Phase.11 紳士の一勝負
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「賭け……ですか。正直、賭けにはもうこりごりなのですが……」
「〈マスター〉との一件では儲けたそうだな」
「割に合わない厄介な案件でしたよ。おかげで脇腹に穴が空きました……」
「武器商人にとっては勲章みたいなものだ。なによりだ」
アンダーシャフトは素直に笑い、すぐにもとの油断のない目つきに戻って続ける。
「賭けという言葉が嫌なら、少し言い方を変えよう。私と勝負するのだ、ワイゲルト。なに、ほんの余興に過ぎん」
「そう言って余興で済んだ例がないのですが……」
「私にとっては人生のすべてが余興なのだよ。……それに、だ。君がアンドリュー・アンダーシャフトの名から逃れようともがいている、それ自体が余興だとは思わんかね?」
「…………」
カネトリは答えなかったが、その沈黙が答えだった。アンダーシャフトはみなまで言わず、条件だけを提示する。
「私に勝てば、そうだな……。望み通り、猶予を与えることにしよう。現状維持だ。現場にいたいならば、そうすればいい」
「負ければ……?」
その問いに、アンダーシャフトは口調を変えずに即答する。
「アンドリュー・アンダーシャフトを継いでもらう」
その言葉は、カネトリにはまるでピシャリと雷が落ちたように感じた。
ついに、ついに、この時が来てしまったのだ。
今まで逃れていた判決の時が。
一気に動悸が激しくなり、頭に血が上るのを感じた。バーバラとの結婚、莫大な血塗られた富……その他諸々の事象が頭の中を駆け巡る。
一介の武器商人に過ぎないカネトリは、カール・オオタ・ワイゲルトですらなく、次世代の『死と破壊の大商人』――八代目アンドリュー・アンダーシャフトになるのだ。
「そ、それは……」
からからに干上がった舌を何とか動かして、なんとか言葉を綴ろうとした時、アンダーシャフトは一息吐いて、肩を竦めてみせた。
「……と、本来ならそう言いたいところなんだがね。正直、あれこれ言ってきたものの、私も相棒のラザラスも、まだ現場を引退する気はない。とくに今は稼ぎ時だ。だから、そうだな、私が勝ったら君にちょっとした『お使い』を与えることにしよう」
「ちょっとしたお使い……ですか」
場の緊張が一瞬にして飽和する。カネトリは脱力してソファーから崩れ落ちそうになるのをなんとか堪えた。
「…………。……内容を聞かせてもらっても?」
「うむ。レット・バトラーという男を知っとるかね?」
「いえ。ですが、名前だけはどこかで聞いたことがあります」
「南部の武器商人だ。狡猾な男だよ。戦争中は北軍の海上封鎖を突破して物資を送る
「ああ。どおりで……」
劇中ではヒロインのスカーレットをたぶらかす冷血漢として描かれていたはずだ。
主人公(作者)はそんな悪役に惑わされながらも、別のアシュリー・ウィルクスという貴族の男と真実の愛を見つけることになる。
ただの小説の登場人物に過ぎないと思っていたが、どうやら実在していたらしい。
「バトラー商会には南北停戦後の
「アンダーシャフト社のビジネス・パートナーということですか」
「そうだ。そして、レット・バトラー……あの自称愛国者の狡猾な男と、私はこういうやり取りをした。『協力のお礼にもし次に南部連合で戦争が起きれば、アンダーシャフト砲を十二門と機関銃を十二挺、最新のアンダーシャフト銃を百二十挺、そしてその弾薬を進呈しよう』とね。それで今回、この約束を履行する必要が生じたわけだ」
「それは……一大事ですね」
「なに、たかだか一万ポンドちょっとの
「そうですか……」
カネトリはゴクリと唾を呑んだ。
それはいつも行商で扱っている品物のざっと十倍に相当した。
しかも、今は平時ではなく、戦争中なのだ。北部合衆国艦隊が先の南北戦争でやったように海上封鎖を行えば、輸送費だけでも数百ポンドのコストになるだろう。
「ちなみに、場所は? もし、バージニアの港に陸揚げするだけでしたら……」
「テネシー州、ナッシュビルだ。ちゃんと届たまえよ。……ああ、もちろんだが、今回の輸送にかかる支払いは君持ちだ。罰ゲームなんだから当然だろう?」
「それはお使いではないのでは……」
「そうかね? なら、言い直そう。君に『負債』を与えると」
「…………」
完全な赤字確定。最悪だ。陸揚げして物資を引き渡すだけならまだしも、現地にまでついていかないといけないとは。
南部連合国にはギルドの支部が首都のリッチモンドにしかない。つまり、物資の輸送に伴う護衛や情報提供など、現地からの諸々の支援が受けられないということだ。
もしアンダーシャフトのお使いを行うことになれば、孤立無援の状態のまま、土地勘のない南部で大量の物資を輸送しなければならない。その上、テネシーはケンタッキー州に隣接する北部合衆国との境界州だ。
今現在、戦場はまだバージニアの東部戦線に留まっているものの、いつ戦線がテネシーまで伸びてもおかしくはない。
カネトリは落胆のため息を堪え、顔を上げてアンダーシャフトを真正面から見据えた。
「お使いをすると決まったわけではありません。勝負の内容を教えてください」
「ああ、そうだな」
アンダーシャフトは楽しげに頷き、懐から財布を取り出して一枚の紙幣を取り出した。
「二十ポンド札だ。これを使おう。勝負の内容はじつにシンプルだ。明日から始まるロイアル・アスコット大会……君は参加するかね?」
「いえ、そのつもりはありませんでしたが……。勝負というのは、まさかダービーですか?」
「その通り。明日の大会中、この二十ポンドをより多く増やしたほうが勝ち。賭け金がなくなった時点で、その方が負け」
アンダーシャフトは二十ポンド札をひらひらと振り、胸を張って弟子に告げる。
「英国人らしく、一勝負といこうか」
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