Phase.19 朝日島
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「そんな……海底戦闘挺だなんて! 日本軍がそのような兵器を密かに隠し持っていたとは、知りませんでした! ……てか、あり得ない! 平均速力が時速五十六ノット、最大速力が一〇七ノットだなんて! えっ、一〇七ノット!? 十七ノットではなく!?」
「がはははっ! 信じるか信じないかはお前次第だ!」
「そんなとんでもない速度が出せるなんて、もはや潜水艦では……えっと、なんと言いました? 最高深度が二百五十メートルで、ほぼ無制限に潜航できると……。いや、そんなの英国が誇る最新鋭のブルース・パーティントン級やドイツのU型潜水艦でも不可能ですよ!」
「世にも不思議な仕掛けのおかげだな。じつに、櫻木海軍大佐は偉大なお方だ!」
「なんてことだ……。こんなバケモノみたいな潜水艦が量産されたら……英国製の軍艦が売れなくなってしまう!」
「武器商人にとっては痛手だな! がはははっ!」
「がははじゃありませんよ! まったく……。これでは、軍艦が売れないどころか、いよいよ英国の海上覇権も怪しくなってきたぞ……」
「まあ、英国も現在の地位に胡坐をかいていては、あっという間に追い越されてしまうということだな! 日々精進せねば!」
「…………」
― ― ―
秘密造船所を出た私は鉄門の辺りで武村兵曹と別れ、稲妻を従えて一目散に走った。やがて海岸の家に帰ってみると、日出雄少年がただ一人で寂しそうに門口の椰子の樹の木陰に立っていたが、私の姿を見るなり走り寄ってきた。
「あ、おじさん! ぼくどうしようかとおもったよ! おきたらおじさんいないし……いなづまもどこかへいってしまうし……」
「ああ、可哀想に! すまない!」
私は少年を胸に抱き寄せた。今朝未明に櫻木大佐たちとともに家を出たのは、まだ少年が安らかな夢を見ていた間のことだ。
その後に目覚めた彼はいつもと違って私の姿が見えず、また親友の稲妻もいないので、かなり驚いて寂しく感じただろうと、私は思いがけず不憫になった。
「あのね、日出雄君。おじさんはわざと君を寂しくさせたわけではないんだよ。今朝行ったところは、暗い道や危ない橋がたくさんあって、大佐のおじさんや私のように、大きな人でなければいけないところだったんだ。日出雄君のような小さい子がいくと、きっと泣きなくなるほど怖いところだから、黙っていったんだ」
日出雄少年は目を擦って言った。
「どんなこわいとこでも、ぼくはなかないよ!」
「泣かないとは、それは強いんだね! だけど、今は危ないからいけない。これから成長して大きくなったら、大佐のおじさんも喜んで連れて行ってくださるだろう。さあ、さあ、それより稲妻も帰ってきたから、いつものように海辺にでも行って遊んでおいで」
そう言うと、日出雄少年はたちまち機嫌をよくした。私が今話した真っ暗な道や危ない橋のことについて、なおも聞きたそうに顔を上げていたが、この時、稲妻が耳を垂れて尾を振って、その側に来たので、たちまち犬のほうに気を取られた。
「いなづま! おまえ、どこにいってたの。さあ、これからいっしょにきょうそうしよう!」
少年は私の膝から跳んで、犬の首輪に手をかけて、一目散に磯の波打つほうに走り出した。
私は家に帰り、それから一日中、室内に閉じこもって、今までのことを日記にまとめることにした。
少年は夕方頃にひどく疲れて帰ってきた。私のひざにもたれたまま、二人で暮れていく景色を眺めている頃、櫻木大佐、武村兵曹、その他一隊の水兵たちが、今日の仕事を終わって、秘密造船所から帰ってきた。
いつものことだが、この日の晩餐は、とくに私からすれば愉快だった。
なぜかと言えば、昨日まではいかに重要なことだとは言え、櫻木大佐がある秘密をその胸にしまって私に語らないことを思うと、多少ながら不愉快を感じないでもなかったからだ。
しかし、今では秘密造船所や海底戦闘艇のことも教えてもらった。なおかつ、我が敬愛する大佐が、この大きな秘密を明らかにしてくれるほど、私の人格や能力を正当に評価し、信じてくれているのだと思うと、嬉しさが胸に満ち溢れてくるのだ。
それとともに私の頭を悩ますのは、どうすればこの厚意に報いることができるのか、ということだ。
例え偶然とはいえ、この離れ島に漂着して、このように大佐の家に住み、大佐をはじめ、武村兵曹やその他の水兵たちに並々ならぬ世話になっている身としては、彼らが毎日毎日、その職務のために身を削っているのを、ただいたずらに手をこまねいて見ているのは忍びない。
