SIGN33 地球を旅する霊狼たち
三度目の光。
音が近づいてきたかと思うと、次の瞬間、急激な氷の嵐に自分の体が勢いよく流されていくのがわかった。
もう、どこが天か地か、
周囲に渦巻く気配を感じる。
地球に生まれた生物たちか。地上での役目を終えた、霊たちの放浪か。
狼王の記憶か。悪しき感情を取り込んだ、悲しき記憶のなれの果てか。
黒い急流が何度も襲ってくる。
全身をなぶられ、どこかに叩きつけられ、息する間もなく回転する。
それなのに、かつて経験した悪夢と同じ災害に襲われても、蒼仁の心は
すぐそばに、何よりも信頼できる仲間たちの命を感じたから。
「アオト! つかまって!」
シェディスが伸ばした
別の強い力が、蒼仁の防寒着をグイッと引っ張り上げた。ウィンズレイだ。
シェディスとウィンズレイに支えられて、急流を泳いで移動する。達月も、ゲイルとブレイズに挟まれてなんとか川を渡っているようだ。
相次ぐ災害。蒼仁よりも大きい氷塊が、まるで獣のように次々に襲いかかってきた。
「そいやーッ!!」
今にも
さらに襲い来る氷塊に、シェディスの棒が
飛び散った氷が結晶となって壁を作り、
シェディスの両手が舞い続ける。棒の動きに合わせて、
チーム全員が岸に上がるころには、シェディスの作り上げた氷の防波堤がさらなる川の
「……な、なんとか助かったんか?」
ひとしきり
ようやく顔を上げた蒼仁の眼前に、暗い空と森が広がっている。
森の向こうには、氷河の白い
「ここは……」
『ここも、王の記憶の森だ。大丈夫だったか、蒼仁』
そばに緑の光が現れ、蒼仁の父の姿に変化した。
◇ ◇ ◇
『
「つまり、俺も
「なあ、ハムは?」
きょろきょろと見回す達月に、父が穏やかに告げた。
『彼は霊体ではないから、地上のイヌイット集落まで送り届けておいた。今頃犬たちのしっぽにくるまって温まっているよ。私が蒼仁に会えたのは、間違いなく彼のおかげだ。いつか御礼を伝えないといけないな』
「だったら、みんなでちゃんと帰らないと――父さんもだよ」
『ハムスターの彼だったら、こう言うだろうね。すべては大精霊の
蒼仁の望みどおり、大精霊に願ったとおりに、仲間たちとともにここまで来ることができた。
あとは地上で、現世で待っている仲間たちや家族に会うために。すべてを終わらせるまで戦うだけだ。
みんながいる。
不意に、ウィンズレイたちが唸った。戦闘態勢だ!
空から降りてきた黒い霧が、怪物のように不気味な形状へと変化しながら、爪先を伸ばして飛びかかってくる。
剣のように長い爪が蒼仁たちへ届くより先に、ウィンズレイが前へ
狼の牙が、正確に
敵の正体は不明。実在する動物の形をとってはいないが、ネコ科の動きを思わせる。
かつて見たジャコウウシとナキウサギのような、動物霊どうしの
『あれは、悪しき感情が動物霊の形状に変化したもの。世界を駆け巡る、
災厄。どの世界にも存在し、時として
「形のはっきりせんもん、ひとつひとつ相手してられへんがな」
ぼやく達月の前で、集団に囲まれるよりも先に、ゲイルとブレイズが力を放った。
大いなる
「災厄の魔物」は消え去った。
――が、別の災厄が彼らを待ち受けていたらしい。
森の向こうに見える氷河の頂が、突然爆音を響かせて崩れ落ちたのだ。
「氷河が! 崩れる……!」
◇ ◇ ◇
氷河の白い斜面が、大きく崩れ落ちた。
山は無惨にも削り取られ、崩れた氷はなだれ落ち、溶けて水となる。山の斜面を、驚異的なスピードで圧倒的な水量が流れ落ちてくる!
「ウソやろ!?」
彼らは河原から離れ、小高い丘を駆け上った。やがて激流が木々をなぎ倒し、丘の下、彼らがいた場所をまたたく間に洗い流してしまう。
「氷河の融解による、水の移動……まるで、早送りで気候変動による災害を見ているみたいだ」
蒼仁のつぶやきを証明するように、目前の「災厄」はとどまることを知らなかった。
氷河だった場所の氷が大幅に消え、木々が倒れ、水が流れるだけ流れると――次に、水不足とかんばつが急速にやってきた。
木々を失い、すっかり乾燥した大地にひびが入る。海流や気圧の変化で熱波がやってくる。高温で乾燥した山に、山火事が起きる。多くの木々が燃え尽き、さらに気温が上昇する。
丘の上から、蒼仁たちは
多くの動植物が死滅し、生態系が劇的に変わった土地に、感染症が急激に広まっていく。野生動物も、人も、新たに流行を始めた感染症に次々に倒れていく。
それでも地球のどこかで、人の手で、木が切り倒されていく。
工場が煙を吐き出し、空を灰色の闇が覆う。
産業革命以降、地球を大きく変えてきたおなじみの光景だ。
産業革命に始まる文明の発展が、人類と地球の歴史を大きく変えた。
人類は、地球上に生を受けた137万種以上の動物のうちの一種。(動物ではないものも含めた全生物の種類は、870万種とも3000万種とも言われている)
生物史上、気候の変化により死滅した種は数知れないが、地球の気候そのものを変えたのは人間だけだ。
そして、人間だけが、地球を死の星に変えてしまうのかもしれない――
◇ ◇ ◇
雪が降り始めた。
寒空に白い風が吹く。視界があっという間に白に染まる。
蒼仁たちは、ゆっくりと丘を下り、足を進めた。
ブレイズがいるおかげで、彼らはそれほど寒さを感じない。が、目の前で早送りのように流れていく地球の風景は、今度は急激に気温を下げているのだ。寒波の襲来だ。
「街が見える……」
吹雪の向こうに、見慣れない街のような景色が見えてきた。
街だとわかったのは、ちらちらといくつかの建造物や看板などが見えたからだ。全体的に灰色の重苦しい街並みのようだ。
近づくにつれ、その灰色の正体を知って蒼仁は
大きく崩れ落ちた建物群。道路を埋め尽くす、無数の
人の姿はなく、大破した車の
街のところどころに看板の一部や国旗などが見える。国旗には見覚えがあった。
蒼仁にも、この光景の意味することが理解できた。
「戦争が、あったんだ……」
すべてを覆い尽くしそうとしている雪嵐だけが、瓦礫やゴミや
ウィンズレイが、ふと一点に目を向けた。
瓦礫の中、ひとつだけ動くものがあった。
一頭の、白い犬だった。
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