第9話 晴海遊善2-5

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 南校舎の四階。中庭を見下ろせるガラス窓から西日が差し込んでいる。文化部の部室が立ち並ぶ一角に美術室が鎮座している。

 遊善が美術室を覗くと、五、六人の生徒がA2サイズのキャンバス前で、ブルータスの石膏像をデッサンしていた。皆真剣な面持ちで取り組んでおり、張り詰めた空気が流れている。

 唯一の男子生徒である團士だんしは他の生徒に比べ、頭一つ分抜けている。そのせいか隣の少女が一際小さく見えた。


「あの美少女が有佐ありさだ」


(色眼鏡がすんごい)


 扉の前で屈む遊善の頭上から将一朗が小声で説明する。團士の隣にいる黒縁眼鏡の少女が将一朗の妹らしい。将一朗とは対照的に華奢きゃしゃな身体つきをしている。


「かわいいっすね」

「だろう?」


 将一朗が鼻高々となる。

 入り口側に背を向ける形でデッサンしているため、彼女のキャンバスは丸見えだった。遠目にも石膏像と瓜二うりふたつに見える。


「妹さん、上手っすね」

「だろう? 昔から絵を描くのが好きなんだ。漫画が好きで、美術部に入ったのも漫画家になるためだと俺はにらんでいる」

「睨んでる、って。直接聞いたわけじゃないんすか?」

「むう……まあ、なあ」


 将一朗が歯切れ悪く続ける。


「あんまり自分のことを語りたがらないからな。無理に訊くことでもないだろう?」

「そういうもんっすか」


 兄弟がいない遊善にはあまりピンとこない話だった。

 遊善が有佐の隣へと注意を向ける。團士は左手に鉛筆を持ち、平生と変わらず淡々とデッサンしている。


「あれ、江原ちゃん、何ていうか……思ったほど、上手くない?」


 團士は休み時間は常に美術書を読んでいる。口ぶりからしても絵を描くことが好きなのは間違いない。しかし、パッと見た限りでは有佐のほうが断然上手だ。

 将一朗が首をひねる。


「俺には違いがよくわからんな。有佐が上手うますぎるせいかもしれん」

「それもあるっすけど。正直、他の部活に入ってたほうが、結果残せるような……」

「確かに江原ほどの身体能力があれば、ちくわぶ大会の優勝はかたくないな」

「おでん選手権ですか?」

「地区大会のことだ」


(ムズいわ)


 團士が左肩を回し、両腕を天高く伸ばす。腕のストレッチと同時に腰を捻り、視線が入り口へと向けられる。

 遊善は咄嗟とっさに将一朗の腕を引き、扉の陰に隠れた。


「うおッ!」

「あ、すみません」


 小声で謝り、遊善が恐る恐る室内を覗き込む。團士は既に入り口へと背を向けていた。

 遊善はホッと胸を撫で下ろした。見つかったところで問題はないが、どうしても愛夏の台詞がフラッシュバックされてしまう。


『何してんの? のぞき?』


 遊善が気を取り直していると、視線の先で有佐が團士のキャンバスを覗き込んでいた。将一朗が身を乗り出して食い入るように中の様子をうかがっている。


「わ、カッコいいですね」


 有佐が頬を赤らめている。窓から西日が差しているだけかもしれない。


「か、かか、カッコいいだとォ……⁉」

「絵の話っすよ! 絵の話!」


 今にも飛び出しそうな将一朗の身体を遊善が取り押さえる。


「モデルがいいのさ。日下部は繊細で綺麗だな。見惚みほれちまう」


 有佐が手櫛てぐしで髪をとかし、上目遣いではにかむ。


「き、ききき、綺麗ッ⁉ 見惚れるゥ⁉ あいつ、有佐をたぶらかしやがってェ!」

「先輩! ここは一旦退きましょう!」


 半ば強引に将一朗を連れ、遊善は階段を降りた。

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