SIGN4 ここが蒼仁の帰る家

 目が覚めると、自分の部屋のベッドの上だった。


「あれ? 夢……?」


 ちょっと待て。目覚まし時計をつかむ。

 もう夜の九時を過ぎている。完全に、塾へ行きそびれた……。


「やっぱ疲れてんのかな、俺……」


 せめて今日の分の課題を済ませようと、机へ向かう。リュックから取り出したノートをめくる。


 夢にしては、あまりにリアル。でも何もかもがめちゃくちゃ過ぎて、やっぱり夢だったんだろう。


 金髪女子に因縁いんねんつけられた(?)と思ったら、学校でいきなり狼に襲われるとか、嵐が吹き荒れるとか。

 おまけに助けに来てくれた人は、自分がカナダで助けた仔犬が人間に変身した姿で。

 自分には変な力が宿って、武器の生成までしてしまった。ゲームの影響か。


 蒼仁には、カナダでの「太陽光消失サンライト・ロスト」の経験がある。

 きっと今までの経験や思考、メディアから得た知識などが、ごちゃ混ぜで夢にまで押し寄せてしまったんだろう。きっとそうだ。


 ノートを見ると、書いてあるのは自分の字ではなかった。間違えて誰かのノートを持って帰ってしまったのか。


「誰のだろ、えーと……え……えぇ⁇」


『アオトへ

 今日あったことをここへ書いておきます。

 たくさんのことがありすぎて、一日では覚えきれないと思います。このノートを読んで復習してください』


 夢じゃなかった。そこには前置きのとおり、今日の一連のできごとがつづられていた。

 漢字が少なめで、ひらがなさえ書き慣れていないように見えるが、一文一文丁寧に書かれているのがわかる。パーシャだ。


 最後にまた、メッセージが添えられていた。


『アオトは大変な目にあったと思います。これからもきっと、大変な目にあうと思います。でも、アオトは一人じゃないので、思ったことをみんなに伝えてください。

 ハムとシェディスは、信じてだいじょうぶです。

 さいあくなときに、わたしを守ってくれたこと、うれしかったです。ありがとうございました。

 パーシャ・アルフェロヴァ』


「…………」


 ツンツンしてるだけじゃなかった。

 面と向かって言えないことが、ここに書かれてるような気がする。


 考えてみると、出逢いがしらにいきなり「今日死ぬ」なんて言ってきたのは。

 今日のいつなのかわからないから、一刻も早く蒼仁に伝えたかっただけなのかもしれない。先生やクラスメイトたちへの第一印象が悪くなるのも構わずに。


 昇降口まで蒼仁の後を一生懸命ついてきたのも、心配してくれたから、かもしれない。


 ――あの子はきっと、「悪いやつ」じゃない。

 ノートに視線を落としたまま、蒼仁は押し寄せる思考の波をそう締めくくった。



  ◇ ◇ ◇



 部屋を出ると、一階からにぎやかな話し声が聞こえてくる。こんな時間に来客だろうか。


「アオト! わーい起きた! もう大丈夫? もう痛くない?」


 満面の笑みで、「白い人」ことシェディスがそこにいた。

 雲模様のモコモコパジャマを着ている。


 こっちはシェディスが無傷らしいことにビックリだ。


 血まみれだった激闘の名残りは、かけらほども見当たらない。

 お風呂を済ませたのか、さらさらの白い髪もつやつやした肌も、全身がきれいさっぱり。ほっそりとした肢体したいを暖かそうなモコモコに包まれて、ニコニコとご満悦なご様子。


