SIGN16 狼王の真意

 距離を取って着地した後も、ウィンズレイは気を緩めない。鋭くつり上がった金の瞳が、次から次へと休みなく押し寄せる動物霊たちの動きをとらえている。


 不意に一声、高く鳴いた。

 短い遠吠え。誰に向けたものか。


「わかった!」


 応えたのはシェディス。彼女は共に戦う蒼仁あおと達月たつきに向かってすぐに声を上げた。


「あいつから伝達! 私たちはそのままのやり方で戦え、だって。合体? みたいなのは、自分が食い止める、だそうだ」


「食い止めるって、どうやって?」


「そもそもあいつはなんなんや!」


 ウィンズレイについてはアパートの部屋でさらっと話したばかりだが、あまりに突然すぎて、達月が混乱するのも無理はない。


「達月さん、あれが『ウィンズレイ』。シェディスの……」


「カナダで一緒に生きた、私の『大切なもの』だ」


「兄」や「家族」といった言葉は、すぐに出てこなかったらしい。

 達月がわかりやすくショックを受けているが、気にしてるヒマは誰にもない。


 こうしてる間にも、ウィンズレイはジャコウウシに再度飛びかかり、方向を変えさせてシェディスたちへの激突を防いでいる。


 その姿に、蒼仁は曇りなき信義を感じとった。


「信じよう、あの狼を」


 シェディスは猛然と。達月も気を取り直して。再度「天空てんくう」と「光架こうか」の力をふるう。


 氷結棒アイスロッドが緩急自在に演舞する。動きに合わせて、氷の粒が光の軌跡を走らせていく。


 粒に反射するは太陽の光。空を翔け昇った小さな天体が、空間全域に恵みの閃光を届かせる。


 押し寄せる黒い波が、数えきれないほどの衝突をともないながら動きを止めた。

 戦意を失くした動物霊たちが、闇色の粒子に変移し、互いに混ざり合って――


 このとき、獣が吠えた。


 ジャコウウシの肩から飛び降りた黒銀の狼が、激しい雪煙とともに疾走を開始。

 ウィンズレイの荒ぶる動態が、呼吸が、咆哮ほうこうが。すべてがこの戦場に、切り裂くような鋭い風を呼び起こした。


「風が……!」


 風が、すべてをぎ払う。

 ナキネズミも、ジャコウウシも、その他諸々も。黒い霧へと変化した動物霊たちを、新たな変移の間も与えずに吹き飛ばす。

 空から新たに生まれ出る霊さえも、地上に姿を現す間もなく風の刃が切り裂いていく。


 蒼仁は驚嘆した。

 この戦い方は、まるで――


「まさか……あれは、『刃風はかぜ』の……!?」



  ◇ ◇ ◇



 やがて、空間のすべての霊が塵芥ちりあくたのように風に消え、いつしか天空の「闇のオーロラ」も消え失せて。


 場に、静寂が戻っていた。


「蒼仁くん」


 ハムの声で、やっと我に返る。

 視線は、まだそこにいる狼に釘付けのまま。


 ウィンズレイは、先ほどまでの激動が嘘のように、静かにそこにいた。

 言葉はなくとも、まとう空気が、金の瞳が多くのことを語りかけているような気がする。


 ウィンズレイは、とてとてと走り寄って来たハムの前へ静かに歩み寄り、こうべを垂れた。

 鼻先が、小さなハムの眼前へ差し出される。


 しばしの沈黙。

 なぜか、今は声をかけてはいけない気がする。


 やがて、用は済んだとでも言うように、黒銀の毛並みが彼ら全員に背を向けた。

 その背に、消えゆく「天空」と「光架」の光の残像を反射させながら。



  ◇ ◇ ◇



「さっき、ハムに何か言ってたんだよね」


 しばらくほけっと見送った後で、ようやく蒼仁が声を発した。


「何て言ってたの?」


「えーと、少し長くなるので、一晩お時間をいただきたいのですが」


「え、なんで?」


「いわゆる『狼言語』なので、まず人間の皆さんに通じるように翻訳を……さらに、僕の解説を織り交ぜた『超訳』にしてお届けします。さらに、臨場感あふれる効果映像と壮大なる音楽をつけて……あ、ちゃんと二時間以内には収まるようにしま」


