SIGN15 入り乱れる動物霊の猛攻

 シェディスの記憶――


 まだ小さかった頃(人間にとっては約八ヶ月前)、いつもそばにいてくれる、大きくて温かくていいにおいがする生き物(人間は「母親」と呼ぶらしい)が、狩りの練習のために生きたナキウサギを捕まえてきたことがあった。


 ナキウサギは、耳が丸くて短く、どちらかというとハムスターに似ている。

 母親はもちろん軽々とくわえて運べるが、シェディスよりほんの少し小さいだけで、しかも食われまいと必死だ。

 母親は仕留めるところを我が子に見せるつもりだったが、事前に与えたダメージが想定よりも弱かったらしい。残された生命力を爆発させるかのように、キィキィ鳴きながら巣穴の中を走り回り、想像以上に高いジャンプ力でシェディスの顔面にしたたかに食らいついた。シェディスは初めて見る生き物に初めての強烈な攻撃を食らい、鳴きながら巣穴の奥へ逃げ込んだ。

 それ以来、ナキウサギを見るとちょっぴり苦いあの思い出がよみがえる。


 夏の「太陽光消失サンライト・ロスト」以降は、母親に代わり、黒い兄狼が面倒を見てくれた。

 夏が突然冬に変わり、まだ夏毛のままだった彼らは寒さに震えた。食料となる小動物も、狩り場があっという間に雪と氷に覆われてしまい、姿が見えなくなった。


 兄と妹は肩を寄せ合い、互いを温め合いながら飢えに耐えた。

 ほんの少しでもにおいがすれば、兄狼は夜通し雪を掘り続けた。固い氷や岩で爪先を傷つけ血に染めながら、やっと見つけた小さなナキウサギの死骸を、妹のところへ運んだ。もう飛びかかってこないナキウサギには、兄の存在感においがたくさん染み込んでいた。


 ナキウサギを見ると、そんな記憶をふっと思い出すのだった。



  ◇ ◇ ◇



 そのナキウサギが、いる。

 達月たつきのアパートの前に。それもたくさん。

 あとからあとから、空の「闇のオーロラ」のはしっこからおびただしい数が生まれ出てくるのだ。まさにウサギ講だ。


「なんじゃこりゃあぁぁ! どないしろっちゅーねんッ!」


 アパートの窓から外を見渡した達月が、威勢のいい関西弁を響かせている。

 クーガーのような野獣を想像していた彼の、せっかく作った「戦士の顔」が崩れてしまった。その横で、シェディスはカナダでの様々な経験を思い出し、複雑な顔を見せている。


 アパート前の道路を埋め尽くす、続々と増え続けるナキウサギの大群。どれもがアパートを目指して走り続け、驚くべきスピードで接近している。

 一匹だけで見れば可愛いのだが、この数ではじゅうぶんな脅威だ。ネズミにも似ているので、「ハーメルンの笛吹き男」のような不吉なイメージが思い浮かんでしまう。


「あれ、見た感じハムの拡大版やろ。となるとハムの出番や。時空能力スペースタイマーとやらで、ぎゅーっとまとめてぽいっと投げれんか?」


「確かに似てるけど、ハムスターじゃなくてナキウサギですっ! 達月くん、この前のおさらいするって言ったじゃないですかっ」


「いや、だって数が……正直、こんだけぎょうさんやと気持ち悪いんや!」


 さらに大群の後ろから、別の種族が現れた。

 道路上のナキウサギたちを、無慈悲にも踏みつぶしながら突進してくる巨体。そのトップスピードは時速六十キロメートルを超える。


 蒼仁あおとが思わず声を上げた。


「デカいモップが来た!」


 地面に届くほどの、長く豊かな黒褐色の直毛。六百キロ級の巨体。

 マンモスのいた時代から生息していたといわれる、古き時代の山の神をも想起させる神秘的な風貌。三頭の、ジャコウウシだ。


「ネズミはモップが片づけとるやんか。あいつら、一緒に襲来しといて協力する知恵はないんか?」


「達月さん、外へ出よう。ここにいたらアパート丸ごと壊されそうだし、二人の力は外じゃないと十分発揮できないから」


「そやな。よし、行くで! シェディスさんも!」


「わかったっ!」


 ハムと甲斐かいとパーシャを残し、三人はアパートから外へ飛び出した。



  ◇ ◇ ◇



「『天空』! 『光架』! 精霊たちを在るべきそらへ還せ!」


 空が割れ、白い光が雪の結晶となって辺り一面を舞い始める。

 まぶしい光が差し込み、辺り一面を暖かく照らし始める。


 蒼仁の右手に白銀の棒、左手に赤い光球。

 左右からシェディスと達月が走り抜け、蒼仁からそれぞれの「力」を受け取った勢いのままに前へ出た。


 シェディスの氷結棒アイスロッドが、激しい回転で三人の前に氷のシールドを発生させる。その後ろで、達月の光球が炎を上げながら空へと放たれた。


「これでしまいや!」


 直後にジャコウウシが氷結棒アイスロッドに激突!

