SIGN14 アパートでお好み焼き

 じゅわじゅわと、いい音が立ち上がる。

 今日の達月たつきは、油とソースとマヨネーズ、その他バリエーション豊かな具材が混ざったにおいに包まれていた。


「食いたいもんどんどん出したるでー! 豚玉に牛玉、ネギ玉に海鮮玉。もちチーズにキムチ、明太コーンに野菜もあるでー。広島風も焼いちゃるから、はよリクエストせー!」


 あまりの手際のよさに、手伝うつもりでいた他のメンバーの動きはずっと止まったままだ。みな一様に、ホットプレートの上に次々に形作られていくお好み焼きに視覚・嗅覚・聴覚のすべてを魅了されている。


「あ、シェディスさんはこっち。ちゃんと別に用意しといたで。ワイの特製スペシャルブレンドや!」


「わーい、ありがとー!」


 その「お取り置き」に、単なる好意以上の浮かれた感情がふんだんにトッピングされていることに、シェディス以外の誰もが気づいている。気づいても、あえて言わない。それよりもまず、自分の分の確保だ。


「じゃあ遠慮なく、みんな好きなの頼んじゃおう。俺、豚玉にチーズましましで!」


「わたしはトマトとコーンがいいな。焼きそば入りの、広島風というのも食べてみたい」


「あ、俺はその、海老とイカ食べたい!」


「達月くん、僕にもスペシャルな一枚をお願いします~! 牛すじに豚、明太キムチもいけますよ!」


「はふはふ、おいし~!」


 順番に、甲斐かい、パーシャ、蒼仁あおと、ハム、シェディス。

 四人と一匹が、達月のひとり暮らしのアパートに集結した。ホットプレートとメンバーそれぞれが発する熱気が、さながら異空間のように湯気と煙で室内を満たしている。


 達月の動きは手順も手つきも抜かりなく、仮にも料理教室もどきを開催できるだけの腕は十分に持ち合わせているようだ。

 それぞれのニーズを先読みし、かいがいしく素早く立ち回る。言われる前に飲み物を注ぎ、ソースを回し、冷蔵庫から食材を持ってくる。


 山芋と卵たっぷりのふわふわの生地に、バランスよく乗せられた具材。絶妙な焼き加減の上に香り高いソースをまとい、青のりとかつお節が楽しげに踊る。

 料理の腕と行き届いたサービスに感服した蒼仁が、このアパートを「達月食堂」と命名した。



  ◇ ◇ ◇



 みんながこれ以上は食べられないというくらい食べ、手分けして洗い物や片づけを済ませた頃。


「えー、それでは『チーム・蒼仁』定例会議を始めたいと思います」


 なぜかハムが仕切っている。


「そのチーム名も、定例会議ってのも初めて聞いたんだけど。なんで俺の名前?」


「『チーム・ハム』よりはいいでしょ?」


「うん(即答)」


「蒼仁くんのタブレットを拝借して、と。それではみなさん、まずはこの映像をご覧くだひゃがッ!!」


 蒼仁がタブレットをハムごとローテーブルに押しつけた。あわや『ハムハム物語』の等倍速フル上映は阻止された。

 タブレットの下でもがもが言ってるハムはほっといて、蒼仁はきちっと正座しつつ達月に向き直った。


「あの、達月、さん。今日はこの前のこと、ちゃんと説明しなきゃと思って」


「あ、ああ……」


 達月もほんのりと困惑しながら姿勢を正す。

 初々しい二人の改まった雰囲気に、「まるでお見合いみたいですねぇ」と、タブレット下の小動物が余計な一言を差し込んでいる。


「すべては、俺が去年カナダで遭遇した、最初の『太陽光消失サンライト・ロスト』が発端なんです」


 これまでにいたる諸々の経緯を、蒼仁はできる限り、簡潔にわかりやすく説明した。抜かりなく、事前に下書きまで済ませておいた内容だ。受験生・蒼仁の作文力が問われる場面だ。


「達月さんは人間だけど、『光架こうか』の霊狼ヴァルズの力を継いでいると考えて間違いないと思います。ハムが言う『双焔そうえん』と『刃風はかぜ』の霊狼ヴァルズを見つけて、『闇のオーロラ』に対抗するために、俺たちはカナダへ行かなくちゃなりません。危険なのはわかっています。でも、俺たちには達月さんの力が必要なんです。同行してもらえませんか」


「…………」


 達月は眉根を寄せた神妙な顔つきで、蒼仁を、次いで甲斐とハムを見た。甲斐がわずかに重心を前へ移し、言葉を続ける。


「達月さんの『記憶操作能力』が、動物霊に有効だった。つまり達月さんがいれば、蒼仁くんもシェディスもその分戦闘を回避できる。それどころか、『闇のオーロラ』そのものを変えることができるかもしれない」


「『闇のオーロラ』って、あの真っ黒な空のことやな。ワイがどうやってあれを変えるんや」


 ここでパーシャが言葉を継いだ。


「最初の霊狼ヴァルズヘラジカムースに関しては、わたしたちは『出現の瞬間』を見ていない。でも、今回のクーガーは見えたわ。あのオーロラが地上まで伸びて、黒い粒子がクーガーの姿に変わる瞬間を、わたしは確かに見た。つまり、『闇のオーロラ』そのものが無数の動物霊の集合体。いったい何体いるのかしらね」