「映像と音楽はいらないと思う人ー」


 ハム以外の全員が手を上げた。


「というわけで、『超訳』だけ発注する。今すぐさっさと話して」


「発注ぅ……。わかりましたぁ。とりあえず達月くんの部屋に戻りましょうか」


 オーロラのない、澄み渡った青空の下。彼らは達月のアパートへと引き返した。

 再びローテーブルを五人が囲み、一匹がテーブル上に座って「超訳」を始めた。


「こほん。えーと、『拙者、ウィンズレイと呼ばれし狼にござる』……」


「なぜさむらい」と、甲斐かいのツッコミ。


「なんとなく、イメージかなって思いまして」


「まさか最後までその口調で話すつもりやないやろな」


「確かに渋いやつだとは思うけど、色々と果てしなく台無しだから。せめて美仁よしひとみたいな言い方にして」


「美仁くん語ですね。発注うけたまわりましたぁ」


 ハムはこほんと咳払いをした。


「彼は言いました。『今、自分が知ってることと、考えてることを伝える。他の人間たちにも伝えておいてほしい』と。

 『狼言語』と言いましたが、彼の思考は極めて人間的というか論理的です。彼はおそらく、大精霊の力を授かった霊狼ヴァルズのうちの一頭でしょう。本体はカナダにありながら、こうして『闇のオーロラ』を通じて日本へ出現することができるんだそうです」


 やはり、「刃風」の霊狼ヴァルズなのか。

 そう思いながら、蒼仁は黙って続きを待った。


「彼が言うには、『太陽光消失サンライト・ロスト』が始まったおおもとの原因は、やはり失踪した彼の父親――前狼王なんだそうです」


 前狼王。ウィンズレイと、シェディスの父親だ。


「たまに、大精霊の加護がなくとも生まれつき、神性を帯びたというか、人智を越えた獣というのが誕生します。前狼王がまさにそうでした。純粋に狼として生きられれば、彼は普通に生をまっとうできるはずだった。が、何かがきっかけで、彼は人間に近づきすぎてしまったのでしょう。本来獣にはないはずの、人間的な感情を取り込んでしまったのです」


 達月が息をのんだ。まさに、彼の「前世」が体験したことだからだ。


「そう、達月くんもそれで暴走しましたよね」


 ハムはくぴっと日本茶を一口飲んで、息を大きく吐いてから話を続けた。


「人間を他の動物と区別するものは、『知識』と『感情』だと言われています。もしも、誇り高い野生動物がそれを吸収してしまったら? 間違いなく、人間に対する『憎悪』が生まれ出ることでしょう。

 今でこそ野生の狼を保護しよう、増やそうだなんて活動が進められてますが、今まで狼を始めとする野生動物たちに、長きにわたって人間たちがどんな仕打ちを行ってきたか――そして、この地球をどうしようとしているのか、知ってしまったら。

 生態系の壊滅。人間の都合で、ある種は絶滅し、ある種は異常増殖。そして、今まさに地球をおびやかしている『気候危機』。大熱波に大寒波、ハリケーン豪雨に大干ばつ。すべて、人間たちがやってきたことです」


 蒼仁が今まで勉強してきた地球上の問題が、まさにハムの舌の上で繰り広げられている。


「じゃあ、狼王は人間を滅ぼそうとしてる、ってこと……?」


「ちょっと、違うと思います。蒼仁くん、ここにいたるまで、いちばん被害に遭ってきたのは誰だと思いますか? 人間ですか?」


「…………」


 蒼仁は、シェディスを見た。


 確かに、自分は父親を亡くし、被害に遭ったのだと言える。

 でも、一番の被害を受けてきたのは、シェディスのような――


「違う……。やっぱり、動物たちだ」


「そうです。狼王は、地上の野生動物を滅ぼすつもりなんです。まずは、かつて自分がべていた地帯の狼たちを。そこからどんどん手を広げるつもりかもしれません。王にとって、地球はもはや生きるに値しない場所になってしまったのかもしれませんね」


 パーシャがため息をついた。


「結果的には、人間たちも滅びに向かうってことよね。動物たちなくして人間が生存できるはずないもの」


「動物たちは、地上を離れても、オーロラの向こうの『煌界リュース』で暮らすことができます。でも、今は前狼王が『煌界リュース』を仕切っています。人間たちは入れてもらえないでしょう」


「それで、ウィンズレイあいつは何をしようとしてるんだ?」


 シェディスの問いに、ハムは実直な目で向き合った。


「ウィンズレイはずっと、『煌界リュース』にいる前狼王の様子をうかがっています。その一方で、シェディスちゃんを助けようとしています。彼にとって、地球とか人間とか他の動物よりも、いちばん大切なのはシェディスちゃんですから。『これからもあいつをよろしく頼む』って、僕、お願いされちゃいました」


「根気強く調査を続けるとことか、妹とか。やっぱり、美仁を狼にしたみたいなやつだな……」


 甲斐の横で、またも達月がわかりやすくショックを受けているが、全員がひとまずスルーした。


 シェディスは、物憂げな表情でずっと黙り込んでいた。

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