「蒼仁、気分はどう? 痛いとこない?」


 母親が心配そうに、ひたいに手を当ててくる。


「僕は大丈夫だけど。えーと、なんで、この人」


「シェディスさんは、ここまで蒼仁を運んできてくれたのよ」


「このお姉ちゃん、やせてるのにすっごい力持ちなんだよ! 茜里あかりのことも頭の上でぐるんぐるん振り回しちゃうの! 面白かったー!」


 小学二年生の妹まで、もうすっかりなついてる。

 シェディス、妹は氷の棒アイスロッドじゃない。


「カナダから来たんだって! カナダはムースが美味しくって、大好きなんだって! 茜里もムース大好きー!」


 茜里、この人の言う「ムース」とは卵白でふわふわにしたチョコやイチゴのデザートじゃなくて、カナダ生息の世界最大の鹿・ヘラジカのことだと思うぞ。


 心中で色々ツッコミながらも、表面だけは穏やかに「お世話になりました……」と礼儀正しく接する蒼仁だった。



  ◇ ◇ ◇



 シェディスが母親のパジャマを着ているということは、母親はシェディスをこの家に泊める気満々だということだ。


 茜里が一緒に寝るとか蒼仁の部屋で寝るとか、お決まりの問答がしばらく続いたが、結局茜里とシェディスは眠気に負けてリビングのソファーで寝入ってしまい、母親に毛布をかけてもらった。


 蒼仁が自分の部屋へ行こうとすると、母親が静かに声をかけた。


「読んだよ、パーシャさんのノート」


「えっ……」


 何と返せばいいのか。

 そう言えばあのノートは、母親が毎日目を通す「新聞要約ノート」だった。


「今日、学校の校庭で異常なことは何も起きていない」


 低く、静かな母の声。

 心臓の動きが速くなる。


 あれほどの経験を、母親に否定されたら。

 この先一生、「なかったこと」として封印しなければならないとしたら。

 この家に、蒼仁の居場所は――


「でも、お母さんは信じる」


 蒼仁は母を見た。

 言葉の意味を理解するより先に、蒼仁の体が細い両腕にぎゅっと包まれた。


「蒼仁、大変だったね。頑張ったね。

 なんで蒼仁ばかりがこんな目に遭うのか、お母さんにはわからない。お母さんには特別な力なんてないけど、できることなら代わってあげたい。

 蒼仁はまだ子供なんだから、こんな大変なことに立ち向かう訓練だって受けてないんだから。また何かあったとしても、逃げたって誰も責めないからね。

 去年も、今日も、無事に帰ってきてくれてありがとう。お母さんは、それが何より一番嬉しい」


 体を離した母が、まっすぐに蒼仁の目を見つめてくれているのがわかった。声で、少し泣いているんだということも。


 蒼仁は、その目を見つめ返すことができず、ただ下を向いていた。

「……うん」と小さく応えただけで、背を向けて自分の部屋に入り、ドアを閉めてしまった。


 今日、わかったことがある。

 世界中の誰も、自分を信じてくれなかったとしても。

 母が信じてくれれば、この先もきっと、自分を否定せずに生きていける。



  ◇ ◇ ◇



 部屋へ戻ると、机の上に置いてある閉じたノートPCから、ピコピコとアラームが鳴っている。


 今日はまだ電源を入れてないし、アラーム設定した覚えもない。

 異常じゃなきゃいいけど、と思いながらモニターを開くと、画面いっぱいに眼鏡をかけたハムスターのどアップが現れた。


『蒼仁くぅん! やっと繋がりましたぁー! これでいつでもきみのそばにいら』


 バタンとモニターを閉じた。


『ああっ、閉じないでぇ〜! シェディスちゃんのこと色々教えてあげようと思ったのにぃ~!』


「今日はもう異常事態はキャパオーバーなんだよ! 計算アプリやりたいんだから早く消えて!」


『くすん、わかりました……。じゃあ、消えるために必要な操作を教えます……まずモニター出して』


 蒼仁が渋々しぶしぶモニターを開くと、壮大な音楽とともに『ハムハム物語』という映画が始まった。


『ま待って消さないでッ! まずは雄大な自然の景色でも見て心落ち着けてくださいぃ〜!』


 そこに現れた景色は――まぎれもなく、カナダだった。


 広大なブルーグリーンのユーコン川。どこまでも白く連なる、冬期の大氷河山脈。


 ――そして、緑や赤や青にきらめく、巨大な夜のカーテン。


 それは、蒼仁がまだじかには見たことがない、本物の極北のオーロラアウローラ・ボレアリスだ。


 地球で見るオーロラの色は、地球だからこそ、この色に光り輝く。

 酸素分子のレッドとグリーン。窒素ちっそ分子のブルーとピンク。

 この色こそ、地球に生き物たちが生きていけるというあかし


 ――決して、漆黒ではなく。

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