SIGN23 旅の途中、極北の街のひととき

 ドーソン・シティでは、折賀おりがにとって懐かしい人物が待ち構えていた。

 昨年十二月にホワイトホースの居酒屋で出逢った新聞記者、キンバリーである。


「オリガ! また性懲しょうこりもなく危険なことをやらかしてきたみたいだな」


「キンバリーさん、市長に至急伝えたいことがあります。まず犬たちを休ませたいんで、そっちで繋ぎをつけといてもらえませんか」


「相変わらず人使い荒いなー」


 文句を言いつつ、キンバリーは心得たように足早に去っていった。


 ここでも折賀の「時間を無駄にしない」主義は健在だ。

 あらかじめ話を通しておいたらしいホテルの中庭へそりを導き、チームメンバーにてきぱきと指示を出し、犬たちのハーネスを外し、全員で一頭一頭入念に手入れをする。

 ホテルのスタッフが準備してくれた餌を全頭に配り終わり、ようやく人間たちも一息つける……と思った頃、キンバリーがやってきて「市長のアポイントメントが取れたぞ」と告げた。


「ちょっと行ってくる」と、さっさとホテルを後にする折賀の背を、達月たつきが「少しは休まんかい。ハゲるで」とツッコミながら見送った。


 犬たちをホテルに預け、ロビーへ向かうと、地元の人々と思われる大勢の人だかりができていた。蒼仁あおとたちの姿を見つけるや否や、老若男女がいっせいに騒ぎ始める。何人も手を差し出してくるので、ひと通り握手を済ませるだけでも大仕事だ。


「なんや、この人たち?」


「たぶん、みんな歓待してくれてる。あと、ここまで犬ぞりで来たことを称賛してくれてる」


「蒼仁、英語わかるんかい!」


「なんとなくだってば」


 ここドーソン・シティは、ホワイトホースに次ぐカナダ極北観光都市だ。

 ハイウェイが通行止めとなって以来、やってくる人間が極端に減ったためか、犬ぞりでやってきた蒼仁たちの存在はあっという間に近隣に広まったらしい。

 まるで二十世紀初頭、アラスカのノームまでジフテリアの血清を運んだという「伝説の犬ぞり隊」を迎え入れるかのような熱気だ。

(ちなみにその犬ぞり隊のリーダー犬は、活躍をたたえてニューヨークのセントラル・パークに銅像が建てられた。)


 ホテルスタッフに案内されるがままに部屋へ通され、さらに一階のレストランに食事の用意ができていると知らされた。

 二階建てのさほど大きくはないホテルだが、木製インテリアを基調とした、ほどよくレトロで落ち着いた空間が広がっている。ベッドルームも広めで、シーツがパリッと気持ちよくメイキングされている、が……ダブルサイズのベッドが二台。またシェディスと同室だろうか。達月があからさまに動揺している。


 全員、雪だらけ泥だらけの防寒着を脱いでさっとシャワーを浴び、ホテル側が用意してくれたルームウェアに着替えた。シェディスにはちゃんと、シングルの別室が用意されていた。達月があからさまにがっかりしている。


 なぜかハム用の小さなTシャツまであり、口ひげをしゅっと整えたハムがご機嫌で着替えたところで、全員でレストランへ向かった。


「ついさっきまで大氷原を走っていたのが、嘘みたいですねえ」


 ハムが全員の心境を一言で代弁した。


 この時すでに、空は「闇のオーロラ」に埋め尽くされ、再び暗鬱あんうつとしたもやに世界のすべてが覆い隠されてしまったように見える。

 そんな中、子供を含む若者だけの犬ぞり隊がホワイトホース→ドーソン・シティ間、約530kmの吹雪の雪原を踏破したことは、希望に満ちた明るいニュースのように受け止められている――といった内容を、レストランのスタッフまでもが興奮気味に伝えてくる。


 言われるがままに、次々に登場するサーモンやローストビーフなどのご馳走にフォークを入れる。ハムは蒼仁の膝の上で、こっそりとおこぼれに預かっている。

 吹雪や電波障害で流通が滞っている現在、これだけのご馳走を用意してもらえるというのは、かなり贅沢なことじゃないだろうか。


 現在、極北のみならずカナダ全域で停電が多発し、まきストーブやランタンでなんとか生活している家庭も少なくないという。まさに百年前のような暮らしが広がりつつあるのだ。


