SIGN22 天空を翔ける龍の声
一帯の吹雪を操作し、空をも焦がす炎を舞い上げた超常現象。
それは、カナダの
約九ヶ月ぶりに、カナダ極北に本物の空が現れた。
昼夜・季節問わず空を覆っていた「闇のオーロラ」が、双焔の炎によって
――が、それが局地的かつ一時的な結果であることを、
極北からすべての「闇」が消え去ったわけではない。
遠方、山の稜線の向こうでは、いまだ
ただ、今この時だけは。自分たちがここに来たからこそ目にできる景色を、心ゆくまで眺めていたかった。
一行は強風で荒れ果てたキャンプ地を撤収し、
吹雪が消え去り無風となった今、風よけの
「俺は『
普段は厳格な「鬼軍曹」ぶりを発揮する
彼らの前に広がる大氷原は、ユーコン川から連なるラバージ湖が凍結してできたものだ。
ラバージ湖の幅は南北に約50km。面積は日本の大阪市と同じくらい。
ダークブルーの空に、今にも手が届きそうな、砂粒のような無数の星。
そのうちに、山の稜線沿いの空が少しずつ色彩を変え始めた。
日の出ではなく、線のように細長い、くっきりとした色。
酸素分子によるグリーン。淡いグリーンの筋が、生き物のようにうねりながら稜線を離れ、空を昇ってゆく。
「あれ……」
「……ああ……」
誰もが言葉を失った。
緑の一筋が、動きと色彩を一秒ごとに変化させる。より色濃く強い光を放ちながら、急速に波打つように天を渡ってゆく。
大地から100km以上離れた上空にかかる光は、それ自体の長さもゆうに100kmを越える。広大な空を、広大な距離に渡って翔け抜ける、鮮やかな緑の極光。
うねりながら、ゆらめきながら移動する様は、天空を翔ける巨大な龍の姿を思わせた。
オーロラには、様々な色、様々な形がある。
オーロラ観測の専門家たちは、オーロラが現れる場所・時刻・形状などを膨大な観測データに基づき算出するが、その予報が百パーセント当たるわけではない。
特に、あらゆる電波が遮断され観測不能となった現在、いつどこでどんなオーロラに出逢うのかは完全に運次第だ。
今この時、たまたまこのオーロラに出逢えたのは、何かの運命だったんじゃないかと思えてくる。
その天から、龍の姿から。
蒼仁のもとに、音とも言葉とも判別のつかない何かが舞い降りてきた。
『――ァ ォ ㇳ ――』
「……お父さん……?」
なぜ自分の口からそのつぶやきが漏れたのか、蒼仁自身にもわからない。
大精霊が聞かせた幻聴だろうか。
天空の龍が消え去るまでの約一時間。蒼仁はそれ以上何も言わず、ただ龍の尾にあたる光の終わりを、目で追い続けていた。
◇ ◇ ◇
「みんな、ちょっといいか」
翌朝、わふわふとにぎやかに動き始めた犬たちの輪の中で。
現在の空は、九ヶ月ぶりの太陽光が雲の隙間から柔らかな光を差し込んでいる。
山の向こうから「闇のオーロラ」が少しずつ迫ってきてはいるが、日中しばらくはライトを使わない旅ができそうだった。
「みんなの『力』について、話には聞いていたが、実際に見たのは昨夜が初めてだった。みんな、よくやってくれた」
折賀の言葉に、照れたように顔を合わせるメンバーたち。
「昨日のは、特にゲイルとブレイズが凄かったな」
蒼仁の言葉に折賀がうなずく。当のゲイルとブレイズは、蒼仁とシェディスのそばでのんびりと寝そべっている。
「『双焔の
「二頭の力を見て、ひとつ謎が解けた。イルハムも気づいていたと思うが」
折賀はハムを見た。視線の先で、小さなあったかケープをはおったハムがフレンチトーストをもきゅもきゅと味わっている。
「そうですねー。ここの気温が想定よりも暖かい気はしてましたが、二頭のおかげだったんですね」
「え、そうだったの?」
「といっても、体感マイナス四十度がマイナス三十度になったくらいですけどね」
蒼仁はブレイズの首に手を回した。生きた動物の、力強い鼓動と熱。ふかふかな体毛の奥に、熱い体温の脈動を感じる。
「戦闘以前から、二頭は力を開放できていたということだ。それで思ったんだが、『闇のオーロラ』が消えている今のうちに、ルートを変更して時間短縮できないだろうか」
折賀は地図を広げた。同じ地図を、メンバー全員が持っている。蒼仁も出発前に暇さえあれば読み込んでいた地図だ。
「今までは吹雪を避けて
「なるほどー。一考の価値ありですね」
旅の走行ルートに関しては、現地に詳しい折賀とハムが、事前にマッシャーたちの協力を得て討議を重ねてきた。ここでも、新たなルートを組み立てるのは主にこの一人と一匹の役目だ。
極北に縦横無尽に存在する、川や湖。
そこは冬季には分厚い氷の道となり、数多くの犬ぞり・車両・雪上輸送トラックさえも通過する交通の要となっていた。
気候危機により、氷は年々薄く
「まず、今のうちに氷原を走る感覚をつかんでおく。ゲイルの風よけの力があれば、『闇のオーロラ』が戻ってきても
「面白そう!」
シェディスが、新たな挑戦にわくわくと胸を躍らせる。
「まずはお試しでやってみてもええかもしれんな」
達月も納得顔だ。
進路上の危険箇所には人間たちも注意するが、ゲイルとブレイズの方が走りながら先に察知するだろう。
「ゲイル、ブレイズ、それからみんなも。よろしく頼むよ」
蒼仁は犬たち一頭一頭に優しく声をかけ、頭を撫でた。
マッシャーたちが貸し出してくれた、大事な犬たちだ。
一頭たりとも欠けることなく、無事に旅を終わらせなければならない。
そのために、少しでも日程を短縮できるのなら。自分の力を精いっぱい役立てることに、異存はまったくなかった。
◇ ◇ ◇
昨日まで旅の障壁だった吹雪は、川と湖の上にさらさらの雪道を作ってくれていた。
まだ何の跡もついていないまっさらな雪に、犬たちの足跡が、次いでそりの跡が残されていく。
広々とした大氷原は犬たちにとっても走りやすく、自然とスピードが上がってきた。
ところどころでそりを止め、シェディスが
特に大きな障害もなく、旅は順調に進んでいく。
彼らの周囲を舞う雪煙。
達月が時々投げ上げる光球が一帯を広く照らし、光に反射した雪の結晶が、ダイヤモンド・ダストのように彼らの行く手をきらきらと輝かせる。
かつてないほどの明るい世界。みんなの心も、気持ちよく上向きになっていた。
やがて「闇のオーロラ」が戻り、真の太陽が完全に姿を消しても、彼らの道は彼らの力が作る。戦闘だけが彼らの役目ではないのだ。
ブレイズの力だけでなく、みんなとの一体感、「自分の力が役に立っている」という充足感が、蒼仁の心を強くし、熱くしてくれる。
旅の果てに、あの龍から聞こえた声の正体がわかったとしても。
その時は、みんなで旅を乗り越えた経験が、蒼仁の力になってくれるだろう。
そりは想定以上の驚くべき速さで距離を伸ばし、ホワイトホースから約530km地点へ。
チームは第一の目的地、ドーソンシティへと到着した。
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