 うげ、と心底嫌そうなうめきが達月の口から洩れた。空一面を覆う、無数の動物霊だったとは。想像するだけで嫌すぎる。


「まさかあれ全部、記憶操作しろとか言うんか?」


「そんな無茶はしないし、させないよ。カナダ行きにしても、ちゃんと全員が無事に帰ってくることが前提。世界を守るために犠牲になれ、なんて言うつもりは絶対ないから」


 甲斐の力強い言葉に、ハムがとてとてと寄っていく。


「甲斐くんは日本に残っててくださいね。電波が怪しいですから、日本でサポートしてくれる仲間も必要です。それにきみ、もうすぐ教育実習でしょ」


 そうだった、と甲斐の表情が崩れた。


美仁よしひとは大学行かずにずっと現地入りしてるのに……」


「適材適所です。蒼仁くんの家族や美仁くんの家族をフォローできるのは、きみだけなんです。それから、パーシャさんもお留守番ですよ」


「…………」


 蒼仁はパーシャを見た。ついさっきまでの美味しそうな顔や知的な顔とも違う、落胆をにじませて耐えているような顔だった。


「……わかったわ」


 その一言に、どれだけの想いを込めたのだろう。同行できないことを悔しいと感じてくれる、それだけで蒼仁は何か温かなものを受け取ったような気がした。


「パーシャ、その……色々と、ありがとう。無事に全部終わったら、俺と、一緒に……」


 俺と、一緒に……?

 複数の目が、その先の言葉を待ち受ける。


「たくさん勉強しよう、な」


「ガクーーッ!!」


 ローテーブル上を腹ばいスライディングするハムと、脱力しつつ、ほっとしたような表情の甲斐。

 パーシャは、笑っていた。ほんのちょっぴり、切なさを溶かしたような笑顔で。



  ◇ ◇ ◇



 達月はシェディスを見た。

 彼女はずっと、黙ってにこにこと笑っている。

 戦闘時の凛々りりしい姿とはまるで違う。敵がいない今、単純にみんなが一緒にいることが嬉しいのだろう。


 今目の前にない脅威について、難しい顔で議論するのは、人間の仕事だ。

 狼犬ならではの単純明快さ。達月はますます好感を持った。


「シェディスさんも、カナダへ行くんやろ」


「うん。私が、生まれてからずっと暮らしてた所だから。早く帰りたいんだ」


「つまり、故郷やな。なんかええな。ワイも一緒に、ついてってええか?」


 みんなの視線がいっせいに二人に注がれた。


「達月くぅん……今の言い方、一緒に戦ってくれるのと、シェディスちゃんにくっついていきたいだけなのとどっちなんですかぁ?」


「ハム。この人は、ワイのことをずっと守ってくれる言うとったんや。だからワイも、その……守れたらいいな、なんてな……」


「きゃー! あのとき限りの言葉を一生ものの言葉に勘違いしちゃったよこの童t」


 甲斐がパコンと吹っ飛ばした。


「子供たちの前で不適切な発言は慎むようにー」


「それに、ちゃうわ! 記憶ないけど!」


「記憶ないなら違くないでしょー!」


 蒼仁とパーシャは学校の宿題の話を始めた。


「わーった、カナダには行くわ。蒼仁くんの頼みやからな。ただ、その前にひとつ、日本で済ませときたいことがあるんやわ」


「『ヤンキー料理フェスティバル』の延期告知でしたら、僕がちゃんと」


「ワイにも、故郷ちゅうもんがあるんや。海沿いの、定食屋やけど」


 ハムと甲斐が、はっきりと息をのんだ。


「記憶、戻ったんですか……」


「たぶん、蒼仁くんのおかげやな。全部やないけど、『北橋達月』の人生の記憶まで整理できたんやと思う」


「じゃあ、そこに、達月さんの家族が?」


 ハムと甲斐の心境は複雑だ。

 達月が家族を取り戻せるとしたら、こんなに喜ばしいことはないはず、なのに。

 こんなときに彼を、カナダへ連れて行っていいのだろうか。


 彼らの一瞬の懸念けねんを、達月は一言で吹き飛ばした。


「家族には会わんよ」


「え!?」


「ちょっと遠目に見に行くだけや」


「え……なんでですか?」


「家族は、ワイのことを覚えとらんのや。無理ないわ、ワイも忘れとったさかい。ワイは、例の力で、家族も自分もまるっと記憶を消しとったんやからな」


「なぜ……」


「たぶん、そうしたくなるようなことがあったっちゅうことや。全部はっきり思い出したわけやないから、今はこれ以上は勘弁な。ただ、日本を離れる前に、ちらっと見とこうと思うてな。念のためや」


 達月は家族以外も、今までお世話になった人たちの記憶からも自分の存在を消していた。

 達月本人がそう望んだのか、不慮の事故なのか、それとも彼の「前世」が絡んでいるのか――まだ、はっきりしていない。


 本当は、もっと思い出しているのかもしれないが。今はそれ以上、無理に聞こうとはしない方がよさそうだ。

 達月本人の決断を、尊重しよう。「チーム・蒼仁」のメンバーたちは、それぞれの心にそう誓ったのだった。



 ふと、シェディスが表情を変えた。素早く窓際に動き、外を見る。


「――来たよ」


 今度は達月のアパート前に現れた、黒い粒子からなる動物霊たち。それも複数種だ。


「ちょうどええ。この前のおさらいと行きますか」


 達月が不敵に笑みを浮かべた。

 シェディスと同じく、戦士の顔になっていた。

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