ったとおりに、仲間たちとともにここまで来ることができた。

 あとは地上で、現世で待っている仲間たちや家族に会うために。すべてを終わらせるまで戦うだけだ。

 みんながいる。霊狼ヴァルズ全員の力を合わせれば、きっとなんだってできる!


 不意に、ウィンズレイたちが唸った。戦闘態勢だ!


 空から降りてきた黒い霧が、怪物のように不気味な形状へと変化しながら、爪先を伸ばして飛びかかってくる。

 剣のように長い爪が蒼仁たちへ届くより先に、ウィンズレイが前へおどり出た。たくましい四肢ししが地を蹴って、黒銀の体を飛翔させる。

 狼の牙が、正確に喉笛のどぶえと思われる急所へと深く食い込んだ。


 敵の正体は不明。実在する動物の形をとってはいないが、ネコ科の動きを思わせる。

 かつて見たジャコウウシとナキウサギのような、動物霊どうしの合成獣キメラだろうか。


『あれは、悪しき感情が動物霊の形状に変化したもの。世界を駆け巡る、災厄さいやくという名の概念がいねんだ』


 災厄。どの世界にも存在し、時として浸食しんしょく蔓延まんえんする魔物。その黒い影が、他にも次々と現れる。


「形のはっきりせんもん、ひとつひとつ相手してられへんがな」


 ぼやく達月の前で。集団に囲まれるよりも先に、ゲイルとブレイズが力を放った。

 大いなるほのおが風を巻き込み、紅蓮ぐれんの突風となって周囲の敵を一掃する。まるで火炎放射器だ。


「災厄の魔物」は消え去った。

 ――が、別の災厄が彼らを待ち受けていたらしい。


 森の向こうに見える氷河の頂が、突然爆音を響かせて崩れ落ちたのだ。


「氷河が! 崩れる……!」



  ◇ ◇ ◇



 氷河の白い斜面が、大きく崩れ落ちた。


 山は無惨にも削り取られ、崩れた氷はなだれ落ち、溶けて水となる。山の斜面を、驚異的なスピードで圧倒的な水量が流れ落ちてくる!


「ウソやろ!?」


 彼らは河原から離れ、小高い丘を駆け上った。やがて激流が木々をなぎ倒し、丘の下、彼らがいた場所をまたたく間に洗い流してしまう。

 

「氷河の融解による、水の移動……まるで、早送りで気候変動による災害を見ているみたいだ」


 蒼仁のつぶやきを証明するように、目前の「災厄」はとどまることを知らなかった。


 氷河だった場所の氷が大幅に消え、木々が倒れ、水が流れるだけ流れると――次に、水不足とかんばつが急速にやってきた。


 木々を失い、すっかり乾燥した大地にひびが入る。海流や気圧の変化で熱波がやってくる。高温で乾燥した山に、山火事が起きる。多くの木々が燃え尽き、さらに気温が上昇する。


 丘の上から、蒼仁たちは茫然ぼうぜんと山火事の光景を眺めていた。


 多くの動植物が死滅し、生態系が劇的に変わった土地に、感染症が急激に広まっていく。野生動物も、人も、新たに流行を始めた感染症に次々に倒れていく。


 それでも地球のどこかで、人の手で、木が切り倒されていく。

 工場が煙を吐き出し、空を灰色の闇が覆う。


 産業革命以降、地球を大きく変えてきたおなじみの光景だ。

 産業革命に始まる文明の発展が、人類と地球の歴史を大きく変えた。


 人類は、地球上に生を受けた137万種以上の動物のうちの一種。(動物ではないものも含めた全生物の種類は、870万種とも3000万種とも言われている)

 生物史上、気候の変化により死滅した種は数知れないが、地球の気候そのものを変えたのは人間だけだ。

 そして、人間だけが、地球を死の星に変えてしまうのかもしれない――





  ◇ ◇ ◇





 雪が降り始めた。


 寒空に白い風が吹く。視界があっという間に白に染まる。


 蒼仁たちは、ゆっくりと丘を下り、足を進めた。

 ブレイズがいるおかげで、彼らはそれほど寒さを感じない。が、目の前で早送りのように流れていく地球の風景は、今度は急激に気温を下げているのだ。寒波の襲来だ。


「街が見える……」


 吹雪の向こうに、見慣れない街のような景色が見えてきた。

 

 街だとわかったのは、ちらちらといくつかの建造物や看板などが見えたからだ。全体的に灰色の重苦しい街並みのようだ。


 近づくにつれ、その灰色の正体を知って蒼仁は愕然がくぜんとした。


 大きく崩れ落ちた建物群。道路を埋め尽くす、無数の瓦礫がれきの山。


 人の姿はなく、大破した車の残骸ざんがいが道路上に何台も放置されている。

 街のところどころに看板の一部や国旗などが見える。国旗には見覚えがあった。

 

 蒼仁にも、この光景の意味することが理解できた。


「戦争が、あったんだ……」


 惨状さんじょうにそぐわない静けさと、さらにそぐわないチームメンバーの姿。

 すべてを覆い尽くしそうとしている雪嵐だけが、瓦礫やゴミやほこりを吹き飛ばし、空へと舞い上げていく。


 ウィンズレイが、ふと一点に目を向けた。

 瓦礫の中、ひとつだけ動くものがあった。


 一頭の、白い犬だった。

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