SIGN3 煌く氷結の召喚術!

「きれい……」


 パーシャがそうつぶやくほど、美しい一本の「ロッド」だった。


 外側には光の粒子を振りまきながら、内側に命の存在さえ感じさせる、青白いきらめきが躍動する氷結柱。


 これが、パーシャが蒼仁あおとに「雪と氷の中から取り出す」ようにと告げた、蒼仁が召喚した「力」なのか。


 感慨かんがいひたる間もなく、蒼仁はロッドをつかんだ。

 この棒の主はもう決まっている。

 その一連の生涯を蒼仁は目撃し、光と氷を呼び寄せてひとつの形にしたのだ。


「『天空』の狼! ひかりの空への道を示せ!」


 蒼仁の手から、棒が放たれた。

 力強く曲線を描きながら、狼たちの群れの中へと飛んでいく。

 狼たちは四散して避けたが、群れの中からひとつの手が伸びて、パシッと力強くつかみ取った。


 とっくに力尽きていると思われた、細い手。

 白いコートは嚙みちぎられてボロきれのように見えるのに、全身が赤黒く痛々しい色をしているのに、細い両足はふらつきもせずにすっくと立ち上がった。

 白い髪がさらりと風を切る。


「元気出たー! ありがとー!」


 叫びながら、まるでずっと前から体の一部として扱っていたかのように、「白き守護者」は氷結棒アイスロッドあやつり始めた。



  ◇ ◇ ◇



 まるで体に吸い寄せられるように、ロッドが白き若者の周囲を舞う。


 よく見ると、本当に「吸い寄せられて」いた。

 人間の棒術のように、腕と手指を駆使して回転させているわけではない。軽い腕の所作しょさだけで、棒は落ちることも離れることもなく、若者のしなやかな体に沿うように美しい舞を見せている。ときに軽やかに、ときにダイナミックに。


