SIGN24 イヌクシュクの続く道
巨大な「建造物」と言うべきだろうか。それとも「記念塔」だろうか。
石をいくつも積み重ねて作られる「イヌクシュク」は、カナダの先住民族イヌイットが道標として使ってきたものだと言われている。
何ひとつ目印が見当たらない広大な大氷原の中、人の身長を越えるほど高く積み上げられた石標は、不思議な存在感で旅人や迷い人を行くべき方向へ導いてくれるという。
その中のひとつ、北極海沿岸と思われる地域に建っている人型のイヌクシュクは、高さが十メートル以上もあった。
毛皮の上着を着込んだひとりのイヌイット女性が、灰色の石組みを見上げながら、誰にともなく静かに語りかける。
「さあ、やっとだ。もうすぐやってくるよ。大精霊の加護を受けた子供たちがね」
イヌクシュクの背後を埋め尽くすのは、刻一刻と形を変え続ける流氷の海。
空には、いまや世界中の人々に恐れられるようになった「闇のオーロラ」が渦を巻いている。
ここは、渦の中心。新たな「闇のオーロラ」が発生する場所。
極北に「
◇ ◇ ◇
ドーソン出発前夜。
「ウィンズレイ」と呼ばれる黒狼が目撃された地点と、そこへ至る犬ぞり用のルートを、何通りも拾い上げては地図に書き込んでいく。
なぜたった一頭の狼を追い続けるのかと
「『ウィンズレイ』は、近いうちにこの辺り一帯の狼の群れを
という、折賀のもっともらしい説明で納得させた。
会議の後、折賀がホテルの部屋を出ると、廊下で
「折賀さん。俺、ホテルで色んな人に『お父さんに会えるといいね』って言われた」
折賀は蒼仁の肩に手を置き、少しかがんで目線を合わせた。
「すまない。子供を犬ぞり隊に連れていくのに、周囲が納得するような理由が必要だったんだ。きみは北極圏に滞在中の父親に会いに行くという話にしてある。勝手なことをして、悪かった」
「別に悪くなんかないです。そのおかげで、みんなが俺みたいな子供でも気持ちよく送り出してくれるんだし……それに、俺、折賀さんがお父さんのことを気にかけてくれたみたいで、嬉しかった」
今まで、チームの前ではあまり父親のことを話さなかった。
初めてシェディスに逢った日に、彼女に向かって
「お父さんがどうなったかは、知ってる?」
と、一度聞いただけだ。
口に出さずとも、蒼仁にとってはカナダまで来た第一の目的が「父親の行方を捜すこと」だった。折賀が考えた「父親に会いに行く」という対外的な理由は、間違ってはいないのだ。
「シェディスにも、同じ理由があります。シェディスの場合は、お母さん。俺は、お父さんはカナダのどこかで生きてると思ってる。できる限り、捜しに行きたいと思ってます」
「……そうか」
短いけれど、思いが込められた返答。
話はそこで終わったが、蒼仁は、折賀なら何らかの形で捜索の力になってくれると確信していた。
それとも――
『――ァ ォ ㇳ ――』
天空を舞う龍のようなオーロラから聞こえてきた、あの声。あれこそが、自分の捜し求めている父の声、なのだろうか。
答えはきっと、この先の北にある。
ドーソン・シティの緯度は、北緯64度3分45厘。
「北極圏」に到達する北緯66度33分までは、直線距離にして約277kmだ。
カナダの北を目指す旅で、ドーソンは最後の「都市らしい都市」だ。この先は、人に全く会わなくてもおかしくない、深い大自然がどこまでも続く。
彼らの旅は、ここからが正念場なのかもしれない。
◇ ◇ ◇
ドーソンの北には、日本の本州以南がすっぽり入ってしまうほど広大な国立公園や、先住民族の居住区域などがいくつも連なっている。
次の目的地は、ユーコン準州から州境を越えてノース・ウェスト準州へ。北緯68度19分、北極圏の観光地として知られる小さな町、イヌヴィクだ。
犬ぞり隊は、時に氷の川を、時に通行止めのハイウェイ上をひた走る。
ドーソンへ来た時と同様、チームメンバーの力をうまく使いながら。
折賀の指示の下、力の配分を考え、少しずつ交代しながら少しでも効率よく走れるように気を配る。
川も道路も、既に真っ白な雪に覆われている。誰かが通った跡もなく、川と道路の境目さえわかりにくくなっている。道を間違えないよう注意が必要だ。
この地帯まで来ると、生えている木はほとんどマツ科のクロトウヒだけとなる。
地表の一メートル下に
道中、たまに「イヌクシュク」らしき物を見かけた。
イヌイットが、方位・狩場・川などを表すために石を積み重ねて建てた石標だ。
カナダ全域でお土産グッズのデザインとして見かけることが多く、バンクーバー・オリンピックのシンボルともなった。観光客にも広く知られるようになったためか、あちこちに勝手に石を積み上げて作っていくハイカーやキャンパーも多いという。よって、すべてのイヌクシュクが標識だというわけではない。
それでも、真のイヌクシュクには先住民の「気」でも流れているのだろうか。何となくだが、偽物との区別がつくような気がするから不思議だ。
先頭犬のゲイルとブレイズも、通り過ぎる瞬間に本物にはきちんと注意を向けているように見えた。
イヌヴィクへ続く五号線、通称「デンプスタ―・ハイウェイ」を犬ぞりで進んでいた時。
彼らの行く手に、未知の
◇ ◇ ◇
折賀はすぐにゲイルとブレイズのハーネスを外し、犬たちをできるだけ下がらせながら猟銃を構えた。
空が、かつてないほどに分厚い闇に覆われている。まるで極北の広範囲に渡って広がっていた闇が、この一地帯のみに集約されたようだ。
咆哮の主は、ハイウェイ沿いの草地の中から姿を現した。時速60kmを越えるスピードで突進してくる、六百キロ級の巨大な塊。十頭を越える、ハイイログマだ!