 シェディスは踏ん張りながらも巧みに重心をずらし、突進の加速度をひらりと別方向へ受け流した。


 空に昇った太陽光の力「光架」が、辺り一面に降り注ぐ。

 アパートに向かって勢いよく進んでいたナキウサギの大群と、計三頭のジャコウウシの動きが止まった。正確に言うと、ナキウサギの方は勢いが止まらずあちこちで追突を起こし始めた。記憶の操作により、蒼仁たちに襲いかかる理由を失くしたのだ。


 これでみんな、クーガーのように空へ還ってくれるだろう。

 やはり達月の力はすごい。蒼仁は、この先に控えているカナダでの戦いに向けて手ごたえを感じていた。達月もまた、小さな笑みを浮かべながらすがすがしい達成感を味わっていた。


 ――が、ただひとり。シェディスだけは、ロッドの構えを解いていない。


「アオト。まだ終わってない」


「え……」


 シェディスの言うとおりだった。いったん正気に戻ったように見えた動物たちは、黒い粒子へ姿を変えたかと思うと、互いにのだ。

 粒子と粒子が溶け合い、それまでとは違う形を作り始める。その形は、もはや何の生物なのかもわからない、魔物といってもいい奇怪な様相をなしていた。


「が、合体したっ……!」



  ◇ ◇ ◇



 達成感をいとも簡単にくじかれた達月だが、シェディスの姿を見て気持ちを立て直した。


「ダメなら何度でもやり直したる。行けえッ! ワイの能力フルパワーや!」


 二球目が天高く舞い上がる。

 実のところ、どうすれば自身の能力をフルパワーにできるのか達月にはまったくわからない。ずっと、知らない間に勝手に稼働していた能力だからだ。それでも気持ちだけはフルパワーで、思いを込めて勢いよく投げ上げた。


 ナキウサギとジャコウウシ――だった、魔物たちの動きが止まる。

 が、また同じことが起こった。正気に戻った霊は、また新たな形に作り替えられ、再び殺意を植えつけられる。


 しかも、空からも続々と新たな霊が降りてくるのだ。

 このままでは、彼らの空間が異形の霊たちに蹂躙じゅうりんされてしまうのも時間の問題だ。


「蒼仁! 同時に何個も出すことはできんか?」


 クーガー出現の際、達月自身が何個も「爆弾」を出現させたことがあるが、今はさらに数が必要かもしれない。蒼仁は達月の意図を理解し、即座に答えた。


「同時じゃないけど、シェディスの棒を三回連続で出したことはある。やってみる!」


 体への負担が未知数だが、やってみないことには何もわからない。

 こうしてる間にも、シェディスが棒一本で猛攻を防ぎ続けている。自分の身長ほども肩高けんこう(地面から肩までの高さ)があるジャコウウシと、足元を飛び回る無数のナキウサギ、さらに正体不明の異形の群れが相手では、戦いづらいなんてものじゃないだろう。ジャコウウシや異形を警戒する間にナキウサギが次々に脚へ飛びかかり、あるいは踏みつけそうになって、転ばないようバランスをとるのに精一杯だ。


 ついにジャコウウシの突進を肩に受けたシェディスが、地面に倒れ込んだ。


「シェディスさん!」


 達月がすかさず助け起こそうとするのを、シェディスは片手で制し、棒を支えにして立ち上がった。

 目の前のジャコウウシを鋭く見据えながらも、その意識はまったく違う方を向いている。


「来た。あいつだ!」


 蒼仁は出したばかりの光球を達月へ渡し、首を巡らせてシェディスの意識の方向を探した。


 それは瞬時に現れた。

 霊たちとは違う黒い何かが、疾風のごとき速度で一気に距離を詰めてくる。


 その足が周囲の建物の壁を蹴り、驚くべき高さで跳躍したかと思うと、迷わずシェディスの前のジャコウウシへと飛びかかった。


 振り払おうと暴れるジャコウウシ。体当たりを食らう寸前、黒の肢体が標的から離れ、十分な距離を取って軽やかに地に足を着けた。


 蒼仁も、達月も。おそらくはアパートの中の仲間たちも。

 みないっせいに、その姿に驚くと同時に見入っている。


 何者にも動じない、威風堂々と立つ一陣の黒き風。


「ウィンズレイ……!」


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