第10話 晴海遊善2-6

 6


「頭を冷やしてくる」


 それだけ言って、将一朗は昇降口から出ていった。

 壁掛け時計は午後六時を指している。


「あと少し」


 遊善は文化部の部室を巡った。吹奏楽部の練習を音楽室前の廊下で聴き、パソコン室でクラスメイトと挨拶を交わしていると、時刻はあっという間に六時半を回った。校内放送で帰宅を促す音声が流れている。

 昇降口で上履きから靴に履き替えていると、遊善は背後から近付いてくる足音に気が付いた。振り返と、目の前には團士の姿があった。口元に微笑をたたえている。


「よ、ブルータス。気分はどうだい?」


 團士が靴を履き替える一方で、遊善は靴を履いて立ち上がった。


「お前もか、って感じ?」

「そいつはカエサルの台詞だな」


 團士が隣に並ぶと、遊善は人懐こい笑みを浮かべた。


「気付いてたなら言ってよ、江原ちゃん」

「なに、晴海たちが楽しそうだったからつい、な」


 正門から出る頃には既に日が沈みかけていた。徐々に辺りが薄暗くなり、他の部活の生徒が自転車で真横を通過してゆく。


日下部くさかべの兄と仲が良かったとはな」

「まあね。武道場で偶然会ってさ。江原ちゃんも妹ちゃんと仲いいんだ」

「いいってほどでもないさ。ただのお隣さんだよ」

「お隣さん、ね」


 海道沿いから海を眺め、遊善は手でひさしをつくった。


「サンセット……海が俺を呼んでいる」

「夏が惜しいのかい?」

「よくわかったね、江原ちゃん」

「朝からそう言っていただろう?」

「確かに」


 遊善がけらけらと笑う。浜辺にはもう人の気配がない。今日という楽しい時間は終わりを迎えたのだ。

 波の音だけが耳に染み入る。遊善は物悲しい気分を払拭するように朗々とした声を響かせる。


「今さらだけど、俺も部活入っときゃ良かったなー、って思ってさ。みんな部活やってると放課後ヒマだし、かと言って休みの日には部員同士で遊び行っちゃうじゃん?」

槙乃まきのがいるじゃないか」

「そりゃとうちゃんは腐れ縁だからね。でも俺、一番入りたかったの剣道部なんだよね。だから、燈ちゃんと一緒にいるとたまに『何で?』って思うんよ。『何で俺は剣道やれないんだろう?』って」


 團士が遊善の横顔を静観する。すると遊善はハッとした様子で手をばたばたと振った。


「あ、ごめんね! しおっぽい話しちゃって!」

「それを言うなら『湿しめっぽい話』だろう?」

「一緒だよ。潮風だって湿っぽいし」

「一理あるな」


 團士が笑い声を漏らす。

 会話の隙間をうように潮風が吹く。軒下のきしたの風鈴が鳴り、道端の風車かざぐるまが回る。


「日下部パイセンがさ、『俺は来年いない』って言ってたんよ。今から入ったところで来年の夏には引退だし、パイセンはいなくなっちゃうし。そう考えると、俺、いろいろと選択ミスっちゃったなって思うわけ。入るならもっと早くすれば良かったし、だったら入学した時に入っときゃ良かったって」

「後悔しているのかい?」

「そうそう。未練タラタラタランティーノって感じ」

「悪影響を受けたみたいだな」


 團士の台詞を否定できなかった。遊善が「ごめんごめん」と詫びを入れる。


「でもさ、仮に今から入学時点に戻ったところで、状況が同じならきっと俺は部活に入らなかったと思う」

「晴海は周囲の環境に縛られているんだな」

「そうかも」


 丁字路ていじろに差し掛かると、團士は左に曲がった。


「じゃあな」

「うん、じゃあね~」


 遊善が手を振りながら右に曲がる。


「今日は楽しかったかい?」


 背後から團士に問いかけられ、遊善は目を丸くする。しかし、振り返る頃には顔面に満面の笑みを貼り付けていた。


「うん! マジで楽しかった!」

「そうかい。そいつは何よりだ。じゃあな」

「また明日~!」


 手を振りながら團士が去ってゆく。その背中を見届け、遊善も自宅へと向かう。

 石造りの階段に差し掛かると、薄暗闇の中に見覚えのある輪郭が浮かび上がった。


「未練、ってこういうこと?」


 遊善が声をかけると、階上の予言者はくたびれた微笑を浮かべた。


「部活は楽しい。思い出に残る。だけど、何も方法はそれだけじゃない」


 街灯がチカチカと点り始める。予言者の姿が視界にはっきりと映し出され、遊善は自然と身構える。


「どうもご親切に。ろくちゃんの差し金?」


 予言者を名乗る男性は首を横に振った。


「無関係さ。僕は君の幸せのために動いているだけ」

「都合良過ぎっしょ」


 遊善の中で推測が組み上がってゆく。晴海遊善の幸せを願う者。晴海遊善を失いたくない者。晴海遊善を知る者。予言者を名乗る理由。そして、見覚えのある顔。

 遊善は確信をもって口にする。


「父ちゃん、っしょ?」



 第二章 了

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