熊がどれほど恐ろしいかは、日本人にも広く知られている。突進による体当たりも怖いが、立ち上がった体勢で振り下ろされる太い前足と爪の一撃は、もらったらまず助からないだろう。
状況を見極めながら、折賀が鋭く指示を出す。
「ゲイルはそのまま風を防いでくれ! シェディスは蒼仁を守れ! 達月が球を投げて、突進が止まらないやつはブレイズが仕留めるんだ!」
「承知ッ!」
シェディスが張り切って前に出る。彼女の棒が、激しい回転で蒼仁の前に風と氷の障壁を作りあげた。
「いっけぇー!」
その風を受けて、達月の光球が空高く舞い上がる。
一帯を強く照らす太陽の光。あまりのまぶしさに熊が
雄々しい叫びを上げた熊たちが、動きを止めた。
「やったか……?」
達月がごくりと唾をのむ。
熊たちはゆっくりと、彼らに背を向けて立ち去り始めた。
ほうっと、達月の全身から力が抜けていく。
「達月! 上ッ!!」
シェディスの鋭い一声。上を見上げた達月は、思いっきり草地に飛び込んでゴロゴロと転げ回った。そのすぐ上を、落下してきた巨大な影が風のように翔け抜けて、再び空へと舞い上がる。
横幅二メートルを越える黒褐色の翼。頭部だけが白い。
アメリカの国鳥にして、国章やその他各所のシンボルに使われている、華麗なる
「ハクトウワシです! みなさん、空に注意して!」
蒼仁の襟もとからハムが叫ぶ。
ハイイログマが全頭消え去ったのを確認しながら、メンバーは空を見上げて身構えた。
シェディスが蒼仁だけには近寄らせないようにしているが、他のメンバーは空の王者に対しては無防備だ。上昇も下降も思いのまま、突撃も旋回も鮮やかに決める。達月の光球もブレイズの巻き上げる炎も、ハクトウワシはすべて高速で避けてしまう。
「達月くんッ!!」
他のメンバーよりも攻撃しやすいと判断したのか、特に達月が狙われた。鋭い翼と
「ええ度胸しとるやんけ! 来いやァーッ!」
威勢よく叫びながら光球を放つ。空に投げ上げるのではなく、ハクトウワシの体の中心に叩きつけた。
と同時に、後頭部に鋭い痛みが走る。背後から、もう一羽現れたのだ。
「達月くん! 逃げてー!」
「ゲイル、行けッ! ブレイズも!」
すかさず蒼仁が叫ぶ。
「『
ゲイルは吹雪を止めるために使っていた力を攻撃に向けた。
まるで、今までせき止めていたエネルギーをすべて開放するかのように。
そこへブレイズもありったけの力を注ぎ込んだ。
突風と爆炎が混ざり合い、焔の柱となって空中の敵を
短い叫びが響いた。
激しい火柱になぶられて、ハクトウワシが煙のように消えた。
その後も何頭かのハイイログマ、何羽かのハクトウワシが出現したが、すべてチームワークを駆使してなんとか撃退した。
達月が負った傷も、シェディスの力がきれいに治してくれた。
「シェディスさん、おおきにな。すまん、ワイ助けてもろうてばっかりで」
「達月は頑張ったよー。よい子えらい子元気な子!」
頭をなでなでされて、全身ふにゃふにゃになった達月を折賀がぽいっとそりの上に投げ上げた。
彼らのゆく道に、何体かのイヌクシュクが見守るように並んでいる。
その並びが示すのは、さらに北、イヌイットの集落へと続く道。
どことも知れぬ場所で、巨大なイヌクシュクの足元に立つイヌイットの女性が、懐かしそうに目を細めていた。
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