「うりゃッ!」


 渾身の一振りで、二頭の狼がきれいに吹っ飛んだ。若者の口角がニッと上がる。

「この武器は同時に多数を撃退できる」と、たった今理解したかのように。


「来いッ!」


 と言いながら、相手を待たずに自分から突っ込む。

 回転のスピードを上げた武器と、白のショートブーツに包まれた軽快な両足のステップが、狼たちに退避たいひすきを許さない。


 光の粒を散らしながら、もはや目で追えないほどの速さでうなる、一筋の氷柱。

 敵陣の中を鮮やかに飛ぶように駆け抜ける、一陣の白き風。


 あまりに美しいと同時にあまりに頑強がんきょうな光景に、蒼仁もパーシャも、恐怖や雪嵐の激しさも忘れて口を開けたまま見入ってしまった。


 攻め立てられていた者が、攻める側へ。

 軽快かつ容赦なく、氷の一閃いっせんを叩きつける。


 強烈な一撃を叩き込まれた個体が、吹っ飛ぶと同時に黒いもやとなって霧消むしょうした。

 一体。さらに一体。


 気がつくと、十頭以上いたはずの狼たちが、すべて消え失せていた。


 熾烈しれつだった雪嵐も、最後の雪をパアッとき散らした後で、きらきらと光の粒を残しながら空気に溶けて、消えた。


 光の残像の中、白い風をまとった若者の動きが止まった。ガツッと、力強くロッドが地に突き立てられる。


 役目を終えたことを心得たように、その棒もまた、光の粒となって消えた。


「終わったよー! 大丈夫?」


 これ以上ないくらい、爽やかな笑顔で。

 彼(もしくは彼女)は、昇降口の下駄箱のそばで突っ立っている蒼仁と座り込んだパーシャに向かって、ニッと笑いながら振り返った。



  ◇ ◇ ◇



 終わった。終わった。終わった。

 その一言が、蒼仁の中でぐるぐると回る。


 もう、獣の牙に裂かれることも、氷に叩きつけられることも、嵐に吹き飛ぶこともないのだ。


「あ、あの、あなた、は」


 ついさっきまでかろうじて回っていた舌が、今になってうまく動かない。


「もしかして、あのときの、カナダの」


『はいはーい、とりあえず場所を移りましょうか~』


 聞き慣れない声がした。パーシャでも、「カナダの白い人」でもない。


『よいこのみんなはさっさと下校しないと先生方に注意されちゃいますよ~』


 何を言ってるのだ、この声は。

 下校どころじゃない。この学校で起きた世紀の大事件で、もう周りじゅうが大騒ぎになっているはずだ。


 と思ったら、本当に注意された。


「森見くん、早く帰りなさいー」


 担任だった。

 え!? と辺りを見渡すと、黒いオーロラも氷塊も、嵐に乱された葉っぱの一枚すら見当たらない。

 いつの間にか「白い人」も、パーシャまで消えている。


 校門の外を、近所の人が平然と歩いている。鳥の群れが優雅に空を飛んでいく。下校をうながす音楽まで聞こえてくる。


 ついさっきまでの惨状さんじょうが、なにひとつ「なかったこと」になっている。


「どうしたの?」


「え、あ、あの、なんでもないです! さよなら!」


 落ちていたリュックを拾い、ふらつきそうな足を踏ん張りながら、なんとか校門を抜けて外へ出た。何も考えられない。ほぼ帰巣本能だ。


「見てられないくらいフラフラね。脳が完璧かんぺきにオーバーヒート起こしてるじゃない」


 帰り道の途中にある公園で、パーシャが待っていた。

 もはや抵抗する力もない蒼仁の腕を取り、そのまま公園内へと引き入れる。


『仕方ないですねー、まだ十一歳ですし』


 またあの声だ。


『彼は天空のひかりに触れ、一秒足らずでのこれまでの生涯を読み込みました。他にもいろいろとありすぎましたし。少年が一日に処理できる情報量を、大幅に超えてしまったのでしょう。パーシャさんのように、スパコン並みの演算処理能力で『予知』と『探知』を操るお子様とは違いますから』


「わたしだって、もうそんなにできないわよ。早死にしたくないもん」


 パーシャの相変わらずツンツンした声。誰と話してるんだ?

 と、ぼうっと聞いていたら、急に目の前にもうひとり現れた。


「ねー、大丈夫?」


「わ!!!!」


「白い人」、その人だ!

 まだ全身血まみれのままだ。この人こそ大丈夫か。


「あ、あの」


「ん?」


「名前、なんていうの……?」


 あんなことがあったばかりなのに、なに普通に会話してんだ俺、と思いつつ、会話のとっかかりとしては悪くない気がした。

 パーシャとの出逢いがメタメタだったので、自分の会話スキルに自信を失くしかけていたのだ。


 が、ここでも蒼仁の会話スキルはすべってしまったかもしれない。


「名前? 

 ……んー……

 ……名前って……

 なに?」


 想定を、大ジャンプ一回転で飛び越える回答だった。



  ◇ ◇ ◇



『名前というのはね、みんなそれぞれに与えられた「言葉」。もっとわかりやすく言えば、「音」なんですよ』


 また、「姿なき声」が聞こえてきた。

 気のせいか、足元から聞こえてくる気がする。気のせいだろう。


『きみの小動物ごはんにも、「マーモット」や「ナキウサギ」などの、音による呼び方があると教えたでしょう? 同じように呼ぶなら、この二人は「人間」。さらに、それぞれを区別するための言葉があるんです。

 この子には「蒼仁」、こっちの子には「パーシャ」という言葉があります。みんながその音でその子を呼び、その子を認識します。きみは名前がなくても問題なく生きてきたわけですが、きみを見かけた人間たちが「シェディス」と呼んでいますから、とりあえずそれをきみの名前ってことにしませんか?』


「あー、なるほどー。それでこっち見ながらシェディスシェディス言ってたのか。いいよー別に」


『僕は「ハム」と呼ばれてますので、ぜひハムとお呼びくださいな』


 何やら美味しそうな名前の人がどこかにいるらしいが、相変わらず姿が見えない。

「シェディス」と呼ばれた「白い人」が、急にかがみこんで蒼仁に顔を近づけてきた。


「名前は、『シェディス』っていう音なんだって!」


「あ、はいっ、わかりましたっ!」


 蒼仁はずずずいっと後ろへ下がり、さらに深々とおじぎをした。義務教育のたまものである。


「僕は、あ、蒼仁です! よろしくお願いします! じゃなくて、さっきは、なんだかわからないけどありがとうございました!」


『蒼仁くん、蒼仁くん』


 今度は「声」が名指しで呼んできた。


、ピッチピチの乙女ですよ。まだ一歳になったばかりです! これ、きみにとっては重要でしょ?』


「????」


 横ではパーシャがため息をついている。


「あのね、説明足りなすぎ。シェディスもだけど、まずあなたの説明をすべきじゃない?」


 そう言いながら、彼女はしゃがみ込み、地面に手を伸ばした。

 立ち上がると、蒼仁に向かって手に乗せたものを見せてきた。


 パーシャの手の中には――、一匹の、ハムスターがいた。

 グレーとゴールドが混じった毛色の、ぷっくりとした健康そうなハムスターが。

 なぜか黒ぶち眼鏡をかけてるハムスターが。


 小さな片手で、小さな黒ぶち眼鏡をくいっと上げながら、


「蒼仁くん、自己紹介が遅れました! ハムスターのハムですー。親しみを込めて、お気軽にハムとお呼びください☆」


 ハムスターが、しゃべった。


 今度こそ、蒼仁の脳味噌はキャパオーバーで完全にショートした。

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