「今日は遠慮せずに用意されたものをありがたくいただけばいい」


 食事の途中で、折賀が戻ってきた。


「明日からは、地元の人たちと同じものにしてもらう。出発は明後日の朝だ。それまでこのホテルに滞在する」


「助かるでー。そんくらい休ませてもらわんと体が持たんもんなあ」


「誰が人間のための休みだと言った。犬たちを休ませ、犬たちの世話をするための滞在に決まってるだろうが」


「やっぱり鬼軍曹や!」


 折賀はまだ防寒着を脱いだだけの姿だが、構わずにテーブルのカナディアンベーコンに手を伸ばす。


「今、市長の所へ行ってきた」


「何の話だったんですか?」


「ここから北極圏を目指す許可をもらってきた。チームの『力』については当然伏せてあるから、俺たちの表面上の目的はあくまで現地調査。キンバリーさんがこの街で事前に根回ししておいてくれたのと、叔父がカナダ政府経由のいかにもそれらしい書類を用意しておいてくれたおかげで、話がスムーズに進んだ。この街は犬ぞり隊を歓迎してくれている。物資も色々と揃えてくれるらしい。その礼といってはなんだが、明日みんなにやってほしいことがある。協力してもらえるとありがたいんだが」


「なんですか?」


「明日、この街でもう一度、『闇のオーロラ』をはらうんだ。事前に知らせるとパニックを誘発するかもしれんから、市長以外には知らせず、抜き打ちで。俺にできることではないから、あくまでもみんなの意思で決めてほしい」


 チームは顔を見合わせた。

 最初に声を発したのは、やはりシェディスだった。


「みんなが喜んでくれるんなら、やろうよ」


「そやな」


「いいですね。街に太陽が戻り、街のみなさんの心に希望が戻ります。『闇のオーロラ』が晴れている間、遠方の誰かに声や映像を伝えることもできますしね。ぼくも応援だけは頑張らせていただきます!」


「蒼仁」


 蒼仁が言葉を挟むより先に。折賀が、少し眉間にしわを寄せて蒼仁を見た。


「たぶん、一番負担がかかるのはきみだ」


 その声に、表情に、蒼仁を心配している様が浮かぶ。


「ここに来るまで、戦闘以外にも力を使わせてしまったが、不調を感じてはいないか」


「あ、ありがとうございます。大丈夫です」


「無理を感じたら早めに言ってほしい。蒼仁以外の、みんなもだ」


 チームはもう一度、互いに顔を見合わせた。達月が遠慮がちに言葉を入れる。


「それを言ったら、折賀さんこそ無理してへんか?」


「……」


「もう何ヶ月カナダにおるんや? ひとりであちこち駆けずり回って、色々と調査や根回しして。なんでただの学生の折賀さんがそこまでするんか知らんけど、今すぐ帰って普通に大学に通ったって構わんのやろ?」


「俺は、自分の意思でやってる」


 低めの声の底に、揺るぎない決意が敷かれているのを感じる。それ以上何を言っていいのかわからず、達月は黙ってしまった。


「――それでも、時々折れそうになることがある。折れるわけにはいかないと、気を張り過ぎることもある。俺がここまで来れたのは、間違いなく、みんながいたからだ」


 チームのみんなを見つめる折賀の目が、さっきよりも優しく柔らかくなっていることに、蒼仁は気づいた。


「シェディスの力はみんなを癒し、力を回復してくれる。達月の力は道を明るく照らし、記憶を力に変えてくれる。ゲイルとブレイズは自然の中で生きるための力を与えてくれる。それらすべての力のみなもとが、蒼仁だ。イルハムも、この世界を生きるために必要な知恵を与えてくれる」


「折賀さんは、みんなをよく見て、導いてくれる」


 みんなは目を合わせ、ニッと笑いあった。

 それ以上の言葉は不要だろう。


 アルバータビーフステーキに、バタータルト。トナカイのシチューに、メイプルシロップがけのソーセージ。

 まずは明日のために。彼らはテーブル上のご馳走を、心ゆくまで感謝しながら味わった。


 その後、ホテルが薪を焚いて用意してくれたサウナを堪能し、体の芯までしっかりと温まった一行だった。

 シェディスの水着姿に、約一名が動揺しまくっていたのは言うまでもない。

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