Phase.4 シデナムの水晶宮




     4




 ガシュガシュガシュガシュ、タタン、タタン――車輪を回すピストンと一定のリズムで軌条レールを叩く心地よい音を奏でながら、列車はやがて丘陵地帯に入った。

 初夏の気持ちのいい晴天がどこまでも広がる田園風景。

 羊たちが放牧されている緑の丘には、天気予報のための観測気球が係留されており、その遥か向こうの青空には鋼鉄の機体に太陽を反射させてきらきらと光る大きな飛行軍艦の姿があった。

 ちょうど演習中なのか、周りには無数の〈M1フライング・マシーン〉が展開されている。


「あれは?」

「ロンドンに駐留するミドルセックス第一航空騎兵連隊ファースト・エア・キャバルリー・レジメントだ。多分、空賊対策の護衛訓練だろうな」

「空賊って?」

空飛ぶ海賊フライング・パイレーツってところだ。とくに島が多いアドリア海なんかに多くてな。空賊連合なんてのがあったりするぐらいだ。新生ローマ帝国なんかは軍艦が少ないから、そういう時は代わりに英国空軍が飛行船を護衛したりする」

「カネトリは空賊に会ったことある?」

「ないな。もし旅先で会ってたら今頃はここにいないかもしれん。……おっ、あれだ。見えてきたぞ!」


 リジルは顔を上げ、カネトリが示す窓の外に視線を移した。それを見て、思わずあっと息を呑む。

 次第に近づいてくる丘の上に建つのは、まさしく巨大な宝石に違いなかった。

 古より人類が愛してきた人工の宝石――ガラス。当時、最新の工法であったプレハブ工法プレファブリケーションにより組み立てられたガラスの宮殿は、澄みわたる夏空にきらきらと陽光を反射しながら来場客を待ち構えている。


水晶宮クリスタル・パレス……」

「『理にかなった娯楽ラショナル・アミューズメント』の殿堂。第一回ロンドン万博の目玉だったものを、万博が終わった後にさらに拡張してシデナムに移設したんだ。今じゃ植物園や博物館、美術館にコンサート・ホールって具合で、複合施設として活用されている」


「――そんなことより、早くポップコーンを食べに行こう!」


 カネトリは解説を遮る相棒に苦笑して言う。


「お前、そればっかりだよな。カラスのくせに光ものに興味ないのか?」

「カラスだけど、ガラス・・・は食べられないからね」

「リジル、こういうのコトワザで何て言うか知ってるか? 『鳥の歌よりパンがいいブレッド・イズ・ベター・ダン・ザ・ソング・オブ・バーズ』って言うんだ」

「鳥だけに?」

「鳥だからさ! 大体、鳥の歌なんて大体音痴だもん。人間には違いがわからないかもしれないけどさ、ほとんど聞けたもんじゃないよ」

「そうだったんだ……」

鳥の感覚バード・フィールは違うってことか」

鳥の餌バード・フィードに対しての感覚もね。ボクは高級志向だから」


 胸を張って言う一羽に、二人は笑った。そうしている内に、列車はクリスタル・パレス駅に到着した。

 駅から出ると、文字通りの宮殿パレスが一行の目の前に広がっていた。家族連れや旅行客のグループと前後して入場ゲートをくぐる。

 直後、少女は周りの空気が変わったことに気づいた。


「! 花の匂いが……」

「クリスタル・パレスは世界最大の温室なんだ。北側にヤシやバナナなんかの熱帯植物、南に温帯植物が配置されてる。ほら、天井を見てみろ」

「すごい……」


 リジルは美しさに目を奪われ、その大きさに圧倒された。天井は教会の大聖堂よりも高く、内部はアーケード状に広がって奥に続いている。磨かれて鏡のようになったガラス一枚一枚が、それぞれ角度をつけて鋳鉄のはりや支柱などと複雑に組み合わさることで、光を反射し、すべての来場客を陽だまりのような万華鏡の世界へと誘う。

 一体、全部で何枚あるのか想像もつかない。鑑の中では何人かのリジルがいて、等しく目を丸くしてこちらを見ていた。


「中心の大廊下は長さ三八四フィート、幅が一二八フィートで、天井は五階まで吹き抜けで、一六八フィートある。もはやちょっとした街だな」

「相変わらず、広いねぇ」

「まず何から見たい? ギリシャ・ローマ館、エジプト館、中国・アジア館に……とにかく、古今東西のありとあらゆるものがある」

「わからない……広すぎて」

「そうか。じゃあ、中心に向かってゆっくりいこう」

「カネトリ……手……」


 さっさと歩きだす男に、リジルはそう言いかけて顔を赤くした。もじもじと手持ち無沙汰についていく少女に、クローはため息交じりに助け船を出す。


「カネトリさー。デートなんだったら、ちゃんとエスコートしなきゃ」

「ん? ……ああ。まあ、迷子になると困るしな」


 カネトリは数秒遅れて意味を理解し、気恥ずかしそうに頭を掻いた。一礼して淑女レディの手を取り、真っ直ぐに進んでいく。



(……クロー、ありがと)

(まあね)



 声は出さず、口パクで告げる少女に、白カラスはウインクで応じた。

 ガラスの天井から直射日光に晒されているにも関わらず、館内はひんやりとして涼しかった。所々に観葉植物の日陰があり、備え付けの噴霧器が作動して快適な室温を保っているためで、それ以上に目と耳を心地よい気分にさせてくれるのが、目の前の大噴水だった。


「水晶噴水だ。万博では一番の人気だったらしい」

「確かに、頷けるよねぇ」


 バーミンガムのオスラー社が、じつに四トンものクリスタル・ガラスを使用して造り上げた産業美術建築の大傑作。その高さは全長二七フィートにも及び、シャンデリアを逆さにしたような三段重ねの噴水盤から滝のように水が噴き出している。


「きれい……」


 その弾けるような水飛沫を肌に感じて、リジルは夢見心地だった。

 最近子ども向けの絵本で読んだ、王子様に手を引かれて宮殿に迎えられる灰被り姫シンデレラの挿絵を思い出し、目の前の武器商人の男がそうであるのかと考えた。



――二人は末永く幸せに暮らしましたとさデイ・リブド・ハッピー・エバー・アフター



 物語の終わりに書かれた一文を思い出し、そうであればいいなと思ったが、シンデレラ姫がもし獣人であったなら、ガラスの靴を履いても宮殿に入れてもらえないだろうなと思った。

 ……ただ、もしそうだったとしても、この毛だらけ男ファーリー・ジェントルマンの王子様ならば、きっとお姫様を血眼で見つけ出して迎えにきてくれるのだろう。

 そう考えて、リジルはくすっと笑った。


「こっちがビザンチンで、向こうがロマネスクか。リジル、建築美術に興味は……」

「カネトリ」

「ん?」

「ありがとう」


 その言葉に、カネトリは何と返したらいいのか判断に困り、視線を逸らして「おう」と合図するだけに留めた。



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