いかなる仕事であったにしても、力に見合った相応の義務を尽くしたいと考えたので、私は大佐にこう提案した。
「大佐、私がすでにこの島の仲間となった今、あなたがたの毎日の苦労をいたずらに傍観しているのは忍びない。なんでもいいので、なにか手伝わせてくれませんか。鉄材の運搬役でも、蒸気機関の石炭焚きでも、海底戦闘艇が完成するまで私を遠慮なくこき使ってください!」
そう熱心に告げたが、大佐は軽く頷くのみだった。
「いや、そんな心遣いは無用だ。君と日出雄少年はこの島の賓客なんだから、ただ食って寝て、自由なことをして、〈電光艇〉の竣工の日まで、気長に待っていればそれでよいのだ。この海底戦闘艇の製造には、極めて緻密な設計が必要なのだ。一人の不足も許されぬ代わりに、一人の増加も必要ない。ちゃんと十七名の水兵が十余年、しっかり働けば、予定通りに完成する手はずになっている。だから、君も少年もただ遊んでいればいいのだ」
大佐の心では、我ら二人が意外な珍事のためにこんな離れ島に漂着して、これから十数年間、飛ぶにも翼がない籠の中の鳥で、虚しく故郷の空を眺めて暮らすような運命になってしまったのを不憫だと思っているのだろう。
しかし、私は黙ってはいられなかった。
「いや、そうではないのです。もし秘密造船所の仕事に私が必要ないなら、料理係でもやりますから」
そのように決然と言い放つと、この時まで食卓の端で黙って私の顔を眺めていた武村兵曹が、突然、顔を突き出して口を開いた。
「うむ。それならば、一ついいことがあるぞ! あなたに料理係を任すよりも、こちらの方が断然いい」
そう言って、櫻木大佐に目を転じた。
「大佐閣下、これはいい機会です。例の一件、この島に記念塔を建てることを依頼してはどうでしょうか」
大佐はぽんと手を叩いた。
「そうだ! 私もちょうど考えていたところだ。もしも、君がそこまで仕事を望んでいるならの話だが……」
そのようにおもむろに語り出す大佐の言葉によると、元来、この離れ島は以前にも言ったようにまだ世界地図の表面に描かれていないほどで、櫻木大佐の一行が初めて発見するまで、まったくの無人島だった。
どの国の領土とも定まっていないところだから、国際法上から言っても、『地球上に新たに発見された島は、その発見者が属する国家の支配を受ける』という原則からして、当然、大日本帝国の新たな領土となるべき島である。
そこで大佐は一行とともにこの海岸に上陸した時、手始めにこの島を『朝日島』と名づけ、永久に大日本帝国の領土となることを宣言した。
それ以来、朝日輝く日の御旗が絶えず海岸の一方の岬に翻っていたが、よくよく考えると、大佐たちがこの島に上陸したそもそもの目的は、秘密裏に海底戦闘艇を製造するためであり、船の完成とともに早晩、ここを立ち去らねばならぬのである。
無論、立ち去った後も、永久に日本帝国の領土であるべきなのは疑いようもないが、ここで油断ならないのが、世界情勢を眺めると、欧米諸国が今やたった数メートルの土地でも自分の領土にしようと競い争っていることだ。
もし、ここに一個の無人島があったとして、少しでも国家の支配権が完全に及んでいないとみれば、もはや国際法上の原則もあってないようなものだ。知っても知らぬ存ぜぬで、自分たちよりも先に占領した人の旗を押し倒して、自らの国旗を翻し、つまるところ、大紛争を引き起こして、その間に多少の利益を得ようと常に企てている。
じつにその狡猾なことは筆舌尽くしがたいが、今、櫻木大佐が公明正大にこの島を発見して、朝日島と名づけて呼び、ここからは大日本帝国の領土であることを表示するために、幾本かの日章旗を海岸に翻していても、いつかここを立ち去った後のことは、少なからず心配なのだ。
言うまでもなく、ここは絶海の孤島で、三年や五年の間に他国の侵犯を被るようなことはないだろう。しかし、安心できないのは、現に〈ルナ・クレセンテ号〉の沈没の結果、偶然にもこの島に漂着した我ら二人の実例からしても、櫻木大佐が成果を持ってここを立ち去った後、いつ外国人が入れ替わりで、この島に上陸しようと企てないとも限らない。
貪欲で飽くなきを知らぬ欧米人が、万が一にもここに上陸したなら、それこそ大変だ。何百本の日章旗が立っていたにしても、そんなことお構いなしに、たちまち日章旗は引き裂かれて、その代わりに獅子やら鷲章やらの旗が、我が物顔でこの島を占領することだろう。
正義は我らにあり、もとより論争も紛争も恐れるところではないが、しかし、万里の波間を隔てる絶島において、すでに唯一の確証とも言うべき日章旗が撤去されてしまっては、我らに十二分の道理があったとしても、証拠もなしに天下の承認を得るのはかなり困難だろう。
現時点ではさほど必要とも思えぬこの離れ島も、今から三十年、もしくは五十年の後、我が日本が世界に覇権を振るわんとする時、この島が西方ヨーロッパに対する軍事上いかに得難い要衝となるかは、追ってわかる時がくるだろう。
とにかく、この島は決して他国には渡してはならない。この朝日島の占領を今から完全に継続して、櫻木大佐たちが立ち去った後と言えども、動かしがたい証拠をとどめて、万が一、他国が嘴を挟んできた場合には、一言の下に、大日本帝国の領土であることを明示し得る計画を立てておかなければならないのだ。
このように語り終わった櫻木大佐は一息ついた。
「そこで一つの妙案を考えたのだ。……じつは、この妙案の発案者は、武村兵曹でな。兵曹、お前から詳しく説明してあげなさい」
その声に応じて、快活な兵曹は進み出た。
「私は喋るのが下手なので、わからなかったら、何度でも聞き返してください。
……えー、その妙案というのはこうです! あなたもご存知の通り、この朝日島は、この家の付近を除けば、至るところが危険な場所で、深い山に十里以上も進んでいくと、天狗や魔物がいるかもわからない。いや、まさか、そんなものがいるはずはないが、毒蛇やゴリラ、虎の類が、数知れず棲んでいて、私のような無鉄砲な人間でも恐ろしくて行けないほどだから、誰一人として足を踏み入れることはできない。
そこで、私が考えたのは、今一つの頑丈な記念塔を作って、その奥深くに建てることです! 記念塔の表面には、ちゃんと朝日島と刻んで、『ここは日本帝国の領土である。何年、何月、何日、海軍大佐これを発見す』と記しておく。
そうすれば、我らがこの島を立ち去った後で、外国人どもがやってきても大丈夫だろう。
なに、海岸周辺の日の丸の旗を押し倒して、獅子だの、鷲印だのの旗を立てたところで無駄だ。この記念塔が建てられた山の奥深くまでは、危険だから誰も立ち入らない。立ち入らなければ、そんな証拠があるなんて誰も思わないだろう。
万が一、行ったとしても、たちまち猛獣や毒蛇に食い殺されてしまうから、死んだ人間はいないも同然。そこで、外国人どもが我らが立ち去った後に、この島に上陸して、『ここは自分が第一に発見した島だなんだ』と、くだを巻いていようが、無駄だということだ。
こっちにはちゃんと証拠物件がある。そんなにやかましく言うなら、さあ来てみなさいと首根っこを掴まえて、山奥に連れて行って、その記念塔を見せてやるのだ。
どうだ、この字が読めぬか! 『明治何年、何月何日、大日本帝国、海軍大佐櫻木重雄が本島を発見す。今は大日本帝国の占領地なり。遅れてこの島に上陸するものは、速やかに旗を巻いて立ち去るがいい』と記してあるではないか!
奴さんはびっくり仰天してひっくり返るだろう。そこで横っ面でも張り飛ばして、追い返してやるのだ!」
「はははははっ!」
なんという愉快な計画だろうか。私は声高く笑った。
なるほど、確かにこれは妙案だ。無骨な武村兵曹の考えそうなことだ。しかしながら、一体、どうやってそんな危険な奥地まで行って記念塔を建てるというのか。外国人が行けないほどの危険なところであれば、我々だって行けないはずではないか。
すかさずその点に切り込むが、武村兵曹はちっとも驚かなかった。
「そこは、ほら、この世にも珍しい発明ですよ!」
――つづく
作中でロキアが107ノット出すことに驚いているようですが、いまいちイメージがわかない方のために言っておくと、107ノットは「時速198キロ」です。大体、新幹線と同じぐらいですね。
……ええ、馬鹿みたいなあり得ない速度です。
「日本軍が『新幹線と同じ速度で、なおかつ無限潜航可能な潜水艦』を持っている」と聞いたので、驚いたわけです。
まあ、明治時代なので大目に見てください。
海底戦闘挺は……ありますっ!!
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(*- -)(*_ _)ペコリ
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